Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

政府を批判する前に

2020年05月19日 | 日記
 アベノマスクが来ない!10万円の給付金の案内が来ない!休業補償が十分じゃない!経済の回復をどうするつもりか!「緩み」とか言わないでほしい!

 メディアでも、人との会話でも巷ではこのような政府に対する不平、文句のことばが飛び交います。私もうっかり、家族に言ってしまいがちです。しかし、不平、批判を言うのは簡単ですが、ではもし自分が政治家たちの立場だったら、もっと良く出来るのか?と問いつつ、批判するのを止めて、彼らが適正で知恵を得た政策を施行していけるように、日々祈ることにしています。そして、すべて政府が解決してくれると思わず、新しい生活スタイルに自らどう行動していくかを考えた方が、建設的で効果的ではないかと、自分自身に言い聞かせています。

 第35代大統領 のジョン・F・ケネディ氏が就任時のスピーチで、「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるか考えてみましょう 」といったのはある意味、的を得ていると思います。結局、国というのは国民全体の協力がなければ、いくら政治家だけが法律を整備し、政策を打ち出しても、その主体は国民です。もちろん、お上に盲目的に従うのではなく、独裁的、不条理な政策に対しては、非暴力的方法で声を挙げてそれをストップさせなければならない時もあります。しかし、今のように、国民の安全を守ることと経済活動のバランスをどう保っていくかは政府にとっても困難な課題であり、段階的政策が必要です。政府も試行錯誤をせざるを得ない状況とある程度理解しようと務め、批判ではなく、どうしたら互いに協力しつつ、生き残っていけるかを模索していかなければならない時ではないでしょうか。

 キリストの使徒パウロは、2千年前のローマ帝国独裁政治時代の人でした。その信仰ゆえに、政府から迫害され、投獄、最終的には死刑に処せられたと伝えられています。しかし、彼は迫害されても忍耐し、今日の聖書の箇所は、彼がその迫害の最中で書いた、テモテという自分が信仰を育てた教会のリーダーへの励ましの手紙の一節ですが、そこで王や上に立つ政治家たちのために祈りなさいと勧めています。自分の家族が処刑されたり、自分も地下で隠れて生活しなければならないという状況であれば、革命を起こして武力で政府と対決することで平和を得ようとするのが、人間が今まで歴史的に繰り返してきたことです。しかし、真のキリスト者は違います。どんな政治家であっても、その人たちのために祈ることが神様の愛の実践、平和へ至る道だと、これはキリストご自身が言われてきた教えにそっています(前日のブログ参照「祝福するとは」)。この時代の上に立つ政治家とはローマ皇帝で、しかもクリスチャンに対する最も残虐な迫害で有名なネロ皇帝でした。自分を迫害する相手のために祈る事で、祈っている私たち自身が、安らかな生活を送り、信仰を持ち続けて過ごせると、それが神様のみ心にかなうことだからと説明しています。祈っていても表面的には不安定で苦しい生活が続くかもしれませんが、心の平安、信仰は持ち続けることは可能であり、心の中でどう思うか、信じるかまで、他者や政府がコントロールできないですし、誰もこの信仰を取り去ることは出来ないのです。

 日々のニュースで政府の政策が報じられる時、批判的な気持ちが沸いてきたら、それを「神様、彼らに知恵が与えられ、国民の生活のため良い施策が行われますよう、彼らを導いて下さい」と、出来るだけ具体的な願いも含めた祈りに変えていこうと思います。そして、たとえ状況が思わしくなくとも、祈るときには感謝できることを見つけて、神様への感謝を忘れずに、そして神様は人間を大切に思って、救おうとしておられる全能のお方であり、必ず良い方向に導いて下さる方だと信じて祈り続けようと思います。

「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。」第一テモテへの手紙2章1-3節