今日は母の日
といっても特に変わらない
いつもの日曜日
調停の準備をした。
通常は家裁の調停の場合それほど準備することはない。
最近は意識的に一つのケースを基に深く掘り下げることにしている。
付調停といって、一度調停が不調になり審判に移行したが、
話合いが好ましいとして再度調停することになったもの。
ということで法律的にも難しい。
調停委員さんを如何に説得するか。
そのほかは、特にまとまりもなくいろんな事が頭の中をウロウロ。
そんなこんなで一日は終わり。
・・・・・・・
ツタンカーメンといえばミイラ、黄金のマスクなどの副葬品で有名。
若くして死亡(約20歳)したのでこれといって功績はない。
エジプトのファラオの中で最も世界中に知られているが、それは功績によってではなく、
その墓が手つかずのまま発見されたからである。
ツタンカーメンといえばミイラしか思い浮かばなかった。
これはツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃の像。
ルクソール神殿にある。
正面からみるとこんな感じ。イメージがわかない。
上の写真の方が目のあたりがツタンカーメンの黄金のマスクを思い出させる。
こうして生きた姿をみるとほっとする。
お帽子は邪魔だが、ツタンカーメンさんとの
セルフィーを撮りたい一心によるもの。
いつも人だかりで、シャッターチャンスがなかなか難しいのである。
ルクソール神殿もこの像も3000年以上前のもの。
気の遠くなるような長さである。にもかかわらず、その場にたっていると3000年のときの
経過など関係ないと感じる。
超高齢社会になっても人の命は100年。
それでも、3000年以上も前に建造されたところにたつと命の奥底で繋がっているように感じた。
今であり3000年以上前でもある。
古代エジプト文明について、壮大な建造物も有能な優秀な人たちが造った壮麗な遺産はギリシャ
文明のように外の世界に影響を与えることなく、偉大な墓の奥底に閉じ込められてしまったという
意見がある。
たしかにそうかもしれない。しかし、そのために3000年のときを経て、当時のままの状態で
生き延び、私たちの目の前に姿を見せている。
世界各地に残る壊れたギリシャの遺跡では得られない現実感がある。
現在にいたまま瞬時にタイムスリップし、時空を超えて、3000年間を生きている。
一人の人間でもあり、人類の一人でもある。
悠久の時という言葉がある。
小さな一人の命の中に悠久の時が流れているとすると途轍もない可能性を秘めていることになる。
愛おしさと内から静かにエネルギーが溢れるのを感じた。
今も感じる。