ターボ・モーターの"そんなボクです..."

ギターを弾いて歌う...そしてボクはロックンロールを今日も転がす。
ターボ・モーターの気まぐれダイアリー

live '90

2008年08月06日 | Weblog
1990年のこと...
まぁ、あんまり昔のことばかり書くのも何なんやけど...

1990年はボクの中で、ちょっとした思い出の年になった。
念願のバンドを組んで、ライブを行うことができたからだ。
年頭に始まって、12月まで、バンドややってる音楽はコロコロ変わったが、ようやく「バンドやってます。」的な感じに持っていくことはできた。やっぱ印象に残るライブはいくつか今も記憶に残ってるモノみたい。

1988年に高校入学後、しばらくしてギターを手に入れた。全くの初心者だったボクは買ってしばらくは、ギターを手にして、触っても弾けず、また部屋に飾る...の繰り返し。1989年はバンドブーム絶頂期。(やったと思う。)ホコ天やらイカ天やら(大阪はライブキング)、もうそれはスゴかった。みんな、バンドやってんねん!言うくらいのもんで、「えっ、お前がやってんの?」みたいな...
まぁ、ボクも「えっ、お前が?」組の一員やったけどサ。たぶんネ。

で、メンバー探しに明け暮れた89年が過ぎ、1990年。
年明けくらいに、友人から「ボウイのコピーバンドに誘われてるんやけど、ギター探してるんやけど、やってみれへん?」って声をかけてもらった。もちろん返事はOK!で、メンバーと喫茶店で初顔合わせ。なんかネ、「あっ、ヒムロック好きやねんな~」って感じのボーカルのヤツだった。顔合わせ後、しばらくしてスタジオに入ったんかな?

で、そのボーカルがリーダーで、ある日、ライブ出演のニュースを持ってきた。否応も無く、もうすでに出演は決まってた...
いつかはハッキリとは覚えてないけど、場所は貝塚公会堂。ボクらの一つ上の学年の先輩バンドの卒業ライブに、一曲だけ「飛び入り」というカタチでの参加。

これが、ボクの人前で演奏する、いわゆる初ライブとなったワケ。
で、ボウイの何をするのかと?思いきや、ボーカルが「あっ、曲はバクチクやるよ。悪の華!」と言い放った。まぁ、バクチクはたしかに昔よく聴いてたし、好きな曲もあったけどサ...もう当時、初期ビートルズのマージービートやストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーのギタープレイに夢中になってた(モチロン、自分では全然弾かれへんかったョ。あっ、今も弾かれへんけどなっ。)頃だったので、正直、もうボウイもキツかったんやけど...ちょっとミーハー過ぎてネ。

バクチクて...
BUCK-TICK...
バックチックと読まず、バクチク.......

そんな言葉がリフレインされる中で、ボクはライブに出る決心をした。
ボーカルが新たに、リードギタリストとベーシストを連れてきた。まぁ、サイドギターにまわって正直ホッとしたネ。おかげで、「曲中ほぼ5度のパワーコード、ハーフミュートで8分を刻むだけ」というごくシンプルな演奏でボクは初ライブを飾ることができた。本番はさすがに緊張して、あまりどうやったかは全然覚えてないんやけど、演奏が終わってから、舞台袖で、出演者かスタッフの女の子が「お疲れ様でした~」と優しく声をかけてくれたのが印象に残ってるな...

まぁ初めてライブをやってみて、まぁ、みんなボクよりすごく上手かったと思うんやけど...楽屋の入り口にキレ~イにならんだラバーソウルの靴見て、「何じゃコリャ?」って思ったネ。「個性が無い!」って思った。出てくるバンドも流行りのバンドのコピーばかり...正直「コイツら、ただのファッションやな!」って。
まぁ、自分らもそうやったけどな。何か、初ライブを終えて、スッキリした感じは不思議と何一つ無かったな...変な気持ちやった。

で、家に帰ってから、ケースからもう一回ギターを取り出して、ストレイ・キャッツの「Gene & Eddie」を練習したョ。もちろん、ソロやオブリは弾かれへんからサ。リズムの部分だけ...

でも、その日から、今までより、クリーンでハッキリとしたサウンドを出せるようになった。
それでボクは思った...
「やっぱ、人と同じやったらアカン!もっとカッコエエ音楽をやらなっ!」ってネ。

そんな決心を胸に秘めながら、初ライブを終えたあとも、ボクはボウイのコピーバンドを続けることになったワケやけど...(続く?)

「Gene And Eddie」/ Stray Cats
http://jp.youtube.com/watch?v=afkfos_oQro