宮城谷昌光の『三国志』第7巻を読んだ。この間、岩泉町議選の応援に出かけたりで図書館へ通うこともままならず、中断していたのだがあと5巻を読み終えようと大野図書館から借りだして読んだ。
第7巻では、劉備が蜀を攻め取り、荊州の一部とと蜀を確保して魏、呉とともに3国の体制を築いていく過程を描いている。吉川三国志などでは、劉備は実に格好よく描かれているのだが、宮城谷の作品では劉備という人物の姿がよくわからない感じがする。代わりに曹操は大変な人物のような気もするが、果たして本当の歴史はどんなものであったろうか。作家の解釈、空想の世界が入っているのが小説であり、学術書でないのだからそれも当然なのかもしれない。司馬遼太郎なども、『龍馬が行く』を書いた後、どこかの講演で自分の描いた龍馬は自分のものであって、それが実体とは思わないでほしいというようなことを話したと聞いた。歴史上の人物をその作品ですべてわかったような気になってはいけないのだと思う。残りはあと4巻、読み始めた連続物は読み終わらないとすっきりしない。