わずか数百年の間に、人間はどう変わっていったのであろうか。今日の生活は,20世紀前半の生活に比べて著しい変化を遂げた。その一方では,人々の価値体系の大きな変化も原因している。かつては精神文化的な次元に重点がおかれていた人生価値が,今日ではどちらかというと物質文化に重点がおかれて来た。また自已満足にのみ志向しており,それを妨げられた場合に大きな精神抵抗を生む。出社拒否や不登校はその例として捉えられるが,果たしてその責任はその個人にのみ帰属させて解決してしまってよいのだろうか。社会の反省として認識するべきかという問いにも解答が求められている。
現代の癒されるべき個人の病いは現代生活の問題とかかわっていることが多く,医療においてもその役割は単に体を治す(Cure)だけではなく,社会での生活復帰までも考慮した介護(Care)までの幅広い転換が求められ“医療の質”が検討されているのである。こうして今,あらためて本当に豊かな生活とはどのようでなければならないのかという点が問われている。哺乳類の縄張り争いなどで、壮絶な死闘を繰り返しても相手を死に至らしめるほどには攻撃しない。後進国と呼ばれる文明化されていない国々や、南の島でのんびり暮らしている人々などは、自殺をする確率はとても低い。我が国の自殺者数は史上最多を更新し、国内の混乱が続いている国を除けば、世界1の自殺率となっている。特に経済と密接に結びついた自殺はまさしく社会病理と言えよう。動物が自ら命を閉ざす社会が正しいあろうはずがないし、そもそもそんな動物であったはずがない。日本では生まれた瞬間に社会に蔓延した病理に蝕まれていくという表現は過大表現であろうか。
現代の癒されるべき個人の病いは現代生活の問題とかかわっていることが多く,医療においてもその役割は単に体を治す(Cure)だけではなく,社会での生活復帰までも考慮した介護(Care)までの幅広い転換が求められ“医療の質”が検討されているのである。こうして今,あらためて本当に豊かな生活とはどのようでなければならないのかという点が問われている。哺乳類の縄張り争いなどで、壮絶な死闘を繰り返しても相手を死に至らしめるほどには攻撃しない。後進国と呼ばれる文明化されていない国々や、南の島でのんびり暮らしている人々などは、自殺をする確率はとても低い。我が国の自殺者数は史上最多を更新し、国内の混乱が続いている国を除けば、世界1の自殺率となっている。特に経済と密接に結びついた自殺はまさしく社会病理と言えよう。動物が自ら命を閉ざす社会が正しいあろうはずがないし、そもそもそんな動物であったはずがない。日本では生まれた瞬間に社会に蔓延した病理に蝕まれていくという表現は過大表現であろうか。