「Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)」(1452年~1519年)の埋葬された「La chapelle Saint-Hubert(サン・ユベール教会堂)」が隣接する「Château Royal d’Amboise(アンボワーズ城)」へは、パリ「Gare d’Austerlitz(オステルリッツ駅)」からSNCF(フランス国鉄)「Intercités(アンテルシテ/在来線特急列車)」で約2時間の「Gare d’Amboise(アンボワーズ駅)」で下車して、さらに徒歩約20分だ。
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その「Loire(ロアール川)」を見下ろす高台は、フランスが「Rome impériale(帝政ローマ)」支配下にあった時代から砦が築かれていたというが、1434年にフランス王「Charles Ⅶ(シャルル7世)」(1403年~1461年)が手に入れると、それまでの中世の要塞を大改修して、以後「Louis Ⅺ(ルイ11世)」(1423年~1483年)「Charles Ⅷ(シャルル8世)」(1470年~1498年)「François Ⅰ(フランソワ1世)」(1494年~1547年)の居城となり、招いた「Leonardo da Vinci」ら多くの文化人や芸術家などで、ルネサンス期フランスの華やかなサロンになっていたという。
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しかし、1560年に「FrançoisⅡ(フランソワ2世)」(1544年~1560年)の名の下に、実質的にフランスを支配する「François de Guise(フランソワ・ド・ギーズ)」(1519年~1563年)排除を狙った計画が、密告により露見すると、国王への反逆という大義名分に塗り替えられて、新教徒1200名(1500名とも)の大虐殺が「アンボワーズ城」で行われ、処刑された新教徒が城壁やバルコニーに吊るされたという。
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死臭に覆われる街を捨てた「宮廷」は、再びこの街に戻ることがなかったというが、多くを取り壊して往時の一部を残すのみというこの城への訪問は、人間の抱える償いきれない悪業の有り様をあらためて考える機会となり、深い教訓を心に刻むことになった。
いつも楽しみに拝見しております。
とても 素敵な 自分が旅をしても見てる様な そんな感じがしてる凄く嬉しいです。
撮影や 大変な海外での生活ですので 無理されずに 頑張ってブログの更新をお願いいたします✨🙏🙇😊✌️
(はじめましてで 良かったでしょうか?)
ところ処 誤字 変換ミスの連発で
🙇🙇
お気をつけて 頑張ってください😊✌️