自分流も宇宙的も個人的には同じである。
自分流というのはひとそれぞれなので、具体的な内容がわからない。
それを明らかにしたのが宇宙的である。
宇宙にはいろんな意味があるようであるが、ここでは曖昧なので宇宙的とした。
何をするにしても一番重要なことはその前提事実を正確に知ることと考えている。
そのうえで、どう判断行動するかはそれぞれの信念による。
事実を正確に知るためには、仮に一つ一つの事実をボールのようなあるいは地球のような球体と
見立てると、上下・左右・斜め・ぐるーっと全体を見ることだと思っている。
外から見るしかない。
宇宙空間に浮かんでいるとみて、自由自在に動ける宇宙空間からみれば全部がみえるかな
という発想である。
あわせて、コスモス(宇宙)には全体として秩序・統一が取れているという意味がある。
何でも事実をみればいいというわけではなく、結論としては、調和のとれた世界を
目指したいという目的もある。
わかりやすく言えば、視座を高く、視野を広く、視点を鋭く、観察するということだが、
それにちょっぴり神秘性を加えたもの、それが宇宙的という言葉に込めた願いである。
事実を客観的に観察することほど難しいことはない。
大多数の人はいつも色眼鏡をかけて見ている。
そしてそのことに気づかない。
悲しいことである。
実は、何年か経って、観察したものの本当のいみに気づくことがある。
宇宙的はそういう時間軸も含んでいる。
今日、約10年前になに??と思ったことについて、それが何だったか完全に悟った。