益子という町の由来を調べてみました。徳川幕府時代の水戸藩家臣益子氏から来ているといわれ、名字としても茨城県、栃木県に多いそうです。なぜ調べてみようと思ったのは、今日の日曜礼拝にてある方が「”益子”っていう漢字を見て、ふと、思いついたんです。”神さまの益に仕える子”という意味で、神さまが益子に教会を置かれているんじゃないかと。自分自身もそのために、ここに呼ばれているように思いました。」と言われたからです。きっと神様は町の名前とご自分の信仰とがふと、結びつけられるという啓示をその方に示されたのでしょう。
米国東部にフィラデルフィアという市があります。この街はアメリカ合衆国建国の父、ウイリアム・ペンが聖書の黙示録に記されるフィラデルフィア*1(ギリシャ語で”兄弟愛”という意味)にちなんで名前をつけたそうです。アメリカの建国にはこのペン氏のようなクリスチャンたちが関わり、ヨーロッパでの宗教的迫害を逃れて新天地を開拓し、イギリスから独立したという歴史があります。街を新しく建てようとする時に、その街が「こうありたい」という希望や願いが込められて名付けられることはよくあります。ペン氏は兄弟愛を持って、平和的な、争いのない、民主主義の自由な国を目指して、フィラデルフィアと名付けたのではと察します。私も、両親とともにフィラデルフィアにある日本人教会では、短い期間ですが信徒の方々に大変お世話になり、まさに兄弟愛を持って親しくさせて頂いたという思い出があります。このように、聖書に出てくる地名や人の名前が町の名前になったりすることを考えると、益子という、全く関係のなさそうなところに、聖書的な意味があてはめられるのも、その住民としては親しみが持てるものです。
神様のみこころ、神さまの包括的な大きな計画にそったことは、神様の益であり、また私たちにとって益となります。ここでいう「益となる」とは、この世的なもうかる利益とか、自分に都合のよいご利益(りやく)とは異なります。私たちがこの世に生きている限り、損することのほうが多く、不当な扱いを受けたり、様々な困難、試練は必ずあり、キリストを信じているからといってこれらがなくなるわけではありません。しかし、信仰の中で試練をとらえる時、試練は私たちを神様により強く頼せ、神様への信頼関係が深くなり、信仰が成長するチャンスでもあり、また耐えられないようなレベルの試練は与えられず、また試練の中らから脱出する道をも供えて下さるという約束が与えられています*2。また最終的には、全てのこと、良いことも、また悪いと思えることも合まって、益となるように変えて下さるというみことば*3により、私たちを励まれて前進できつことは、本当に幸いです。
今置かれた場所で、神様の計画や願いに沿って、神様と人とに仕えたいと日々夫と共に祈り求めています。益子教会の第一のビジョンは、礼拝を第一にする教会で、たとえ人数が少なくとも礼拝を続け、そしてここに集まる人々がシンプルに神様のみことばを聞き、そして信仰が養われ、日常生活においてみことばに励まされて過ごしていこうと思える教会でありたいと願っています。そして、神様は同じ思いを持つ人々をこの益子教会に加えて下さることを信じていきたいと思います。これからも、大変なことはあると思いますし、自分の能力では乗り越えるのが不可能に思えるようなこともあるかと思いますが、神の御心であれば人には不可能でも神にあっては可能である*4というみことばにより、これからも一歩一歩進んで行きたいと感謝をもって励まされました。
*1黙示録 3:7-13
*2「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 」第一コリント人への手紙10:13
*3「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 」ローマ人へ手の手紙8:28
*4 「これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われることができるのですか』と尋ねると、イエスは言われた、『人にはできない事も、神にはできる』」。 ルカによる福音書第18章26-27節
米国東部にフィラデルフィアという市があります。この街はアメリカ合衆国建国の父、ウイリアム・ペンが聖書の黙示録に記されるフィラデルフィア*1(ギリシャ語で”兄弟愛”という意味)にちなんで名前をつけたそうです。アメリカの建国にはこのペン氏のようなクリスチャンたちが関わり、ヨーロッパでの宗教的迫害を逃れて新天地を開拓し、イギリスから独立したという歴史があります。街を新しく建てようとする時に、その街が「こうありたい」という希望や願いが込められて名付けられることはよくあります。ペン氏は兄弟愛を持って、平和的な、争いのない、民主主義の自由な国を目指して、フィラデルフィアと名付けたのではと察します。私も、両親とともにフィラデルフィアにある日本人教会では、短い期間ですが信徒の方々に大変お世話になり、まさに兄弟愛を持って親しくさせて頂いたという思い出があります。このように、聖書に出てくる地名や人の名前が町の名前になったりすることを考えると、益子という、全く関係のなさそうなところに、聖書的な意味があてはめられるのも、その住民としては親しみが持てるものです。
神様のみこころ、神さまの包括的な大きな計画にそったことは、神様の益であり、また私たちにとって益となります。ここでいう「益となる」とは、この世的なもうかる利益とか、自分に都合のよいご利益(りやく)とは異なります。私たちがこの世に生きている限り、損することのほうが多く、不当な扱いを受けたり、様々な困難、試練は必ずあり、キリストを信じているからといってこれらがなくなるわけではありません。しかし、信仰の中で試練をとらえる時、試練は私たちを神様により強く頼せ、神様への信頼関係が深くなり、信仰が成長するチャンスでもあり、また耐えられないようなレベルの試練は与えられず、また試練の中らから脱出する道をも供えて下さるという約束が与えられています*2。また最終的には、全てのこと、良いことも、また悪いと思えることも合まって、益となるように変えて下さるというみことば*3により、私たちを励まれて前進できつことは、本当に幸いです。
今置かれた場所で、神様の計画や願いに沿って、神様と人とに仕えたいと日々夫と共に祈り求めています。益子教会の第一のビジョンは、礼拝を第一にする教会で、たとえ人数が少なくとも礼拝を続け、そしてここに集まる人々がシンプルに神様のみことばを聞き、そして信仰が養われ、日常生活においてみことばに励まされて過ごしていこうと思える教会でありたいと願っています。そして、神様は同じ思いを持つ人々をこの益子教会に加えて下さることを信じていきたいと思います。これからも、大変なことはあると思いますし、自分の能力では乗り越えるのが不可能に思えるようなこともあるかと思いますが、神の御心であれば人には不可能でも神にあっては可能である*4というみことばにより、これからも一歩一歩進んで行きたいと感謝をもって励まされました。
*1黙示録 3:7-13
*2「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 」第一コリント人への手紙10:13
*3「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 」ローマ人へ手の手紙8:28
*4 「これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われることができるのですか』と尋ねると、イエスは言われた、『人にはできない事も、神にはできる』」。 ルカによる福音書第18章26-27節