やよいの頭の中

沖縄のフツーの主婦やよいが思ったこと   (最近は息子の英語教育も。もちろん、従来からの愚痴記事も健在でしゅ!)

私の妊婦時代 その⑦

2012年01月14日 | 妊娠&出産

妊娠36週

来週からは、いつ生まれてもいいんだーーー

この頃になると、歩くたびに、恥骨に激痛が走るから、早く産みたい気持ちでいっぱいだった。

 

体重のほうは、、、増加は止まらない。

食べるものを気にしているつもりだが、今思うと、もっとストイックにやらないといけなかった。

妊娠前の体重からプラス17~18kg!!

先生にも、産道に無駄な脂肪があると、お産長引くから、体重減らすよう注意を受ける。

先週まで安静っていってたのに、今度は、運動しましょうって!!

やるっきゃない!産むっきゃない!

絶対ポンッって産んでやる!って思いながら、

ウォーキングを始める。

2011年1月は例年になく寒い日が続き、お腹の子も外に出てきたがらない気候だった。

 

そして目標の37週が過ぎ、38週に突入。

 

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私の妊婦時代 その⑥

2012年01月14日 | 妊娠&出産

妊娠33週、まだ呼吸器官は整ってないそうな。

切迫早産の人間にとって目標は、無事妊娠37週を迎えることであった。

 

妊娠33-35週まで入院し時間をかせいだ。

二度目の入院は個室を選択し、悠々自適に過ごせた。

もう少しで37週を迎えられる喜びか、安静の過ごし方になれたのか、

以前よりイライラは少なくなった。

心が丸くなったのと同時に、激太りで顔も丸くなっていた。

 

妊娠前より+14~15kg増量していた!!

安静の人間は、カロリーも抑えないきゃいけないが、妊婦には差し入れが多く、

食べることが楽しみだった私は、ブクブクまるで豚。

 

2010年の瀬、年越しを病室で迎えたくないことを理由に先生に退院をお願いする。

先生も三が日外出禁止令と共に、病院を出してくれた。

帰り道、夫と一緒に、和風亭に年越しそばを食べに行く。

2010の大晦日は、この沖縄もものすごく寒かったことを記憶している。

 

家でゆっくり、紅白を観ていると、節々が痛くなってきた。風邪やインフルエンザのような症状だ。

体温を測ると、39度近く。

うぉーーー妊婦なのにーーー。赤ちゃん大丈夫かな?

今日退院したばかりなのに、また病院に戻るわけには。。。

紅白そっちのけで、就寝。

汗が出る暑さと悪寒を繰り返すが、妊婦なので市販薬はNG。

自分の自然治癒力に頼った。

除夜の鐘が鳴る頃には、40度超え

こりゃ、やばい!

明日朝、病院へ逆戻りを確信した。

 

2011年元旦、朝起きると、熱は37度台に。

胎動もある感じだし、お腹の子も無事そうだ。

病院へ問い合わせるが、自宅で様子見ることで電話を終えた。

 

2011年1月2日

今日も寒い沖縄、夫は風邪を拗らせた妊婦を置いて、ゴルフへ行ってしまった。

この男、父親になれるか?シングルマザーの道が頭を過ぎる。

でもお腹の子の為に、心穏やかを心がける。

 

2011年1月4日

発熱はないものの、咳がひどい。

でもお腹に力を入れると、恥骨に激痛が走る。

もうお腹の子がそれだけ大きくなっているのだろう。

薬をもらいに病院へ。

40度超の発熱のまま年越しをしたこと、正月は咳がつらかったことなどを先生に報告すると、

「長い安静生活をしていたわりには、結構体力ありますな」とのお言葉。

褒め言葉と解釈し、お産本番を迎えるべく、早く風邪を治すこととする。

 

 

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私の妊婦時代 その⑤

2012年01月14日 | 妊娠&出産

妊娠30週、退院したとはいえ、要自宅安静。

家事も一切不可だった。2010冬は、この沖縄も例年より寒かった。

外での洗濯物干しも取り入れも、食料調達もすべて夫がやってくれた。

この時ばかりは、シングルマザーじゃなくて良かったと心から思った 

 

夫は料理が苦手。いざとなったら出来ると豪語するが、

私の長い安静生活で料理したのはたったの3回。

それ以外は、姑が夕飯を色々運んでくれた。

今も、感謝の気持ちでいっぱいである。

そして、これは孫(我が息子)という血縁関係がない限り、起こり得なかった現象だろうと、

冷静に客観視することも忘れないようにしている。

 

姑は、私の定期診断時に病院の送り迎えも率先してやってくれた。

夫は、それは良かったと、その好意に甘えるばかりで、私に付き添うことはなかった。

親への感謝の気持ちは忘れないよう、夫には私から言い聞かせている。

 

妊娠33週になった頃、またもや診断で、子宮勁管長が短くなっていた。この頃は15mm前後だったと思う。

妊婦特有の便秘で、トイレで力んだことも関係しているだろう。

先生がおっしゃるには妊婦はトイレで3分以上力んではいけないそうな。

 

自宅にモノを取りに行くのも許されぬまま、二度目の入院を命ぜられた。

2010年もあと数週間で終わりという時であった。

 

