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先祖を探して

Vol.360 エラブのユリの花が教えてくれたこと

ボーっとした週末を迎えました。ずっと闘病中だった義父が6月27日、86歳で永眠しました。去年から肺癌で緩和ケア病棟での入院生活が始まり、家族が一丸となって義父の入院生活をサポートしてきました。一時は誤診ではないか?と思えるほどに食欲旺盛で元気な様子を見せ、このまま退院できるのではないかというような様子でしたが、やはり癌の威力には勝てませんでした。


義父の癌は、肺の中で菌が飛び散るという珍しいタイプの症状だったそうです。高齢でもあり治療の施しようがないそうで、痛みや息苦しさを抑えるようなケアが約九ケ月続きました。
義父はとても我慢強い人で、殆ど痛みを訴えることなく過ごしていましたが、最後の最後はもう限界だったようです。苦しそうな様子が伺え、見ている家族も本当に辛い気持ちになりました。
最期は本人が「もう終わりにして欲しい」と苦しい中で一言。
我慢強い義父が自分でそう発したのですから、その痛みと苦しみは壮絶だったのだと思います。
その二日後の朝に、最後までずっと側にいた義母の前で安らかに眠りにつきました。


義母はちょうどその時に、義父が眠っていて容態が安定していたので、シャワーを浴びに家にいったん帰ろうとしていた時だったのです。看病を交代しようと息子である主人に電話をかけている最中にそのまま永遠の眠りについたのでした。
義母が最後の最後まで側で看病をしていたので、最期は義母が側にいるうちにという義父の最後の計らいだったのかもしれません。


そして私は、朝から用事で外出していて、ちょうど帰宅した時に義母からの電話でした。
実は、この時に玄関先に植えてあった最後のユリの花がちょうど散っていたのです。自宅に戻り玄関先のユリの花が散ってしまったのを見て、もしかして、、、と思い家の中に入ると、主人が義母からの電話を受けていたのでした。



このユリの花、満開に咲き誇った写真を見て、義父が綺麗だな~と言ってくれていました。
昨年初めて植えたのですが、たくさんの美しい花が咲き私たちの眼を楽しませてくれました。全体の花が全て散った後に、小さな蕾が1つだけ残っていて、随分遅れて咲き始めました。
ちょうど義父が少し体調が持ち直した時期に開花したので、この花は何か義父の体調と繋がっている気がしました。義父の最期を教えてくれている気がしたのです。
花は比較的長く咲いてくれていて、だんだん枯れ始めると、義父の容態が悪化してきました。
私はこの話を主人にして、このユリの花が枯れて落ちてしまうときが最期かもしれないと伝えました。
主人もこのユリの花の様子には気が付いていて、うなずいていました。
そしてその花が落ちてしまったときに、義父は天国に旅立ったのです。


沖永良部島のユリの花。義父とは直接は関係がない沖永良部島ですが、ここは妻が生まれ育った場所です。そして義父は妻の実家であった沖永良部島のご先祖様などの話をお爺さまから聞いて色々と知っていましたから、宗家一族のゆかりの人としてユリの花が義父の最期を知らせてくれたのかもしれません。
何とも不思議なユリの花でした。


義父は義母ともども、とても心優しい方々で、嫁である私に一度も嫌味などを言われたことはありません。私は嫁として随分と気にかけてもらい、優しくしてもらったと思います。
沖永良部の歴史や妻のご先祖様のことについては、生前から興味を持っており、私にもお爺さまから聞いた話などを教えてくれて、私の活動を応援してくれていました。そんな義父がいなくなって、寂しく思います。

義父のサポートなどで活動が休息気味でしたご先祖調査、またぼちぼちと再開していこうと思います。
引き続き皆様の応援、よろしくお願い致します。



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