現代社会において社会と個人というテーマが確立したことは先に述べたが,その関係をもう少し詳しく考えていきたい。社会と個人の関係を十分な客観性を持って明確に言い表したのはことは社会構築主義の功績である。社会構築主義に見られるように社会的動物としての人間の研究において,人間世界についての知識(社会の理解の仕方やアイデンティティ)は社会生活における人々の間の日常的相互作用を通じて構築されるという考えに基づいている。
フランスの社会学者,ブルデューはライフスタイルの考察でよく知られている。彼の名著,ディスタンクシオンではハビトゥスという概念を用いてそれを説明している。「ハビトゥスとは(各個人が社会を)構造化する構造,つまり慣習行動および慣習行動の知覚を組織する構造であると同時に,(社会の中で個人を知覚させる)構造化された構造でもある」と述べている。つまり,社会の道理にかなった慣習行動を必然的に身体化していく一方で,その作られた慣習行動は他人の行動に対する検閲の基準にもなり得るというもので,文化継承の構造を端的に説明しているものの一つである。
つまり、社会と個人は別なようで同じものでもある。複数の個人がおこす犯罪や病気も社会の問題として捉えるべきであり、個人の責任は社会の責任であるという視点の重要性を示唆している。
フランスの社会学者,ブルデューはライフスタイルの考察でよく知られている。彼の名著,ディスタンクシオンではハビトゥスという概念を用いてそれを説明している。「ハビトゥスとは(各個人が社会を)構造化する構造,つまり慣習行動および慣習行動の知覚を組織する構造であると同時に,(社会の中で個人を知覚させる)構造化された構造でもある」と述べている。つまり,社会の道理にかなった慣習行動を必然的に身体化していく一方で,その作られた慣習行動は他人の行動に対する検閲の基準にもなり得るというもので,文化継承の構造を端的に説明しているものの一つである。
つまり、社会と個人は別なようで同じものでもある。複数の個人がおこす犯罪や病気も社会の問題として捉えるべきであり、個人の責任は社会の責任であるという視点の重要性を示唆している。