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私の妊婦時代 その④

2012年01月14日 | 妊娠&出産

入院は、約一ヶ月続いた。

胎児にとって、外の世界より、母体の中が一番心地よく、成長できるのは素人の私でも理解できた。

入院当初、妊娠26週だった私は、とにかく、時間稼ぎが必要だった。

私はあるサイトの目標というのを心の支えにしていた。

28週になった。やっと目が完成しているんだろうな~

30週になったから、脳もだいたい出来上がってきたんだろうな~って感じで。

赤ちゃんって、妊娠直後から目や脳があるわけじゃなくて、妊娠後期になってやっと

体の大事な所が作られていくんだ・・・。妊娠しないと考えることもなかったこと。

妊婦は最後の最後のラストスパートまで大事だな。

(私がチェックしてたサイト → http://www.geocities.jp/howachan/seppaku_setumei.html )

 

妊娠30週を超えた頃、もう入院生活が我慢できなくて、家に帰りたいと先生に頼み込んだ。

両腕の血管も硬くなって、点滴針ももう入りにくくなっていた。

先生は、安静を条件に病院を出してくれた。

 

久しぶりの開放ーーー!!

帰路の風景がとても懐かしい。何といっても外の空気はいいし、太陽が眩しい。そんな気持ちだった。

先生には内緒でちょこっとだけ、サンエー経塚シティに朝食の調達に行った。

でも、あの広い店舗を歩くだけで、フラフラしてくる。

一ヶ月で人間の足はここまで衰えるのか・・・。

やっぱりお腹も張ってきた・・・。

先生の言うことをきかなかった自分に反省し、ベンチに腰掛け、夫が買い物を終えるのを待つ。

サンエーで産気づいてはいかんっ!

やっとの思いで車に乗り、家で安静を保った。

 

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私の妊婦時代 その③

2012年01月14日 | 妊娠&出産

私の妊婦生活をキーワードにすると、

”イライラ”  ”切迫早産” ”激太り”  この三つであることは以前書いた。 (→ 私の妊婦時代①私の妊婦時代②

 

 

妊娠22週の頃に切迫早産を診断され、仕事の引継ぎもできないまま、自宅安静生活に入った。

妊娠26週のとき、またもや子宮勁管が短くなっている(だいたい18mm前後、普通初産婦は40mm以上はあるそうな)ということで、入院開始。

 

入院生活はもう二度としたくない。

毎日単調だし、個室じゃないし、院内の散歩も、ベッドの上で座って本を読むことも不可。

ずーーーと横になり続けるだけだ。。。

こんな妊婦生活ありか?って思いながら、子供の為にボーーーっとし続けた。

同室の子は私より2つ下で、同じく初産婦。当時は30週くらいだったかな。

話を聞くと、立ちっぱの仕事で私より過酷な妊婦生活を送っていた。

妊娠6-7ヶ月くらいに出血があり、子宮勁管長が6mmまで短くなっていたらしい。

だからその子は、子宮勁管を糸で縛る手術も受けていた。

 

入院生活の楽しみ

一、朝食

二、朝の回診(胎児の心音チェック&先生に退院したいことをアピールする場だった)

三、同室の子とカーテン越しにおしゃべり(よく看護婦の悪口言ってたな~)

四、掃除のおばちゃんとのおしゃべり

五、読書という名の昼寝

六、2-3日に一回のバスタイム

七、見舞い客とのおしゃべり

八、見舞い客が持ってくる差し入れ(これで太りましたな)

九、仕事帰りの夫との対面(今日も寂しかったよ~とか)

十、テレビ(特にNHKセカンドバージンにハマってた)

 

 

入院中の嫌なこと

一、点滴の差し替えをお願いしたら、看護婦にたらい回しにされる

二、点滴の差し替えお願いしたら、看護婦が刺し間違う

三、週一測る体重の増加が著しい

四、掃除のおばちゃんの掃除が甘い

五、先生に今週も退院不可と言われること

 

入院中は、太い針でずっと点滴。子宮収縮抑制なんちゃらみたいな薬を

一時間に30くらい入れてたな。

 

それにしても、看護婦の点滴針の刺し方には、個人差がある。

角度か経験かやる気か知らんが、上手い人は上手い。下手はいつも下手。

妊婦の大切な血液を、逆流させて、体外に漏らし、ベッドを汚した看護婦もいた。

彼女が言った言葉が、「ごめんねー」

ごめんねーで済むか!普通、仕事で人に傷を負わせたら、「申し訳ございませんでした」でも

済まないぞ!って思ったけど、ここは病院、私は妊婦、精神も安静を心がけました。

 

あとで知ったけど、ずっと点滴生活していると、

血管が硬くなって、刺しにくくなるらしい。私も4回目でやっと体に針が刺さったことがある。

御蔭で(?)、健康診断の採血は、蚊にさされたくらいにしか思えないのだ。

 

いずれにせよ、安静が必要な切迫早産の診断を受けたら、

37週になるまで気が抜けない。

日常生活で使う筋肉さえも衰えそうだから、お産本番にふんばる筋肉あるか不安だったが、

マタニティーエクササイズやヨガなんてできないのさ。両親学級にさえも参加できなかった。

はやく37週迎えて、産み出したい気持ちでいっぱいだった。

 

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