ターボ・モーターの"そんなボクです..."

ギターを弾いて歌う...そしてボクはロックンロールを今日も転がす。
ターボ・モーターの気まぐれダイアリー

夏が終わるまでに。

2008年08月17日 | Weblog
あ~気が付けば「お盆」も終わってた...
家とスタジオ、スタジオと家。
しかしこんなことができている事自体が、すごくありがたいことやと思いマス。

さ~明日からも、あっ、ミックスダウンがあるから、今から頑張るでっ!

企画中の「アメグラドライヴィング」...
未だ実行できるメド立たず。
夏が終わるまでには、行きたいもんですナ。

ワケですな。

2008年08月15日 | Weblog
暑い。
お盆なワケですナ。
で、曜日の感覚が無くなったワケですナ。
で、今日はモーター・スリーの練習やったワケですナ。

いつもの岸和田のスタジオで3時間、頑張ってきました。
平日のお昼のスタジオ料金は安くてイイですネ。

新曲、練習したョ。31日にやります!
で、帰ってきたらミックスダウンの作業が待っているワケですナ。

ちょっと微妙な楽器のバランスがすごく気になってしまい、ちょっとノイローゼ気味です...大事なのは、曲にボクらの「心意気」を詰め込んだことを伝えることだと思うので、エモーショナルなミックスダウンを心がけたいワケ...であります!

メシ食ってから、また頑張ります☆

クールビズとは?(タイトル適当)

2008年08月13日 | Weblog
昨日、ある場所で「あっ、クールビズなんで、ネクタイ取ってもらっていいッスよ~」なんて言われたんですが、その部屋がエアコン、ガンガンに効いてたという...もう一度、地球温暖化について考えてみたいと思う今日この頃です。

まぁ、あんまりお金も無いけど、時間も無いね~
が、がんばるぞ~!

そんなこんなでモータースリーのレコーディングも「進んでいるだか、進んでいないんだか...(桂小枝風に。)」

まぁ、ミックスダウンしながら、なんか納得いかへん部分とか出てきたら、録り直しとかしてるから、全然終わらんねぇ。
やはり長い時間、集中力を持続させるのはかなり大変です。
が、妥協はしたくないんで、タイムリミットも気にしながら、着実に進めていきますっ。

今日のBGM 「TEARDROPS FALL」/ (朝から)ウィルソン・ピケット 

オリンピックもスゴイけど、高校野球も応援したい。
そんなボクからの報告だす。


live '90 その3

2008年08月12日 | Weblog
30歳を過ぎて、ようやく酢豚に入ってるパイナップルを受け入れることができるようになった男...それがボクです。

スゴイね、北島、金メダル!200mもガンバレっ!

1990年...夏。
ボクのいたボウイのコピーバンドは阪南市のサラダホール(小ホール)で行われる、楽器店主催のライブイベントに出ることになった。
バンドはボーカルと他のメンバーとの確執(まぁ、実際はそんな大したものではなかったが。)など、様々な不安材料を持ちながら、なんとかライブ当日を迎えた。

このイベントは全部で10数組ものバンドが30分ずつ、ライブをやっていくという長丁場。お昼過ぎにトップのバンドが出て、最後は夜の21:00前くらい。

ボクらは朝から会場入りし、リハーサル。
ひろ~い楽屋に戻って、出番まで、みんなで準備したり、おしゃべりしたり、細かい打ち合わせをしていた。

ボクらのバンドのボーカルは、髪の毛のセットに余念がなかった。ヒムロックになるべく、彼は懸命に鏡に向かって、ドライヤーと格闘していた。
ボクらは、その後ろで、おしゃべりをしていたのだが、残念ながらボーカルの彼との心の距離は修復不可能になってしまっていた...

おそらくこのライブでボクらのバンドは解散。中にはすでに脱退を告げていたメンバーもいたと思う。

そんな待ち時間に、メンバーみんなで、ひとつの作戦を企てた。
ライブの最後に、ボーカルが演奏したがっていた「IMAGE DOWN」という曲のイントロを弾き始め、ボーカルが歌いはじめた瞬間、即エンディングにつなげて演奏を強制終了させるという、ドッキリ的なシロモノだ。「勝手なことばかり言いやがって。そんなにやりたいのならやってやるよ!」的な、やや行き過ぎた感情が、ボクたちをその奇行へと駆り立てた。

全員が同意した直後、ボクらはリハーサルを開始した。
手にしたギター、ベースは生音、ドラマーは自分の太ももでビートを刻み始めた...このバンド始まって以来、最高のグルーヴが生まれた...

