Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

いつまでも残るもの

2022年08月11日 | 日記
栃木県の益子町では、毎年夏に「ひまわり畑」が見頃となります。遠くから見ると、広大な緑の田んぼの一角が黄色一色となっています。そこがちょうど私の通勤路にあたり、朝早くから多くの観光客がカメラを構えてそのひまわり畑を撮っている姿を横目にし、その美しい光景に癒されております。しかし、しばらくするとその黄色が茶色になり、秋に入ると突然その広い一角からひまわりがなくなり、整地され、翌年には畑もしくは水田に代わります。花畑は美しいけれども、いつまでも残るものではありません。それでもひと時の楽しみが味わえるのは感謝なことです。

 下記の今朝読んだ聖書のみことばによると、「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」と記されています。この三つのことは目に見えるものではありませんが、私たち人間の心にいつまでも残り、つまり続くものであると思います。その中で最も重要なのは愛であると記され、この箇所の前に愛とはどういうことかが具体的に書かれています。神様の人に対する愛は、人間同士の愛の中で、もし似ている部分があるとしたら、非常に優良な親の子に対する愛かもしれません。しかしどんなに良い親でも、人である限り限界がありますので、子供にとって良かれと思って親が行うことが、その子供に対して適切でないこともあります。

 しかし、神様の愛は、誰に対しても同じで、偏りがなく、人に見返りを求めません。そして、神様の愛は私たちにキリストを信じる信仰を与え、そしてその信仰に基づいて、生きる希望を与えることが出来ます*1。「神は愛である」*2と言われるように、神様のご性質そのものが愛であるからです。人がしたいと思ってもなかなかできないことのリストが、神様の愛:「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」*3ではないでしょうか。

 私は日々の生活で、なんとこれらの愛が自分のうちにないことを実感させられます。特に職場で、愛のない自分の言動に落ち込み「ごめんなさい」と悔い改めることばかりです。この進歩がない私を神様は日々赦し、恵みを与え、愛で包んでくださり、みことばで朝と昼休みに励ましてくださるから、前に進んでいけます。「神様助けて下さい。あなたの愛を、忍耐する心を与えてください!」と心のなかで祈り、叫ぶと、なんとか自身の感情を抑えられ、たとえ自分はこれ以上何もできない状況でも、結果的にことが進んだりすることがあります。そして「主よ、今日もありがとうございます!」と感謝の祈りを捧げられるのです。

 自分の中に愛がなければ求める、そうすれば神様は聖霊によって愛を与えて下さるというみことば*4により、私は支えられています。どんな困難な状況であっても、良い方向へと神様が導いてくださるという希望をもって、すべてはキリストのお陰であることを覚えつつ、たえず主に感謝と賛美を捧げていきたいと願います。

「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」 コリント信徒への手紙13章13節

*1 ローマの信徒への手紙 5章1-2節 「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 」
*2 ヨハネの手紙第一 4章8節
*3 コリント信徒への手紙13章4-7節
*4 ローマの信徒への手紙 5章5節 「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」