Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

梅の季節

2021年02月14日 | 日記
 先日、近隣の公園に3KMのウォーキングコースがあり、休日にそこを歩いていた時のことです。季節は梅の花が咲き始めるころでした。その公園内の梅園では、まだほとんどが蕾でしたが、白や赤色の梅が少し咲き始めていました。世の中の状況がどうであっても、季節ごとに必ず芽を出し、蕾を膨らませ、花を咲かせていく自然の美しさを観る度に、これらを創られた神さまの業を思い、畏敬の念とともに感動を覚えます。私たちは自然の美しさを求めて、以前はよく日帰りで観光地へ出かけたものですが、最近は人混みをさける時勢であるので、代わりに近隣の普通の公園や、畑や田んぼの道、また小さな森の中トレッキングコーすなどに出かけています。そして、そこでもいつも素朴な自然の美しさを発見し、本当に幸いだと思います。
 イギリスの数学者、哲学者でノーベル賞を受賞したバートランド・ラッセル氏によると、「飽きることへの恐れは少なくとも人類の半分の罪の原因である」と言ったそうです。私は彼がどういう文脈でこのことばを記したのかは詳しくは知りませんが、一般の哲学者からみても、人がもっと、もっとと新しいこと、新しい刺激を追い求めるという欲は、良くない結果を引き起こすと観察していたのだと思います。一方で、人類の新しい技術を求める探求心、好奇心によって、人々の生活が豊かになり、芸術やスポーツ、文化活動は発展していきますし、これら自体は良い物です。しかし、”Curiosity killed the cat”(好奇心が強すぎると身を滅ぼすことになりかねないという英国のことわざ)という面もあります。また、社会が豊かになって、科学技術がどんなに進もうとも、すぐ飽きてしまってもっと他のものを欲しがる人の欲とそれに起因する犯罪、人間関係の悪化、戦争の勃発等は全く改善しておらず、かえってより複雑になり、悪化しているといってもよいでしょう。
 私はもともと、新しいもの、新しいことを追い求めてお金を使わない者で、夫も同様でした。人々はこれらの物に並んで高いお金をだして購入していますが、並んで買うバーゲン等には全く興味がありません。しかし、最初から物欲がなかったわけではありません。20代のころは、新しいスポーツや習い事にチャレンジしたり、旅行に行ったりしましたが、それらは全て一時的で、長く続きませんでした。これらはみな飽きてしまい、それ以上続けることに価値を見いだせなかったのです。結論はみな一時的楽しみであり、私の心の深いところを、継続的に満たすもの、価値のあるものはこの世にはないということでした。もしかしたら、つまらない人間とみなされるかもしれません。しかし、自分では日々とても充実していて、満足できるので幸いです。これは、イエス様を信じる信仰が与えられてから、今迄気がつかなかった神さまの与えて下さる恵みで喜ぶことができ、結果、かなりシンプルに物事をとらえるように変えられてきたのだと思います。 
 自分を含めた人の言動を見ますと、感動する話もありますが、ニュース等、ほとんどが残念に思う、落胆することが多いです。しかし、神様がこの素晴らしい自然と人を目的をもって創られたこと、そして、人を大切に思い、命を永遠に続けてほしい、神と和解してほしいと願われて、神の御子イエス・キリストをこの世に送って下さったことを思うにつけ、感動します。なぜ神さまは、欲を追い求めてしまう、自己中心的な私たち人間に価値を見いだし、御子の命まで犠牲にして、忍耐して愛し続けてくれるのか。それも、良い行いをする人間のためだけでなく、全ての人のために。聖書に記されているみ言葉をとおして、このことを知るにつけ、ただ、感謝の思いで、賛美を捧げ、礼拝したいという思いが沸きあがります。
 下記の箇所は、古代ユダヤ人国家の王であるダビデの詩です。彼の人生は波乱万丈で、失敗もありましたが、生涯神様と共に歩み、そして神様は彼を愛されました。彼も、神様が創られた月と星の美しさを見て、このような大きな宇宙の中の小さな存在である自分を顧みて、守ってくださる神様に対して、驚きと感謝、そして畏敬の念を覚え、この詩をつづったのではないかと想像します。この詩を読んで思うのは、本当の変わらない神様の深い愛が、自分自身に向けられていることを知った時、今与えられているものや状況に満足し、不必要な欲、つまりむさぼる心は自ずと薄れていくのではないかと思わされます。神さまの恵が私の心の深いところをいつも満たして下さり、私の願いが、神様のみ心がなるようにと思えるように変えられていく、これは驚くべきこと、ワンダフルな神さまのなさる業の一つではないでしょうか。

「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩編8篇3-4節