山クジラの田舎暮らし

岩手県北の田舎に生息する「山クジラ」です。定年後の田舎暮らしや趣味の山行きのことなど、発信していきます。

川上哲治をしのぶ

2013-10-31 20:29:24 | 有名人

 元巨人軍選手、監督であった川上哲治氏が亡くなった。心より冥福を祈りたい。私のガキの頃の記憶で最初に登場するプロ野球選手は川上哲治なのである。私はもともと左利きで、小さい時に矯正されたらしく、字を書くのも「右」、箸を持つのも「右」だが、刃物を扱う時や、バットを持つと「左」になってしまう。そういうことで「左」打席に立つ、川上選手の「赤バット」には大変な憧れをもっていた。引退後は長嶋茂雄(茂雄が私と同じ)、王貞治などの名選手を育て、巨人軍の最盛期を築いた人物である。「9連覇」への批判はあるだろうが、私の少年期のプロ野球への期待をつないできた人物として忘れられない存在である。ご冥福を心から祈りたい。


牛もつ鍋

2013-10-30 18:03:01 | グルメ

 今晩も私が料理当番なので、「牛もつ鍋」をつくった。オリジナルのレシピではなく市販品を利用した。「日本ハム」製である。「塩麹白湯」仕上げとなっていた。レシピに従って、まず出来合いのタレを水で割って、スープをつくる。これにキャベツ(4分の1個)を一口大に切って入れ、もつの入った具材と合わせて煮る。野菜などに火が通ったら、長さ2㌢位に切ったニラを投入し、火が通ったら出来上がりである。

 市販のタレを使ったので、およそ30分で出来上がってしまった。私が自炊を始めたのは、寮を出てアパートに活動拠点をつくった時からである。幸い、私の実家は農家でコメは送ってもらえたから、その点は大丈夫だった。しかし、私自身が料理の経験がなく、塩ワカメをそのまま味噌汁に投入したり大失敗も随分やらかした。近くの店で「シドケ」を売っていたので購入したが処理の仕方がわからず、結局捨ててしまったことなどを思い出す。

 1972年、今の奥さんと結婚して家庭を持ったのだが、当時は料理の腕は??だった。子どもが生まれ、育つ過程で料理をせざるを得ない状況になってはじめて料理に本格的に取り組まざるを得なくなったのだが、現在の状況は「工夫次第で美味しい」と言ってもらえる色んな条件が生まれている。私は、知的好奇心の範囲で新しい料理に挑戦し、さらに多くの人に「美味しい」と言ってもらうよう努力したい。


タラチリとホタテの刺身

2013-10-29 18:10:49 | グルメ

 いつもは月曜日が私の担当なのだが、盛岡に行っていたので義妹に代わってもらった。そこで、いつもと違う火曜日の晩御飯の支度をすることになった。種市まで行ってスーパーによると(スーパーは町でここにしかない?)美味しいそうなタラの切り身が並んでいたので購入。その瞬間に、今日は「タラチリ」と頭の中で決定となった。

 タラチリ自身は難しい料理ではない。まず鍋にコンブを入れ出汁を取る。この時煮立ててはいけないとNHKの「スッピン」のコーナーでやっていた。これまでは煮たててきたが、今回は弱火にして出汁が良く出るようにした。この出し汁に一口大に切ったハクサイを入れ柔らかくなるまで煮る。同じく一口大のタラの切り身を入れ、豆腐を入れ火が通ったらポン酢に長ネギのみじん切りを入れたタレにつけて食す。寒い夜は体の温まる一品だ。今晩は、チリにホタテの刺身、ナスとピーマンの炒め物、温野菜サラダ添えた。

 野菜をたんととれるよう料理を工夫しないとならない。それにつけても野菜が高い。天候のせいばかりにはできないと思う。市場価格に左右されているもとでは、良い時もあれば、悪い時もあるのだが、農業という特殊性を考えれば市場経済任せでは成り立っていかないと思う。

