おかげさまで講演は無事終了いたしました。
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案内状
平成31年3月25日
会員各位
第170回定例研究発表会 開催のお知らせ
日 時:平成31年4月14日(第二日曜日) 14;00~17:00 (13:30入場可)
場 所:横浜市開港記念会館 1階 1号室
住所 〒231-0005 横浜市中区本町1丁目6番地
電話 045-201-0708
参加費:500円
研究発表会
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~16:00 発表者:中島 恒英氏 当会会員
講演題目: 題目:奉行所浦賀移設と和船の歴史
元和元年(1615年)に開設された“下田奉行所”が約100年後の享保5年(1720年)浦賀に移転されることになった。理由は江戸幕府が開府して百年を超え、江戸への物資流入は関西ばかりではなく、生産力を増した東北方面からのものも増え、江戸経済を流通面でコントロールできる場所を確保することの
必要性にかられて下田奉行所移転問題が持ち上がった。奉行所の適地を探すため、相模湾沿岸、三浦半島の17の湊を湊口、奥行、深さ、廻船収容能力等の調査結果“浦賀”が第一候補地に選ばれた。浦賀の中では干鰯問屋の集まっていた東浦賀の移転反対運動を考慮し西浦賀の川間に奉行所、蛇畑に船番所が決定した。来年2020年は1720年の浦賀奉行所開設から300周年にあたり浦賀奉行所復活の運動が数年前に始まり既に浦賀奉行所跡地の所有者“住重”から横須賀市へ無償で6700平米の土地が譲渡が決定されている。1720年の奉行所浦賀移転に際して日本の海運と廻船、川舟の歴史を7〜8世紀の日本海の海運から見直し、江戸時代の江戸への大量物資流入にあたり17世紀の河村瑞賢が江戸幕府の幕命により1671年に東回り航路、1672年の西廻り航路が整備され年貢米を安全に江戸に運ぶルートが確立された。その後海路の帆船はほぼ弁財船に絞られ、菱垣廻船、樽廻船の出現で大坂-江戸間の運送が安定し、日本海交易の繁栄と船体や帆、舵の改良、航法の進歩の中に登場したのが、各寄港地で商品の取引を行う“買積”を繰り返して北海道へと向かう“北前船”だった。また、日本中の一級河川にはその地域の舟運ネットワークが作られ、地域の特産品が広く日本中に広まる下地が出来た。明治以降は鉄道、道路、自動車の普及で海運、川船はすっかり姿を消したが蒸気機関普及以前の江戸時代の運搬の主役は船、舟であったことを思い起こしてみる事も悪いことではないと思う
16:00~16:10 休憩
16:10~16:45質疑応答
16:45~17:00机と椅子の現状復帰
以上
ご連絡:次回第171回定例会は5月13日(第二日曜日)
於 横浜市開港記念会館2階7号室 講演者 当会会員 中山昇一氏
題目: 『試論ー榎本武揚の人物像を探る』