直城の頂上の畑でみつかったという「太陽にあたると火が燃えたように黄金に輝く石」のことを前回書きましたが、記事を読んでくださった方から大変興味深い情報を頂きました。
この石は大きさのわりにずっしりと重く、そして黄金のようだったという点から「高品位の金鉱石なのでは?」ということです。
ではその金鉱石はどこからやってきたのか?
情報主様によると、まず1つめに考えられるのは、沖永良部島の歴史と深い関わりがあった薩摩からではないかということです。薩摩の南部には高品位の金鉱山が点在しているのだそうです。石の産地と考えると、可能性はありますね。
しかし、北山王の二男であった世之主が島を支配していた1400年頃の時代からの物であったと考えるならば、年代的に南薩摩からのものではないかもしれません。
そこで2つめの可能性ですが、なんと沖永良部島の沖には海底熱水鉱床の存在が2017年に確認されているということで、そこからの鉱石ではないかということです。
その場所は「銀水サイト」と呼ばれる場所で、水深1100mの海底に熱水活動が300m×100mの範囲に分布しているようです。ちなみにこの「銀水サイト」とは、島の神秘的なケイビング探検ツアーで有名な洞窟の「銀水洞」の名前にちなんでつけられたそうです。
この「銀水サイト」の周辺から鉱石を採取し金属の含有量の分析が行われたようで、鉱石1トンあたり平均値で銅0.8%、鉛13.9%、亜鉛17.5%、金3.6g/t、銀1061g/tと、鉛・亜鉛・金・銀に富むことが明らかになったということです。光り輝く金や銀が含まれていますね。
600年前に水深1100mに潜ることはさすがに不可能でしょうから、そこから採掘したとは考えられませんが、鉱石の破片が波に乗って浜に辿り着き、そしてそれが世之主のもとへと、、、なんてことは想像の世界ですがあり得るかもしれませんね。
ふと思い出しましたが、世之主伝説の中で語られている与和の浜の沖の海中でキラキラ光っていたもの、伝承の中ではそれは喜美留夏久美という宝剣であったということですが、実はこの鉱石だったとか?
「銀水サイト」の場所が与和の浜の沖でしたら面白いなと思いましたが、残念ながら場所を確認することはできませんでした。
黄金の石の産地を南薩摩説、銀水サイト説と頂いた2つの情報をまとめてみましたが、あくまでも仮説です。でもこの情報のおかげで一歩前進した気がします。
貴重な情報を頂きまして、ありがとうございました。
調査の方は引き続き継続していきます。