 安倍首相は参院選、総選挙の公約を反故にし、TPPに参加し重要5品目も含め関税撤廃の方向に向かっている。公約違反の政党はその責任が問われなければならない。


『永遠の0(ゼロ)』=百田尚樹著

2013-10-29 07:16:31 | 読書

 百田尚樹『永遠の0』を読んだ。先日映画を鑑賞しにトウホウシネマズ下田に行った時、予告編で『永遠の0』が近日上映となっていた。私は、表題から内容を想像できなかったのだが、日本海軍の名戦闘機と言われた零戦にかんするものらしいと知った。それで書店を眺めると「ベストセラー」になった本らしいではないか。もともと「はやりもの」や何々賞受賞作とかを読み漁る方ではないのだが、これは読んでおかないとと思い購入しておいた(講談社文庫876円=本体)ものである。

 百田尚樹は1968年、大阪生まれ、同志社大学を中退し放送作家。2006年『永遠の0』で作家デビュー。『海賊と呼ばれた男』で第10回本屋大賞を受賞した。

 物語は、健太郎という26歳の男が姉に頼まれて戦死した祖父の足跡を追っていく。祖母が戦後今の夫と結婚したので、健太郎たちは現在の「祖父」とは血がつながっていないという設定。戦死した祖父の残した子供である母に、祖父がどう生きたかを知らせるために、当時の戦友たちに話を聞いていく。祖父は零戦のパイロットで、真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦にも参加した名パイロットだったが、「家族のもとに必ず帰る」と言い、臆病者とも言われれていた。しかし、その実像はまさに名人芸の操縦をする人だった。そして「生き残る」ことが戦いに勝利する道だという信念を持っていたが、特攻という必ず死ななければならない作戦に怒りを持ち、終戦の直前に自らも特攻に加わって戦死してしまう。同時に出撃した教え子と機体を入れ替わり、その機は故障で喜界島に不時着するのだがその機を操縦した教え子に家族の将来をたくす手紙を残す。そして彼が、祖母の再婚相手となってのである。エピローグで、超低空飛行で米空母に迫って飛行甲板に突入した零戦があったことを書いているが、それが亡くなった祖父であることを暗示している。

 アニメ『風立ちぬ』以来、なぜか零戦の書かれたものを読んでいる。零戦は素晴らしい戦闘能力を持った戦闘機であったが、旧日本軍の徹底した人命軽視の思想を反映した飛行機でもあったらしい。それは長距離を飛んで敵を攻撃できる点で極めて侵略的であるとともに、パイロットを守る防御装置はほとんどなく、燃料タンクも防御されていない。私は、この本がそうした旧日本軍の体質を厳しく告発するものになっている点を感じながら読んだ。欲を言えば、その戦争が絶対主義的な天皇制政府のもとで進められたことについても踏み込んでほしい気がしたが…。


やわらかに柳あおめる…。

2013-10-28 18:54:49 | 地域

 今日はある会議に出席するため盛岡に出かけた。岩手県はおおむね晴天で姫神山に雲はなく、岩手山には少し雲がかかっていた。岩手山に雲がなかったらその姿を提供しようと思ったが、そうもいかない状況なので、盛岡に向かう途中で「渋民公園」によって啄木の歌碑を写した。石川啄木の「やわらかに柳青める北上の岸辺目に見ゆなけとごとくに」の歌碑である。私が岩手大学に入って、最初はワンゲル部員となり、最初の合宿で山田線の浅岸駅から外山ダム湖の草地にキャンプを張り「青い山脈コース」なるものをたどって姫神山に登り、最後は渋民公園でゲームをして遊んだのだが、その時この歌碑を写真に写している。実に45年以上前の思い出である。石川啄木は旧玉山村渋民(現盛岡市玉山区渋民)の出身であり、その頃は渋民駅が無く、好摩駅まで行って鉄道を利用した。そのとき渡った「鶴飼橋」が再現され、渋民公園のすぐ下にある。また、同公園には「啄木の駅」という休屋兼売店もある。すぐ近くに「石川啄木記念館」もあるので、機会があったら訪れてほしい。