Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

「ちっちゃいこえ」:「原爆の図」よりアメリカ人が作った紙芝居

2019年09月18日 | 日記
 日本が受けた原爆の被害を次の世代に伝える方法はたくさんあります。一つ一つの媒体があまりにも衝撃的で、それらを見る度私は嗚咽と涙を隠せません。戦争や原爆の被害という目を覆いたくなるような事実を伝えることは、これらが二度とあってはならないということを伝えることです。このことを次の世代、小さい子どもたちへ、どの媒体で伝えたらよいかと考えていると、紙芝居という方法に出逢えました。先日、「ちっちゃいこえ」*1という「原爆の図」*2の絵を用いた紙芝居を原爆の図 丸木美術館を訪れた時に折しも手に入れることができました。表紙は猫の絵。ちっちゃいこえとは、細胞が出している命のひびき。あの日、広島の生き物すべてにふりかかったことを題材にしています。

 この紙芝居の作成者(脚本家)がアメリカ人の詩人というのも興味深かったのです。今回教会の研修会で訪れた丸木美術館では、私は消化しきれない程多くのことを知り、またその絵が訴えるメッセージ性の強さに圧倒されました。 丸木夫妻の描いた原爆の図には、現実の丸焦げの死体やケロイドを負った人々が描かれていません。むしろ、裸体の子供・大人が綺麗に描かれています。ただ、かれらの目と、全体的な構図が、嘆き、苦しみ、絶望、生と死を訴えていて、ある意味絵画という表現の方が、リアルな写真よりも深く考えさせる手法ではと思わされます。原爆というテーマだけにとどまらず、歴史上の人間のしてきたことの酷さを描くことを通して、芸術家丸木夫妻は、命の大切さを表現したかったのだろうと、その学芸員の方が解説されていました。

 被害者と加害者。私は、原爆の図を通して、この二つをどちらかの国に当てはめることが実はできないという事実、くっきり分けられない局面があることを認識しました。誰が悪い、良いという議論ではなく、この原爆自体が、虐殺が、戦争が、人としてあってはならないことだと捉える必要があります。しかし、歴史は繰り返します。人間という生き物の罪深さを思い知らされます。その罪から抜け出せないのは、神を畏れないことが根本的原因であると私は信じます。多くの人は神の存在を否定し、もしくは人間に都合よい偶像の神々を気休めに作って利用し、人間中心の世界に生きているのではないでしょうか。聖書によると、人はもともとは神の形に似せて作られた良い被造物でした*3。しかし、最初の人間が神から離れ、罪の性質がもたらされ、その後の人類は全て生まれながらにして、その性質:原罪を持ち、よって自分中心にしか考えられない者、神を信じない者になってしまったのです。*4

 しかし神様はそこで終わらせません。最初の人間が犯した失敗を、最後の人間として神様から送られた神の子である、キリストが、全てを回復するためにこの世に来られたのです。キリストは、全ての人がその罪から解放され、救われるために、人類全ての罪の罰を十字架上の死を持って代わりに負われました。そして、3日後に復活され、天の神様のところに戻られ、今も私たち一人一人のことを観て下さり祈りを聞いて下さいます。そして、神様は私たちの地上での新しい歩みを助けるために、聖霊という神の霊を信じる者一人一人に与えて下さりました。

 私は以前、自分を含めた人間の限界や悪、繰り返す戦争、命が軽んじられるという不条理な事件に出会う度、ただ心を痛め、怒り、やるせない思いでいました。親がクリスチャンでしたので、小さい時に良いこととして聖書の知識を与えられましたが、自分の深いところにある罪を自分の力で治めることが出来ませんでした。自分の力や教育、訓練だけでは良い人間になれないこと、したいと思うことをできない、したくないことをしてしまう、そんな情けない自分に絶望していたものです。そしてどうしたらよいのか悩み、紆余曲折して、やっと大人になって、この自分の罪の性質から救うのはキリストしかいないと、キリストを信じる信仰に導かれたのです。それ以来、くり返し起こる悲しい事件に対して、単にやるせない思いにとどまらず、もしくは恐れて逃げる、耳をふさぐのではなく、神様がいつかこのことを正義と公平を持って扱って下さると神様に委ねています。これは、全ては神様にあって解決方法・摂理があるという希望を持つ事ができるように変えられたからであり、本当に感謝なことです。このキリストに在る平和が個々人の内側に与えられるよう祈りたいと思います。また、自分自身の内側から罪が出てきた時に、神様の前にその都度持って行き、ごめんなさいと告白して赦しを頂き、聖霊の導きにより、日々主と共に歩んでいきたいと願います。

「主(イエス・キリスト)は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。」 ローマ人への手紙4章25節~5章2節、()は筆者の追記

*1 「ちっちゃいこえ」いのちのひびきに耳をすます紙芝居 脚本 アーサー・ビナード、絵 丸木俊・丸木位里 「原爆の図」より
*2 丸木位里・丸木俊 「原爆の図」シリーズ、原爆の図 丸木美術館所蔵、埼玉県東松山市
*3 「神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。 」創世記1章26、31節
*4「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。 」ローマ人への手紙5章12節
(引用、口語訳聖書)