安田よしひろ 駅立ちブログ!

日本の安寧。未来への責任。次世代の幸せを憂い、創る。

障害者の方々に 指をささず 心で拍手を!

2014年06月15日 | 政治
 二十歳の時、私は右足腓骨の骨腫瘍ができ防衛医大に一か月半の手術入院をしました。小さい頃から運動が得意だった私は、右足の切断や人工骨を入れるかもしれないという事実を受け入れることができませんでした。手術前は先生に「これが安田君の新しい骨だよ」と薄緑色の骨を見せてもらい、障害者となる書類に親が泣きながらサインをしていたのをよく覚えています。全身麻酔のマスクから3回麻酔を吸い込み、部屋で目を覚ましたのは9時間の手術と3時間の睡眠で12時間後。結局、腫瘍は良性で切断はなく、人口骨を入れる手術も先生のその場の判断で外側の骨をうすく残して再生するか様子を見るということになりました。それが上手くいき、現在は人口骨も入っていない状態で、右足に30センチ30針の傷跡だけが残っています。

 私だけが運が良かった。私の部屋は整形外科の若い患者だけの6人部屋でした。手術が出来ない子供は抗癌剤を投与し、あんなに元気だった子が髪の毛が全く無くなりぐったりとして、2週間は口も聞けないほど寝込んでひたすら吐き続けていました。この後ご紹介する入院生活で経験した物語は、その後の私の人生を大きく変えるものとなるのでした。

 また、そこには足の付け根から切断した小学生の男の子と、人口の膝関節をつけてもなかなか定着しない中学生の男の子が入院していました。ある日二人が喧嘩をしていました。人工関節で膝下がブラブラしていた中学生が片足のない小学生にこう言いました。「お前は足がないからこのブラブラは出来ないだろう!」周りの大人はヒヤッとしました。言われた小学生は「僕には足がないからそんなことできないよ」とケロッとした明るい表情で言い返すのでした。ハッと気づいたことは、その人が可哀想かどうかということを社会が勝手に決めているのかもしれないということでした。この子は小さい頃から入院をしていて、周りから可哀想だとかそういうふうに言われたことがなかったのでしょうか。誤解を恐れずに申し上げますが、この子はただ足が無いだけ。その日常生活でのバリアさえ取り除けば私たちと同じ。慈悲なのか偽善になるのかは分かりませんが、少なくとも周りが可哀想などとレッテルを貼る必要は全くないということです。

 ある日、その小学生と中学生を誘って看護婦さんに内緒で病院から脱走しました。病院生活は退屈で、私が悪い兄貴となってワクワク冒険を子供たちに提案するとみんな目を輝かせてついて来ました。松葉杖の小中学生達に、リーダーの私は車椅子。外来の出口から抜け出し、航空公園の駅の方に向かっていた私たちは被害妄想かもしれませんがジロジロ見られていた気がしました。可哀想だと観られる感覚を味わいました。「そんな目でみるんじゃねぇ!」と言い返せない辛さというか、私の軽率な思い付きで子供たちにもひょっとしたら嫌な思いをさせてしまったのではないかという反省の気持ちや、「社会ってそんなのかよ!」という切ない気持ちやら妙に気持ちの悪い感覚になったのを覚えています。振り返って客観的に考えればパジャマ姿で子供たちが外で歩いていたら誰でもそう見るのは当然かもしれませんが、その日の夜は悔しくて眠れませんでした。病室のブラインドの隙間が明るくなってくるまでずっと見つめていた思い出があります。

 またある日のこと、私たちの病室に男子高校生が入院して来ました。すぐに足の切断の手術がなされ部屋に戻って来ました。麻酔から覚め始めると高校生は切断してもうない方の足の親指がかゆいと泣き始めました。手術した日のその夜は親が付き添いで寝てよかったのでしょうか、母親が一晩中「ごめんね、ごめんね」と泣きながら体をさすっていました。あのすすり泣きの声も一生耳から離れないでしょう。

 私はその頃盛んだった超電導の研究者になりたくて理系の大学に在籍していましたが、仮面浪人をして翌年に学芸大学に入学しました。もちろん人間科学を専攻しようと思いましたし、生涯スポーツ(Sports for All)、全ての人がスポーツを楽しめるようにすることが運の良かった私が出来る恩返しだと思ったからです。本当にあの入院から私の人生が大きく変わっていきました。

 毎年、10月に国リハで行われていました所沢市障害者スポーツフェスティバルですが、今年は開催しないことになりました。15年間、ほぼ同じメンバーが手弁当で続けてきたのですが後継のスタッフが集めることが出来なかったのがその理由の一つかもしれません。ただ、スタッフとして15年間携わらせて頂いた私にとってはとても大きな経験でした。厚労省の青木さん、養護学校教諭の佐藤さんや清水さん、秩父学園の杉永さん、元社協の山さん、他にもたくさんの方々にお世話になりましたが、心から尊敬できる仲間に出会うことが出来ました。障害のある子供を残して亡くなられていった方々にもお会いしました。最後まではお役に立てずに申し訳ございませんでした。障害のある子供たちや人々が、純粋にまっすぐグランドを走り抜ける姿からはいつも勇気を頂きました。応援に来る家族の方々も年々明るくなって、障害のある子供がいるから地味に暮らすといった昔のイメージを払拭してくれるようなシーンをたくさん見ることができたのも本当に嬉しいことでした。本当にありがとうございました。
<続きは後ほど>




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