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喜寿から始まる

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攻撃は最大の防御 ズシーンと納得

2019年05月24日 | 日記

誰もが知っている。
当たり前と思っていた。

ようやく、ズシーンとわかった。

日本人の一人として攻撃は好きじゃない。何となく落ち着けばいいと思う。
攻撃どころが、できれば避けて通ることが出来れば最高という考えだ。
実際はそうはいかず止むを得ず、護りに入る。
受け身の立場というのは、振り回されるだけで、
労多くして功少なしの結果になることが多い。

ところで、人は攻撃しようと思うと、その原因が何であれ、
いつ、どのように、どういう方法が効果的かなどを考える。衝動的でない限り。
不意打ちなど最高である。それだけでかなりな打撃になるはずだ。
どこが弱点かも当然考える。
あるいは、攻撃を見越して、罠を仕掛けておくこともあり得る。
こうなると、相手の言いなりになるだけとなる。
それからでは遅すぎる。仕掛けられたら、乗らなければいいのであるが、
人間はどうもついつい乗ってしまうようだ。

常に攻撃は最大の防御という気持ちでいると、攻撃に敏感になる。
仕掛けられそうなときに、ピカピカと注意信号が点滅するようになる。
だから攻撃未遂になる可能性がある。
あるいは、注意信号を受けると、今度はこちらで、本当の注意信号がどうか
確かめたくなる。
確かめるための罠を仕掛けることもある。
本当の危険だとわかれば、君子危うきに近寄らずで、逃げる、避けることになる。
逃げられないときには、相手が逃げるように仕向ける方法を考える。
相手に怖いよとわからせることである。
そういう意識を持つと、相手を注意深く観察するようになる。
そうすると今まで気づかなかったことに気づくようになるものだ。
相手の先手を行くことができるようになる。
この場合も到底太刀打ちできない相手と思えば逃げるのみである。
しかし不思議なことに人は逃げると追いたくなるものだ。
そいて、ついついやりすぎになるものだ。
これをチャンスにできるようにすることだ。
このあたりは徐々にうまくなるものなのだ。コントロールできるようになるのだ。

即ち、攻撃は最大の防御というのは、意識をすること、目的意識を持ちなさいと
いうことなのだ。
備えあれば患いなし、あるいは患いをなしにはできないが、決定的な打撃に
ならないようにコントロールできるということなのだ。

裁判のような世界でも同じである。
言い掛かりをつけられれたら、言い返すことである。
ただ、ポイントは、防御、護りではなく、いかに相手の言いがかりが許せないものかを
自分が攻撃者になったつもりで、わかってもらえるようにすることである。
そのためには、一つ一つの構成事実というコマを、ガラガラと混ぜ返し、
自分の目でみて必要なものだけをより分け、言いたいストーリーにすることである。
できなければ仕方がない。
しかし、その作業をすることで、双方にとって何が問題なのか、真相により近づく
ことができるようになる。
ということは、より良い解決に近づくことができるということである。

 

攻撃は最大の防御というのは、より良い解決のためなのである。
そのための事実探しのためなのである。

 

もう忘れることはない。肝にずっしりと落ちた。

・・・・・・

今日の新聞によると昨日は日本列島全般に暑かったということだ。
夏も近いと感じたのはそういうことだったわけだ。