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先祖を探して

Vol.222 銀の簪やキセルで分かったこと

琉球文化を繁栄したご先祖様の遺品である銀の簪についてVol.217で書きましたが、本家に残されている簪は薩摩時代の与人という役人をしていた時の物である可能性が高いということを今帰仁の先生からお聞きしました。先生が島の本家に足を運んでくださり、実物を見ておおよその時代判定です。
薩摩時代の役人といっても、記録上の初代中城から7代目までの平安統惟雄が薩摩時代の代々の与人です。1600年中期から1800年中期頃までの約200年間の間のご先祖様が使用した簪ということになります。数本ありますので、どれを誰が使用したかは不明です。

この簪について少し学んだことがあります。
琉球時代の簪については、階級を示すものであったそうですが、当家に保管されている簪はノロの簪ではありません。ノロの使用した簪は金色で兜型をしています。沖永良部島のノロ家と伝わる数件のお宅には、同様の簪が大切に保管されています。


琉球毎日放送HPより

スプーンの形をした簪(ジーファー)は、女性たちが24時間身につけており、いわば、その人自身とも信じられてきたそうです。女性の姿をかたどっているそうで、スプーンの部分は女性の頭にあたり、伸びた竿は女性の体だといいます。女性を模した簪。まさに分身ですね。
例えば、火事が起きたときに燃え盛る火の中へジーファーを投げ入れたら、炎がおさまったという話もあるそうです。
琉球の女性にとって肌につける貴金属は装飾という意味だけでなく、自分の内なる精神がぎっしりつまった思いの証で。このスプーン型の女性の簪も本家には遺品として数本保管されています。




ちなみに、簪と一緒にキセルも保管されています。いつの時代のものでしょうかと調べてみたところ、以下のことが分かりました。

タバコは1500年代中頃にポルトガル人により日本にもたらされました。
ポルトガル語のsorverもしくはスペイン語のsorber「吸う物」の意味で que sorver もしくは que sorber とした場合、発音としては「キソルベル」からキセルと名前が出来たようです。
徳島県において1612年に栽培され、葉タバコを細かく刻んだ日本オリジナルの「刻みタバコ」が登場し、その刻みタバコを吸引するための道具としてキセルは誕生したようです。
キセルは1872年に紙タバコが商品化されるまでの間、唯一の喫煙具として広く普及し愛用されています。
江戸時代初期の頃は、とても長いキセルだったようですが、時代を経て携帯しやすいようにだんだん短くなっていったのです。
写真のキセルは簪よりも少し長い感じなので、江戸末期頃のものかもしれません。

様々な歴史背景を勉強させてくれる遺品たちです。これから遺品を残していく場合は、誰がいつの時代に使っていた物なのかも明記して残していくようにしなければなりませんね。



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