ボーカルの髪の毛のセットも終わり、しばらくした頃、ボクらはついに本番のステージに立つことになった。

一曲目はたぶん、「BEAT SWEET」だったと思うが、今となってはもう、記憶はかなり曖昧だ。イントロが始まった瞬間、場内にいた女の子たちが、一気に立ち上がった!まぁ、ボクらが凄かったんじゃなくて、ボウイが凄かったということに間違いなかったのだが。
その証拠に一曲目のギターソロが終わる頃には、はやくも客席は、集団ジャンケンの決勝戦さながらの情景になっていた。

ライブ本編はとにかく必死で演奏した。「LIKE A CHILD」や、「PLASTIC BOMB」、「ONLY YOU」など...表現力なんて言うのもおこがましいくらい、本当に稚拙なプレイだったと思うがボクらは何とか、最後の「No!N.Y」まで持ち込んだ。

「No!N.Y」の最後のEのコードをかき鳴らし、エンディングをひっぱるメンバー...そう!いよいよ、幻の「IMAGE DOWN」の時間がやってきた。

しかし、本当にやるのか?
楽屋では悪ノリしてたが、今はライブの本番。ましてやラストの場面...
これでお茶を濁して、ボクら全体が「イメージダウン」になるのではないか?
さすがに、ボーカルに対して「かわいそうなのでは?」などなど...
(後になって、この時の事をみんなで振り返ったことがあったが、やはりみんな同じ気持ちだったらしい。)

ボーカルはこれでライブが終了したと思っていた...
ボクらバックのメンバーはお互いの顔を見合わせた...

すると、ドラマーが軽くうなづいて、カウントを4つ入れた。

ほんの数秒のことだったと思うが、ボクにはとても長い時間に思えた。
ドラマーがカウントを入れた瞬間、様々な葛藤は、すべて吹き飛んだ...
そして、ボクたちは「転がる石」になっていった。

リハーサルも入念にやったおかげで、演奏は完璧だった。
「IMAGE DOWN」のイントロが流れた瞬間、ボーカルはやはりテンションが上がった。それは当然。「お前らやるじゃん!」的にニュアンスは十分に感じ取れた。

ボクたちは楽屋での打ち合わせどおり、タイトに演奏をしめくくった。
なぜなら、イントロとエンディングしか、本当に弾けなかったからだ。
(全部通して演奏できるなら、とっくにレパートリーとしてライブ本編で演奏していただろう。)

もちろん、イントロとエンディングを完璧につなぎ合わせて...

ヒムロックみたいにキメたボーカルは「♪カッコがいいよ、お前はいつでも~」と歌うところが、途中で演奏が終わったため、「カッ....???」ってなちょっとおかしな歌い方になってしまった。

そしてライブは終了...ボーカルはちょっと淋しそうに、ステージを降りていった。

まぁ、正確に言えば、この後でもうひとりのギタリストがやりたいってリクエストしてた「Johnny B' Goode.」(チャック・ベリーじゃなくて、ジミヘンっぽかったけどネ)をボーカル以外のメンバーで一曲だけプレイした。ボクもアドリブソロをやった。

そのライブの模様はビデオに収められていて、しばらくは「飲めない酒の肴」になったりしたような気もするのだけど、まぁ、今となっては当時のボーカルに申し訳ないって気持ちでいっぱいだ。いや、ウソはつきたくないから、「いっぱい」ってワケじゃないけど、少なくとも今だったら決してやらないと思う。
というか、やはり、やってはいけないと思う...

そんなこんなで、1990年の暑かった夏。ボクらのバンド「ルパンとその一味」のギグは終わった...もう完全にバンド自体は空中分解の様相を呈していたが、ボクには感傷など無かった...ライブの感想も、たしかに上手いバンドはいたが、どれもこれもやはり同じたぐいのモノばかりだった。ZIGGYの「I'm Getting Blue」なんて、この日のライブだけで3回も聴けたんだもの。

いよいよボクは、本格的に初期のビートルズや、50~60年代のアメリカンポップス、ロックンロール...俗に言う「オールディーズ」をプレイできるバンド(まぁ、ビートルズはオールディーズだなんていまだに思っていないが。)がほぼ結成となりつつあり、おまけに初ステージの話まで決まっていたのだから、もう気持ちはすっかり、そちらに夢中になってしまっていた。

