
今だから書くことが出来る話をします。書ける気持になりました。

乳癌友達がこの世を去った。肝臓に転移後、車椅子で何度か外来であった。
病室で抱き合いながら泣いたり、外来の待合室でボロボロ泣きながら話したり・・・浮腫になったときは『 必ず冷やすのよ! 』と、教えてくれたのも彼女でした。彼女とは気持の何処かで不思議な縁でつながっていた。
声を発するのがツラそうな彼女には電話ではなく文字にし話しかけた。
どこかに行った時
季節の変わり目
私が・・・・この筆無精の私が、手紙や葉書を書いた相手。
返ってこなくてもかまわないから書いていた。
2007年春の手紙を書いた後、なんだか気になって電話をかけた。
電話は苦手な私。本当に苦手。
でも、不思議な虫の知らせ・・・。
電話口に出たのはご長男。そこで初めて彼の口から彼女の死を知った。
ナンと声をかけたら良いか判らず、お悔やみを述べる自分。
「電話をかけて来た人にだけお話ししているんです。」
そっか・・・・・・まだ、やっと大人になったばかりで・・・・・・大変だっただろう・・・・・。
ご長男の彼とは1度か2度、外来で顔を合わせている。
彼女の言葉が耳に心に残っている。
そして・・・・

同じように昼顔さんの死を知る事になった。
昼顔さんともずっと手紙やプレゼントのやりとりをしてきた。
ブログを閉じた彼女が戻ってくるのを願って未だにトップに載せている・・・
この事は昼顔さんがご存命の間、昼顔さんの希望でずっと伏せていた。
このブログを書いてきて、たぶん最初の頃からの私の師匠です。
ある時、昼顔さんに書いた手紙の返事が、御母様の名前で私宛に届いた。
忙しいのかな?
何処かで自分を誤魔化しながら逃げながら封を開けた。
其処には彼女が亡くなった事と、ご両親のお辛い気持ちが書いてありました。彼女の「限りある命を生きる」ということばが・・・・ご両親を救っているのだと想いました。
彼女らしい生き方が伝わります。
ご両親が昼顔さんの事を本にされ一冊いただきました。
いまも・・・全部を読めません・・・・
そんな中で、私は泣くことも出来ない日々が続いた。
心にポッカリと穴が空く ただ空く 空いてしまった 空いたままだ。
今になってやっと書ける・・・・・。
でも 心には穴が空いたままだ。きっと無理に塞ぐ必要はないからだろう。
あの癖のある文字も
あの悲しげな瞳も
もう あえないのだと思う。
私の手元には、彼女と昼顔さん用に買い込んだ便箋やポストカードがある。
以前、心臓で倒れた沖縄で買ったものもある。
送る相手のない想いが・・・・・手元にある。
だって、これは、送る相手の顔を思い浮かべて買ったものだから他には使えない。
文具のコーナーに入ると切なくなる。胸がチクリと・・・・痛い。
こんな風に、彼女達のいなくなった世界がある事を想い出す。
この チク チク した痛みは大切にしておこう。
この チク チク した痛みは大切にしておこう。
無くしたくないと今は想う。
痛む度になくした方の大切さ、重みを想い出す。
今でもね とても淋しい・・・・ 淋しいよ・・・・