やさしい風

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麒麟がくる@最終回

2021年02月08日 | 日記

2月7日(日)のこと

 

「麒麟がくる」がとうとう、最終回を迎えてしまいました。

 

放送が始まって直ぐにコロナウイルス問題が持ち上がり、撮影中断、

放映休止、越年、2月の最終回と異例尽くしの大河ドラマとならざる

を得なくなり、製作陣も俳優の皆さんも苦労の多い18か月だったと

思います。でもそんな厳しい撮影環境の中、謀反人としてのこれま

での光秀像を壊し「穏やかな世の中を造りたかった戦国ヒーローと

しての光秀」を描ききった「麒麟がくる」は、大河史上に残る素晴

らしい力作の1つになったのではないかと思います。

最終回では、これまでの大河では見られなかった本能寺の変の前、そ

の最中、本能寺の変が成し遂げられたあとを詳しく丁寧に描いていま

した。他のドラマでは道中で「敵は本能寺にあり」と叫び、踵を返し

て行先を変更するところを、ちゃんと前日に重臣を呼び大事な秘密を

打ち明けていました。早朝に寺を取り囲む様(さま)は、まるで忠臣

蔵の討ち入りのようでした。「攻めてきたのが光秀」と知ったあとの

信長も、他のドラマでは応戦一方で早々と奥の部屋に引きこもり、敦

盛を舞って自害するのですが、ずいぶんと前線に出て最後の抵抗をし

ていました。多少の違和感もありましたが、確かにこのような形も、

あり得る展開だったのではないかと思いました。

この一連の流れの中。特に私の心に残ったのは、焼け跡で信長の遺骸を

探し、あたりを掘り起こそうとする家臣に「もうよい」と語った光秀の

姿です。信長の亡骸(なきがら)は見つからず、今も謎の1つとなって

いますが、もしかしたらもっとしっかり探せば見つかったのかもしれま

せん。でも、光秀は早めに止めた。そこに、信長を討ちたくて討ったわ

けではない光秀の思いが表れているように思いました。

光秀は、信長が麒麟のくる世を作ってくれると信じ、従ってきた。でも、

いつからか民を顧みることのない傍若無人な権力者となってしまった。

麒麟がくる世を夢見続けていた光秀は、信長に頼らず、自分で麒麟を連れ

てくるしかなかったのではないでしょうか。

「麒麟がくる」の脚本は、その他にもこれまでの大河ドラマではなかった

チャレンジを幾つか行っていますが、その中の1つに「武士だけでなく、

朝廷や室町幕府の姿も描こうとした」という事があげられると思います。

実際にこの時代は、3つの勢力が絡み合い、その力関係を表現するのはと

ても難しかったと思いますが、敢えて取り組んだ勇気が素晴らしいと思い

ます。

 

そんな構成の中、帝の語る「力ある者は、みな、月に上りたがる。しかし

下界に戻ってきた者はいなかった」という言葉は、光秀の見た夢と相まっ

て本能寺の変が起きる引き金のような重要な役目をしていたように思いま

す。あの、高貴な帝が言うからこそ説得力のある、この物語上どうしても

必要なピースでした。

ラストの場面も意外でした。歴史上では「落ち武者狩りにあい、亡くなっ

た」とされていますがまるで生きているかのようなラストシーンだったの

です。一説によると「天海」という高名な僧になり、徳川家康を支えたと

いう生存説も残っているそうで、それを暗示した終わり方だったのかもし

れません。

歴史好きな私としては「それはない」と思っていますが、光秀が主人公の

ドラマとしては、読者に希望をもたらすようなラストもありなのでしょう

かね。SNS上では評判の良い終わり方でした。

 

 

本当に長丁場、ご苦労様でした。

関わった人たちの熱意の伝わってくる素晴らしいドラマでした。


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