当時、ボクら世代で、そんな音楽をやってるバンドは他にいないだろうと思っていた。
このサラダホールのライブで「Johnny B' Goode.」をプレイしたときも、照明やPA、スタッフのオジサンたちが、嬉しそうに聴いてたことを、後で誰かがボクたちに教えくれた。

これ以後もボクたちが50~60年代の音楽をプレイすると、珍しがられたり、「あら、キミたち、なかなかイイネ~」なんていいながら、ミョーに昔を懐かしがられたりもした。
そりゃ、褒めてくれれば、悪い気なんて全然しないけど、ボクは、やりたい音楽をただ胸を張ってやってるだけ。もちろん、今も昔も...そう、これからも。
古ければ何でも「いい音楽」だなんて、ちっとも思っていないし、
別に誰かに気に入られようなんて思ったことも無い。

【Image Down】~【Baby Action 】
http://jp.youtube.com/watch?v=fBsz62IJpYg&feature=related

ボウイ、ボクは好きやで。
だってこれ、ロックンロールやもん。
当時はそんなふに思わんかったけどなっ。

リハ~漫画屋へ。

2008年08月11日 | Weblog
昨夜は夕方から、岸和田のスタジオで、モーター・スリーのリハ。
いよいよライブに向けて、本格始動?だす。

終わってから久しぶりに「漫画屋」さんへ。
バンドメンバーで行くのは、今回が初めて。
12時くらいまで、いろいろおしゃべりしてました~

8月31日は熊取・スティングレイでのライブです!
も一回、告知だすっ。

◆「Hard Day's Rock'n'Roll Night!!」
2008年8月31日(日)
熊取 ライブ・バー「STINGRAY」(スティングレイ)
住所 大阪府泉南郡熊取町大久保1726 コスモビル1F
TEL 072-453-2511

開場 19:00  開演 19:30
w/ The Beatways、THE ROOTS、PRIDE

入場料 \2.000(2ドリンク付)

主催 ジャンキー大阪PRESENTS
協賛
★R.S.F  Crazy Chrome Christ
http://crazychromechrist.rakurakuhp.net/

★バイクショップ和猿
http://monkeyroom.ocnk.net/
090-9983-6027  072-234-5129

夏の終わりに、ロックンロール。
THE MOTOR 3も新曲、新カヴァーをひっさげて、ガツンといきます!
みんなで遊びに来て下さいネ☆



live 90’②

2008年08月09日 | Weblog
昨夜のオリンピック開会式に、かなり感動を覚えました。
そんなボクです。

1990年。
ボクは念願のバンドを結成し、初ライブを行った。
※初ライブの模様は8月6日付のブログに書いてるので、よかったら見てネ。

楽屋入り口にキレイに並んだ、み~んな同じのラバーソウル、
一生懸命にツンツンに立てた髪の毛。ちょっとキバってガーゼシャツ...
そんな、超画一的な「オラが町のロックシーン」にはちょっと閉口してしまったけど、ボクのハートの中には、新たな目標(もはや野望に近かったが)が日を追うごとに、ハッキリと見えてくるようになっていった。

そう、ビートルズ!特に初期のマージービートに、約1年くらい前からボクは心底ヤラレていたのだった。「コレやねん!、ボクがやりたいのはコレやねん!」って。
当時のどんなビートパンク(懐かしい単語でしょ?)のバンドよりもビートが効いていて、しかもパンクバンドやな~って本気で思ってたョ。だってあのハンブルグでのライブの「TWIST & SHOUT」聴いたら、もうそう思わざるを得んかったもんネ。それがその当時(90年)からまだ30年近くも前のことやったねんからなっ。

で、バンドのスタイル的なこだわりは全くと言っていいほど無かったけど、やりたい音楽だけは、決まったんで、さっそくメンバー募集を開始。
知り合いに「ビートルズやれへん?」って言うても、返事は「?」か「No!」...
全然ピンと来てない様子だった...
で、当時の雑誌「バンドやろうぜ」や「Player」にメンバー募集の記事を掲載してもらうために、投稿用のハガキを書いて、ポストに投函。掲載までは3ヶ月待ち...

