昨日(9月23日)久慈市の土風館で原爆パネルの展示と合わせて、久慈市の「市日」会場で、核兵器禁止条約をすすめる「平和の波」行動のいっかんとしての宣伝行動があったので参加し、今年の原水爆禁止世界大会の報告を兼ね、ヒバクシャ国際署名への協力を訴えた。
8月6日、二戸駅から新幹線に乗り、羽田空港から長崎空港へ飛び、7日から9日までの3日間開催された原水爆禁止2017年世界大会・長崎に参加した。私が原水禁世界大会に最初に参加したのは学生時代で、東京での大会であった。それから47年目の大会参加である。最後に参加したのが30代で広島だったので、それからでも30年以上が経過している。参加しようと思ったのは、今年は国連で核兵器禁止条約が採択され、核兵器のない世界へ大きな前進が記録された年だからである。大会には国連上級代表や各国の公式代表が参加され、長崎市長からのあいさつもあった。こうした運動に参加して40数年、残された人生は長くはないが人類を滅亡させる核兵器をこの世からなくすために、この地球を孫たちにしっかり受け継がせていくために、これを機会にさらなる奮闘をしたいと決意をしてきた。
昨日(3月25日)陸前高田市の市コミュニティーホールで、「東日本大震災津波6周年のつどい」が開催されたので、久慈地域の皆さんと一緒にバスで参加した。主催は「東日本大震災津波・復興岩手県民会議」。8時55分に九戸インター近くの道の駅でバスに乗り込み八戸道~東北道~釜石道へて釜石を抜け、大船渡の入り口から三陸道に入り、1時少し過ぎに会場に着いた。すでに開会されていたが、当初の会場の会議室に入りきれない状況だったので、ホールの方に移動する。記念講演は岩手大学名誉教授の井上博夫氏だったが、復興の現状と今後の方向、問題点などをすっきり整理して話された。その後、商工会会長などをパネリストにしたシンポジウム。午後4時に終了してまたバスで戻ったが、九戸についたときには8時を回っていた。陸前高田市では今年の4月に大型ショッピングセンターも開店するそうで、いよいよ復興が本格化するらしい。津波で全壊した市役所のプレハブの仮庁舎も見ることができた。一日も早い復興を祈る。
森友学園事件がようやくマスコミでも取り上げられるようになった。赤字の法人が学校を設立することなど認められないはずだが、大阪府が規制を緩和して設立できるようにしたということだ。時は橋下知事の時代。いっせいを風靡した感じの維新の政治がいかに出鱈目なものであったか、そして維新と安倍晋三首相に共通する史観の問題。森友の幼稚園の運動会での宣誓の様子を見ればいかに異様なものであるかは明白だ。この事件をめぐる闇を解明するために、徹底的な究明を望む。