ご先祖調査をしている中で、古い時代には沖永良部のお隣にある徳之島も関係しているかもしれないと思える情報がいくつか出てきて、最近は古い時代の徳之島の資料などを探しておりました。
まずその昔に琉球が奄美諸島を管轄していた時代に、与論・沖永良部・徳之島を統治する「三島大親子(大屋子)」という役職が存在していたこと。
そして当家のご先祖かもしれないということで、これまでにも何度か記事に登場していた「思鎌戸」という人。この方は沖永良部で首里主と呼ばれ、徳之島の大親子が急死した際に、徳之島に行って3年程兼任していた時代があったことも分かりました。この方は徳之島にも子供がおり、永良部にも子供がいるという話もあり、当家にどうつながっているのか?
K家との出会い
徳之島調査を続ける中で、大変興味深い家柄の方とお知り合いになりました。このK家は古い家柄で、1700年代に後半から1800年代初頭にかけては徳之島で与人をされていたお宅で、薩摩藩に士族と認められていた家柄です。
島民にはめったに階級は与えなかった時代ですから、士族という階級をもらっていたということは、もともと島の豪族であったことが分かります。
このK家なのですが、とんでもない家宝をお持ちだったのです。
墓石の下から驚きのものが
Kさんにお聞きした話によると、50年程前に墓石の下から古い剣と鏡が出てきたのだそうです。その剣ですが、見てください!
大変に古い剣ですが、何かこう高貴な感じがするように思います。
私はこのような古い剣を見たのは初めてですね。いったい、いつの時代の物なのでしょうね。
そして、この剣が見つかったというお墓にも1つ秘密があったそうです。
これは墓石に掘られていた菊の紋。菊の紋といえば、、、
いや~何かとても高貴なものを感じますよね。
K家の先祖は
Kさんもご自分のご先祖について随分と調査をされているようです。その中で現在もっとも有力と考えられているのが、清和源氏の子孫ではないかということでした。もっと言えば、天皇家に繋がる可能性があるということです。
琉球や奄美諸島には、源為朝伝説や平家、天皇の伝説なども多くあります。
剣や古いお墓の菊の紋などを見ると、そのお話も可能性は十分にあると思えます。
まだ他にも古文書などの情報もありますが、それは別記したいと思います。
そして、今日はKさんのご先祖の毎月1回のお墓参りの日だそうです。そんな日に偶然にも出会いがあり、当家のご先祖様との情報共有ができたことには、不思議な縁を感じてしまいますね。
そして当家と古くは親戚だったかもしれないのです。
このあたりの詳細も、別記事で書かせてもらいます。
今日は少し驚きの一日でした。
*K家の家宝等のお写真は、許可を得て掲載しております。