(今は、インターネットがあって、ホンマに便利やね。思いついたらすぐ、書き込める。組めるかどうか分からんけど、早かったらその日のうちに連絡が来る。)

そんな募集記事の掲載を首を長くして待っていた、梅雨明けの頃。
BUCK-TICKの「悪の華」で鮮烈な(?)デビューを飾った、ボクの在籍しているバンドの2回目のギグが決まったのだ。1回目は1曲だけの飛び入り的な出演だったが、今回は30分。ボウイのコピーバンドとして出るらしい。やはり、ギターを始めるきっかけになったボウイを演奏するのは、せっかくの機会だと思ったので、ボクも「やるよ!」と返事した。バンドは、直前になってギタリスト(ボクの友人)が参加することになった。ベーシストも前回からメンバーチェンジした。

そんなこんなで、本当にギリギリに岸和田「YOUNGレコード」のスタジオでリハーサル。始めは意気揚々とライブに臨もうとしていたボクらだったが、次第に様々な問題がボクたちのバンドに襲い掛かってきた。

中でも大変だったのは、ボーカルのメンバーのライブに対する思い入れが強すぎたことだ。
でも、たしかに気持ちはよく分かる。せっかくのライブのチャンス、「あんな曲もしたい、こんな曲もイイな~」と、バンドのライブでのセットリストは直前になって、どこかの食堂の日替わりランチ以上に目まぐるしく変わっていった...

バックで演奏するボクらは、新たに曲を覚えたりする時間はすでに無かったので、実際、この過度な要求はかなり負担になっていった。
もういい年した、今となっては、じっくり話し合って解決していくこともできただろう。しかし、当時のボクらはあまりにも若くて、そのようなバンドに対する考えが未熟で稚拙だった...(ボクだけかも知れないが。)

もうライブ当日にたどりつく頃には、ボクもウンザリしてきてしまい、早くもこのバンドの終焉が近づいていることを感じ取らなければならなかった。

それでもライブ当日はやってくる。
場所は阪南市のサラダホールの小ホール。地元の楽器店主催のライブだ。
一枚300円という破格の安さを誇るチケットも手元に届いていた。

結局ボクたちは、一番最初に決めたセットリストでライブに臨むことになった。
そして事件は起こったのだった。

続く...

シャワーを浴びて聴いてみようョ。
「No! N.Y」。
http://jp.youtube.com/watch?v=cHTTBB-hNRU&feature=related

オリンピック開幕!

2008年08月08日 | Weblog
今度のライブは衣装がSPEEDO社製というバンド「THE MOTOR 3」のボーカル&ギター...それがボクです。最速で転がりまっす。
あっ、SPEEDO社製はウソです。(当たり前)

レコーディングはというと、一部録り直しをしながら、ミックスダウンに取り掛かりつつある今日この頃。
やっとここまできた感があります。が、まだまだこれからです!

今週末からはライブへ向けてのリハも始まるし、かなりバタバタです。

先日、某たこやき屋の店主が、「味里」から写メを送ってきました。
あ~ボクも行きたい!
久しぶりにカレーうどんを食べに行きたい今日この頃。

どこにも行かず、誰とも会わずで...特にネタ無しです。

追伸:タイトルは内容と一切関係ございません...


ちょっと曇り。

2008年08月07日 | Weblog
この夏が終わる前までに、詩吟ネタのキメ台詞、
「あると思います!」をゴキゲンにキメてみたい...
そんなボクです。こんちわ。

http://jp.youtube.com/watch?v=Qn4Y2zM4gJs&feature=related

永ちゃんの娘、エイベックスからバンドでデビューするねんな~

http://www.barks.jp/news/?id=1000042358

暑い毎日が続き、ちょっと夏バテ感が早くも...
あ~ウナギ食べたい。


live '90

2008年08月06日 | Weblog
1990年のこと...
まぁ、あんまり昔のことばかり書くのも何なんやけど...

1990年はボクの中で、ちょっとした思い出の年になった。
念願のバンドを組んで、ライブを行うことができたからだ。
年頭に始まって、12月まで、バンドややってる音楽はコロコロ変わったが、ようやく「バンドやってます。」的な感じに持っていくことはできた。やっぱ印象に残るライブはいくつか今も記憶に残ってるモノみたい。

1988年に高校入学後、しばらくしてギターを手に入れた。全くの初心者だったボクは買ってしばらくは、ギターを手にして、触っても弾けず、また部屋に飾る...の繰り返し。1989年はバンドブーム絶頂期。(やったと思う。)ホコ天やらイカ天やら(大阪はライブキング)、もうそれはスゴかった。みんな、バンドやってんねん!言うくらいのもんで、「えっ、お前がやってんの?」みたいな...
まぁ、ボクも「えっ、お前が?」組の一員やったけどサ。たぶんネ。

