Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

ガラス越しの面会

2020年06月13日 | 日記
 先日、夫と一緒に高齢者施設に入っておられる教会の信徒の方に面会に行く機会がありました。面会も事前に予約し、当日は大きな移動可能なガラスのつい立がその方と私たちの間にしきりとなっておかれ、面会時間も15分以内でした。その方の元気なご様子を伺えて安心しましたが、あらため、”With コロナ”の時代の面会方式なのだと思わされました。それでも、実際お会いできるのでネットによるリモート面会よりはベターだと思います。

 ”「解決」はできなくとも「解消」はできる”という日めくりカレンダーの言葉が目に留まりました。ガン哲学を専門とされる樋野先生というお医者さんが書いた本*の言葉ですが、このお医者さんはガンにかかった方とその家族に寄り添うために、執筆活動やセミナー、またこのような方々が自由に話しをし、それを傾聴するスタッフがいる「がんカフェ」を全国に広めた人です。多く方が彼の本のことばに励まされ、またそのカフェに行くことで”With 病”という、いわゆる完治しなくともがんを抱えながらも前向きに生きていく勇気と励ましを得たことでしょう。

 彼が言うように、多くの問題は完全に解決できないかもしれません。しかし、今社会で多くの人々が、未解決状態において、困難な状況で色々工夫され、開発して商売を続けたりして少しづつ解消している人がいると思います。一方で、長年続けてきたことを止めなければならない人もいるかもしれませんが、それでも別の道が開かれるはずです。人生において、未解決状態であっても、前進が可能だと思うのです。

 時に、問題があまりにも大きく、長期的だと、何が根本的問題なのか、また何が今必要なのかもわからなくなることもあります。言葉に表せないということがあると思います。今朝読んだ下記の聖書の箇所に、私は再び励まされました。クリスチャンが持っている希望の一つに、そのような自分の混沌とした心の状態で、どう祈ったらいいかさえも、いや祈る気持ちの余裕がない祈れない時でさえも、代わりに心の中におられる、神様が与えてくれた聖霊(御霊)が、かわりに神様に祈ってくれるというのです。それも、自分の視点でしか問題の解決、解消方法が見えない場合も、それを超えた神様の計画、み旨にかなうように、代わりに祈ってくれるというのは、大きな安心感を与えられます。自分が祈れない時さえも、自分が知らないところですでに、聖霊がとりなしの祈りをしてくれているという、大きな神様への感謝とその懐の深い愛を覚えます。

 日々、色々なことが同時進行でおこり、対応したことないことを経験する度に、頭が回らない、結果ミスをするなど、自分の能力のなさに落ち込むことがあり、その最中には祈っている余裕もないというのが現実です。それでも、トイレに行った時、廊下を歩いている時など、時間を見つけて神様と会話をして、仕切り直していければと願いつつ、神様から頂く日々の恵に感謝して過ごしていきたいと励まされます。
 
 「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。」ローマ信徒への手紙8章26-27節

*「人生を変える言葉の処方箋」、樋野 興夫著、いのちこことば社フォレストブック発行