「皮肉なことに、私の父が日本へ呼んでくれたんだと思います。。。」先日も、再び痛ましい乱射事件がニュージーランドで起こりました。この事件が勃発した日の数日前から、私たちの教会の信者の方が危篤状態となり、急遽クライストチャーチ在住の息子さん家族が日本へ飛び立ちました。そして、その翌日にこの事件が起きたのです。息子さんは現地の学校の教師でしたので、もしお父さんのことで日本に来ることがなければ普通に学校で働いていて、この事件に巻き込まれ、生徒たちと教室の中で身を潜めなければならない状況だったと、聞かされました。彼の小学生の息子さんも一緒に来ていましたが、その息子さんの親しくしていたお友達がモスクで殺されてしまった一人だったと聞き、そんな幼い子まで。。と涙が出ました。世界各地でこのような惨劇が繰り返されるたびに、心が痛みます。犠牲者の方々の遺族に慰めが与えられるように祈るばかりです。
人間の残酷性は、歴史を見ても何千年前から変わらないと思うにつけ、深いため息がでます。最近見た映画「パウロ」は、2千年前のローマ帝国時代にて迫害の中でのクリスチャンたちの様子が描かれていますが、目をそむけたくなるようなシーン、痛ましいシーンがたくさんありました。クリスチャンは、ローマ皇帝から迫害され、生きたまま柱に括りつけられ火がつけられて街灯としてローマの街で燃やされていました。また大人も子供、女性もクリスチャンは、競技場でライオンに食べられるという見世物とされて、人々がそれを見て興奮していました。
聖書のいくつかの書簡を記したルカという医者は、パウロという牢に繋がれている伝道者に感情をぶつけます。「なぜこんなことが?」「どうしたらよいのか?」と。パウロは武力ではなく、愛を持って戦うように勧めます。それは自分を殺そうとしている敵に良くすることを含み、イエスの教え「敵を愛しなさい」の実践です。実際、ルカはパウロのいる牢獄の看守の娘が他の医者から見放され死にそうになっていた時に、医者として治療をし、その看守自身をあえてクリスチャンの隠れ家に送って必要な物資を持ってこさせます。するとその看守もこの愛で、変えられていきます。
私のような平穏な生活を日本で与えられている者でも、ちょっとしたことで心は動揺してしまいます。高齢の母が転倒して骨折したり、様々なことがありこれらをこなせるのかしらと頭が痛くなったり、経済的な心配など、重なるときは一気に重なります。しかし、どんな状況に陥っても、思い煩わず、神様に今生かされていることを感謝しつつ、必要な助け、願いを祈るようにと、パウロが勧めている今朝の聖書の箇所に励まされ、心が引き上げられました。あまりにも酷いことが身に起こり、主にあって喜べない時でさえ、全てそのままを、神様に祈りで叫んでよいことは幸いであります。そして、他者に対する憎しみをエスカレートさせてしまうような人が、一人でも神に立ち返り、自分の悪い思いを悔い改めて、神を畏れるようになってほしい、このような惨劇が繰り返されることがないようにも祈っていこうと思います。
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」 ピリピ人への手紙4章4-8節
人間の残酷性は、歴史を見ても何千年前から変わらないと思うにつけ、深いため息がでます。最近見た映画「パウロ」は、2千年前のローマ帝国時代にて迫害の中でのクリスチャンたちの様子が描かれていますが、目をそむけたくなるようなシーン、痛ましいシーンがたくさんありました。クリスチャンは、ローマ皇帝から迫害され、生きたまま柱に括りつけられ火がつけられて街灯としてローマの街で燃やされていました。また大人も子供、女性もクリスチャンは、競技場でライオンに食べられるという見世物とされて、人々がそれを見て興奮していました。
聖書のいくつかの書簡を記したルカという医者は、パウロという牢に繋がれている伝道者に感情をぶつけます。「なぜこんなことが?」「どうしたらよいのか?」と。パウロは武力ではなく、愛を持って戦うように勧めます。それは自分を殺そうとしている敵に良くすることを含み、イエスの教え「敵を愛しなさい」の実践です。実際、ルカはパウロのいる牢獄の看守の娘が他の医者から見放され死にそうになっていた時に、医者として治療をし、その看守自身をあえてクリスチャンの隠れ家に送って必要な物資を持ってこさせます。するとその看守もこの愛で、変えられていきます。
私のような平穏な生活を日本で与えられている者でも、ちょっとしたことで心は動揺してしまいます。高齢の母が転倒して骨折したり、様々なことがありこれらをこなせるのかしらと頭が痛くなったり、経済的な心配など、重なるときは一気に重なります。しかし、どんな状況に陥っても、思い煩わず、神様に今生かされていることを感謝しつつ、必要な助け、願いを祈るようにと、パウロが勧めている今朝の聖書の箇所に励まされ、心が引き上げられました。あまりにも酷いことが身に起こり、主にあって喜べない時でさえ、全てそのままを、神様に祈りで叫んでよいことは幸いであります。そして、他者に対する憎しみをエスカレートさせてしまうような人が、一人でも神に立ち返り、自分の悪い思いを悔い改めて、神を畏れるようになってほしい、このような惨劇が繰り返されることがないようにも祈っていこうと思います。
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」 ピリピ人への手紙4章4-8節