😔 忘れ行く記憶 😔
あれから40年
とは
漫談の世界であるが
大阪は千日のデパート
50年前の今日
何が
あったか
火災である
アルバイトサロンを略して
アルサロから梯子車で救出される
関係者
昭和47年5月13日(土)
大阪ミナミの千日デパートビル3階から出火し
7階のアルバイトサロン(キャバレー)
の
客やホステスら118人が死亡した
化学繊維製品や新建材から発生した
有毒ガスによる犠牲者が多く発生した
また
翌年熊本・大洋デパート火災
に伴い
消防法改正のきっかけとなった
経 過 概 要
5月13日千日デパートの閉店時刻21時
から
1時間半ほど経った22時27分ごろ
デパート3階ニチイ千日前店北東側フロア
布団売場付近より出火した
火は防火シャッターが閉まっていなかった
エスカレーター開口部や階段出入口から上下階に燃え広がり
フラッシュオーバーを起こしながら
2階から4階までの範囲に延焼した
一方
火災で燃焼した建材や内装材
や
化繊商品から発生した一酸化炭素
と他の有毒ガスを含んだ多量の煙
が
エレベーターシャフトや階段
空調ダクトなどの竪穴を通じて
上層階へ流れ込み
7階で営業していたアルバイトサロン
「チャイナサロン・プレイタウン」に充満し
店内にいた181人の客やホステス
らは
火災の通報を受けられずに逃げ遅れ
煙に巻かれて7階に取り残され
一酸化炭素中毒や窓からの飛び降り
救助袋の誤った使用によって脱出途中
地上へ落下するなどして
死者118人・負傷者81人
にもおよぶ人的被害を出すに至った
この火災は
日本のビル火災史上最大の惨事である
7階からの生還者は
消防隊のはしご車
や
サルベージシート(救助幕)
等により
救助されている
火災の原因は
3階で電気工事を行っていた
ことから
工事関係者によるタバコの不始末であると
推定されたこともあったが
確証は得られない
千日デパート火災は
炎による「火害」よりも
煙や有毒ガスによる「煙害」
こそが
恐ろしいことを知らしめた
閉店後に売場や階段
エスカレーターの防火シャッターを閉めること
の
重要性が指摘され
火災時にエレベーターシャフト
やダクトなどの「竪穴」を閉鎖する
ことも
被害軽減には必要不可欠である
と
認識されたが
本件火災ではそのいずれもが疎かになっていたことで
被害が拡大した
複合用途として使われる商業雑居ビルでは
異なる管理権限者が共同防火管理を行い
災害時における避難誘導などの対応
を
協議しておくことが必要であるが
千日デパートでは
ビルの管理者とテナントの間で
防火管理者同士の話し合いや取り決めは何も成されておらず
効果を伴う避難誘導訓練も未実施であった
この火災は未曾有の人的被害を出したことから
社会全体に危機感が広がるなか
翌年11月に起こった大洋デパート火災
の教訓を踏まえ
既存の消防用設備や建築設備
を
最新の法令や技術基準に適合させるための
遡及適用を行う法改正も実施された
∞ 年寄りの冷や水 ∞
あれから
50年
半世紀の時が流れ
忘れ去られてしまいそうである
人間が日ごろ行っている業務過失を
軽く見てはいけない
3階で行っていた工事は火災予防上
安全だったか
可燃物・危険物・火花を発する機具・初期消火の準備
等
7階のキャバレーでは土曜日で100人以上
の
酔客で混雑してしていた
応急消火義務者であれば
消火は勿論
助けを呼ぶ等必要な措置を講じなければならない
決して『傍観者』に
なっては
いけない
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