Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

ラテンの人から学んだこと

2020年07月05日 | 日記
 20年前のことです。スペイン在住の日本人の友人を訪ねるついでに現地の語学学校に2週間、観光で2週間というプランを建てて、独りでスペインへ行ったことがあります。ホームステイでお世話になったスペイン人の方から気付かされたことがあります。ホストファミリーのご主人がこういいました。「日本人は働くために生きるんだろう?わしらは違う、働くために生きているのではなく、生きるために働くんだよ!」(”trabajar para vivir y no vivir para trabajar”) 日本人はラテンの方々からすると、なぜそんなに働くのかと不思議がるほど勤勉なのでしょう。彼らは仕事は生活の為にするけれども、あくまでも仕事は生きることを楽しむための手段と割り切る人が多いようです。最近の動向は知りませんが、おそらく、これが彼らの仕事と人生に対する考え方の根底にあるものなのでしょうか。一方、人種的傾向性に関わらず、仕事をいい加減に、無責任に行うことは、常識的に許されない世の中です。なぜなら、お給料を支払われている限り、それに相当する労働力を提供するという契約社会の中に私たちは生きているからです。しかし、まじめに仕事していて、過剰な仕事の責任感に押しつぶされ、心の病を患ったり、過労死してしまったら、一体だれがその人の命の責任をとるのでしょうか。

 「仕事が出来なくなったら終わりだよ」病気になって、今迄の仕事が出来なくなったある日本人の方がこう私に言われました。そしてその方は絶望の中にいて、私がいくら励ましの言葉や、仕事だけが人生ではないし、生きていること自体が大切であることを言っても、耳を傾けてくれなかった、という悲しい経験をしたことがあります。仕事が生きがい、プライドとなることは良いことですが、それが全てになってしまうと、ラテンの人曰く仕事の為に生きている人生となります。もちろんそれ自体が良い悪いの問題ではなく、個々人の価値観だと思いますが、どんな人種でもどの職業についていたとしても、仕事より命、生きることの方が優先順位が高いと思います。

 仕事より人生を楽しむ、もしくは仕事が人生と、どちらか偏りすぎると、様々な問題が起こります。私は感謝なことに、キリストを信じて新しく歩もうと決めた時から、生きることへの価値観が変わり、これらのどちらにも偏らない、もっと大切なこと:キリストのために生きるという目的が人生の優先順位として与えられました。聖書では、勤勉に働くことの大切さが書かれています。例えば、2千年前すでに「この世の終わりがくる、キリストが再臨する!」と騒ぎ、どうせ終わりが来るなら働くのを辞めようといったクリスチャンがいました。それに対して使徒パウロは、きちんと働きなさいと下記の聖書の箇所にあるように戒めています。また、家々を回りゴシップをばらまく若い未亡人のクリスチャンが当時いたようですが、その人たちにもパウロは注意をしています*1。


 聖書では困った人の救済をし、慈善、施しをするようにも書かれています。ですから、心身的に病気があって働けない人は、社会の福祉的な恩恵を感謝して受け取られれば良いですし、働きたくとも働けない状況もあります。私も職がみつからない時期、病気で働けない時期などが過去あり、いつも働けていたわけではありませんでしたが、その時その時、周りの方々に支えて頂き、神様は私を養ってくださいました。また、この仕事をしてはならないとか、この仕事の人が素晴らしい、といった細かいことも記されていません。従って「互に愛し合いなさい」というキリストの教えから類推し、法律を犯したり、他者を傷つけたりするような仕事でない限り、その人が出来る仕事であれば、どんな仕事でも良いのです。すると、信仰生活が健全に日々続けられるという優先順位だけを残し、仕事を選ぶことにおいて、これでなくてはならないというこだわりが削られ、またことさらに或る職種を称賛、もしくは見下すこともなくなります。お給料に換算されない働き、例えば家での家事、子育て、ボランティア活動も仕事です。
 大変な、辛い仕事をしている方々に対して、日々感謝の念を持つことも大切であり、特に今の時期は、医療従事者の方々のために健康が守られるよう祈りたいと思います。信仰を第一優先にすれば、食べる者も与えられ、必要は満たされる(つまり仕事も与えられる)*2とイエス様は約束されているので、生活のことは思い煩わす、安心して、神様に様々なことを祈り、導きを求めていきたいと思います。

「そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。 」テサロニケ信徒への手紙 第一 4章11-12節


*1「その上、彼女たちはなまけていて、家々を遊び歩くことをおぼえ、なまけるばかりか、むだごとをしゃべって、いたずらに動きまわり、口にしてはならないことを言う。…反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。」 第一テモテへの手紙5章13-14節
*2 「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」マタイによる福音書6章33-34節