で、メンバー探しに明け暮れた89年が過ぎ、1990年。
年明けくらいに、友人から「ボウイのコピーバンドに誘われてるんやけど、ギター探してるんやけど、やってみれへん?」って声をかけてもらった。もちろん返事はOK!で、メンバーと喫茶店で初顔合わせ。なんかネ、「あっ、ヒムロック好きやねんな~」って感じのボーカルのヤツだった。顔合わせ後、しばらくしてスタジオに入ったんかな?

で、そのボーカルがリーダーで、ある日、ライブ出演のニュースを持ってきた。否応も無く、もうすでに出演は決まってた...
いつかはハッキリとは覚えてないけど、場所は貝塚公会堂。ボクらの一つ上の学年の先輩バンドの卒業ライブに、一曲だけ「飛び入り」というカタチでの参加。

これが、ボクの人前で演奏する、いわゆる初ライブとなったワケ。
で、ボウイの何をするのかと?思いきや、ボーカルが「あっ、曲はバクチクやるよ。悪の華!」と言い放った。まぁ、バクチクはたしかに昔よく聴いてたし、好きな曲もあったけどサ...もう当時、初期ビートルズのマージービートやストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーのギタープレイに夢中になってた(モチロン、自分では全然弾かれへんかったョ。あっ、今も弾かれへんけどなっ。)頃だったので、正直、もうボウイもキツかったんやけど...ちょっとミーハー過ぎてネ。

バクチクて...
BUCK-TICK...
バックチックと読まず、バクチク.......

そんな言葉がリフレインされる中で、ボクはライブに出る決心をした。
ボーカルが新たに、リードギタリストとベーシストを連れてきた。まぁ、サイドギターにまわって正直ホッとしたネ。おかげで、「曲中ほぼ5度のパワーコード、ハーフミュートで8分を刻むだけ」というごくシンプルな演奏でボクは初ライブを飾ることができた。本番はさすがに緊張して、あまりどうやったかは全然覚えてないんやけど、演奏が終わってから、舞台袖で、出演者かスタッフの女の子が「お疲れ様でした~」と優しく声をかけてくれたのが印象に残ってるな...

まぁ初めてライブをやってみて、まぁ、みんなボクよりすごく上手かったと思うんやけど...楽屋の入り口にキレ~イにならんだラバーソウルの靴見て、「何じゃコリャ?」って思ったネ。「個性が無い!」って思った。出てくるバンドも流行りのバンドのコピーばかり...正直「コイツら、ただのファッションやな!」って。
まぁ、自分らもそうやったけどな。何か、初ライブを終えて、スッキリした感じは不思議と何一つ無かったな...変な気持ちやった。

で、家に帰ってから、ケースからもう一回ギターを取り出して、ストレイ・キャッツの「Gene & Eddie」を練習したョ。もちろん、ソロやオブリは弾かれへんからサ。リズムの部分だけ...

でも、その日から、今までより、クリーンでハッキリとしたサウンドを出せるようになった。
それでボクは思った...
「やっぱ、人と同じやったらアカン!もっとカッコエエ音楽をやらなっ!」ってネ。

そんな決心を胸に秘めながら、初ライブを終えたあとも、ボクはボウイのコピーバンドを続けることになったワケやけど...(続く?)

「Gene And Eddie」/ Stray Cats
http://jp.youtube.com/watch?v=afkfos_oQro



ベースREC。

2008年08月04日 | Weblog
日曜は午後から、ベース録り。
マモルさんと合流し、びっくりドンキーで腹ごしらえ。

で、自宅に戻って。録音開始!
やっぱベースが入るとグッとバンドらしさが増しました。
マモルさん、ホンマお疲れさまでした~!

まだもうちょっと音入れせなアカンのですが、今週中くらいには、ほぼ録り終えそうな感じですナ。まだミックス・ダウンがあるけどネ。

The High Numbers Live! 「 Ooh Poo Pah Doo 」(1964)
http://jp.youtube.com/watch?v=miUdjQ8zs8Q&feature=related
THE WHOと名乗る前のバンド。イカしたR&Bナンバー!
「LOUIE LOUIE」で有名なキングスメンもやってたっけ。