叔父や叔母、親族へのご先祖様について関わりのあることも含めての聞き込み調査を継続しています。今までまったく知らなかった話や関連する情報など、ご先祖様探しには有益な話が色々と聞けて、貴重な聞き込み調査の時間を過ごしております。
その活動の中で新たな情報が入ってきました。
京都在住の叔母との会話から、当家に刀があったことが分かりました。
昭和28年に沖永良部島から北九州へと移住した一家ですが、北九州の海が見える高台にある古い一軒家を購入し、お爺様が自分で手を入れて綺麗にして家族で住んでいたそうです。
その家の床の間の上の方に、新聞紙でくるんだ日本刀が置いてあったのだそうです。
さっそく義母へ確認をしましたが、そのようなものが家にあったことは覚えていないとのことでした。北九州在住で、お爺様の最後を看取って住まいの整理をした叔母にも確認しましたが、そのよなものは見たことも無かったし、家を整理したときにも無かったと言われました。
北九州にいる長男である叔父にもききましたが、見たことが無いし知らないと言われました。叔父はもうすぐ90歳なので、忘れていることも多いのですが、
さすがにこの話はどうだったのかな、、、と思いつつ、末娘である叔母にダメもとで電話で聞いてみました。
すると「刀は確かに神棚の上にあったよ。新聞紙とわら半紙のようなものにくるんで置いてあった」との話が聞けました。
その後、義母からも「よくよく考えると、新聞紙に包んであった長いものがトイレの前の壁に立てかけてあったのを見た覚えがあった。でも刀とは知らなかった。。。」との証言も出てきました。
はるか昔、50年以上も前の話ですので、叔父叔母たちの記憶も曖昧な部分も多くなっているので、沢山の聞き込みが必要です。
それで、この刀が現在どうなっているのか? 誰も所在が把握できていないのです。もちろん今所持している場合は、申請や許可が必要ですが、そもそも誰も所持していないのです。
そんな話をしていると、私の義父が以前に長男の叔父が言ってた話で、刀は母親が売ってしまったと。え!?そうなんですか??? さっそくまた叔父に電話で確認しましたが、もう叔父はそんな話も覚えていませんでした。。。
私がこの刀を気にしているのは、お爺様がわざわざ島を出るときに持ち出しているので、何か価値のある物であった可能性があるからです。
当家のご先祖様である世之主が「喜美留菜津美 」という宝剣を持っていたそうで、もしかしてその宝剣だったのでは???と、勝手に推測したからです。
もしくは、薩摩時代に与人をしていたので、その時の刀なのかもしれません。
いづれにしても、大切な物であった可能性はあります。
しかし、、、売られてしまっていたのであれば、もうお目にかかることはできない。非常に残念です。ああ、本当に残念、、、
せめてその刀の伝承でもあればと思い聞き込みをしましたが、今のところは情報がありません。しかしきっと何か新しい情報が入ってくるだろうと信じております。