Métro Ligne ①⑧⑫「Concorde駅」直上のパリ8区にある「Place de la Concordo(コンコルド広場)」は、1755年(1748年とも)「Louis XV(ルイ15世)」(1710年~1774年 在位1715年~1774年)の命により、「Jacques-Ange Gabriel(ガブリエル)」(1698年~1782年)が設計、1757年~1763年に建設されたという。
◇ ◇ ◇
はじめ「ルイ15世広場」と言われたが、1789年に始まった「Révolution Française(フランス革命)」後は「革命広場」と改められ、設けられたGuillotine(ギロチン/断頭台)により、1793年1月21日には、暗君と明君の相反する評価を受ける「Louis XVI(ルイ16世)」(1754年~1793年 在位1774年~1792年)が、1793年10月16日には、我がままな浪費家として人々から反感を買っていたという王妃「Marie Antoinette Josèphe de Habsbourg Lorraine d’Autriche(マリー・アントアネット)」(1755年~1793年)が、他にも三千数百人が処刑されたという。
◇ ◇ ◇
過ぎて来た歴史に思いを寄せる時、権力と富の偏在が華麗な文化を育てる一方で、その憤怒が革命を呼び多くの血を流すことになってしまった教訓を受け止めないわけにはいかない。
◇ ◇ ◇
「Napoléon Bonaparte(ナポレオン・ボナパルト)」(1769年~1821年)が、「Révolution Française(フランス革命)」後の混乱を収拾した1800年前後から「Place de la Concordo(コンコルド広場)」と呼ばれはじめ、1830年に公式に現在の名前に改められたという。
◇ ◇ ◇
エジプト国王「محمد علي باشا(ムハンマド アリー)」(1769年~1849年)から贈られた古代エジプトの太陽神を象徴する記念碑で、「ルクソール神殿」入口の右手にあったという「Obélisque de Louxor(ルクソール オベリスク/『クレオパトラの針』と呼ばれているがクレオパトラの生誕より千年以上前に造られているという)」を、1836年に広場の中心部に設置した「Place de la Concordo(コンコルド広場/『コンコルド』とは『和合』の意)」の背負う歴史は、ここで繰りひろげられたのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます