孫八の城跡
孫八が住んでいた後蘭にある城跡は、現在は石垣が残るのみで建物を想像するのは難しい状況ですが、石垣、自然石、亜熱帯の巨木に囲まれた遺跡で、神秘的な別世界に入り込んだような空間を味わえそうです。パワースポットとしても人気があるようで、のびのびと生え広がったガジュマルなどの植物を見るだけでも、南国気分を味わえ、新鮮な空気が吸えて気持ちが良さそうですね。
昭和の初期までは、電気も水道も無い状態で、この地に本家の子孫の方が居住されていたそうです。
城は土地の自然の形状を生かした作りになっていたらしく、さすが築城の名手と言われた孫八の城跡です。現在、発掘調査・分析がされているそうなので、どのような遺物の結果報告がでてくるのか大変興味深いものがあります。世之主を支えた重臣であったとされる説、平家の落人の子孫で優れた築城家の説、倭寇の城ではなかったかなどと、いろいろな見方がありますので、それがはっきと分かる手掛かりがあればいいなと期待しております。
それにしても、沖永良部島には中世時代において、山城をつくる優れた技術と文明があったことには驚きですね。その技術はどこからもたらせられたものだったのか?そのあたりも大変興味深いところですね。
それにしても、沖永良部島には中世時代において、山城をつくる優れた技術と文明があったことには驚きですね。その技術はどこからもたらせられたものだったのか?そのあたりも大変興味深いところですね。
孫八ってどんなお姿?
木彫りの孫八さまです。下の祠の中にいつもいらっしゃいます。
これらは子孫の方が孫八さんを偲んで作られたそうで、城跡の近所に建立されているそうです。後蘭の村おこしのために貢献できたらという思いもあって、今後も色々と考えられているそうです。沢山の人々が訪れる後蘭城跡になっていくといいですね!
孫八の逸話
築城の名手やら貿易で活躍した倭寇やらという話は、孫八伝説として一般的に伝わっておりますが、子孫の方から大変興味深いお話しを伺うことができました。
子孫談
子供の頃は孫八の子孫だからとか平家の子孫だからとか言われて育ち、泣き言を許されず強くなれとかはよく言われましたね。事あるごとに孫八の子孫だから云々とね。
孫八は船であっちこっち行って新しい見分とか技術を持ち帰ったりして、特に薬草に通じていて領民の病気を治したり相談に乗って助けたと言うのは聞かされていました。
やはり孫八は船を自由に操りながら海へ乗り出して、貿易を行いながら活躍していた様子が伺えるようなお話ですね。
薬草に通じていたという話には大変興味があります。Vol.67の記事で、当家のご先祖様が薩摩時代に薬園を管理する与人であったことを書きましたが、もしかしたら島には孫八の時代から既に薬草があって栽培されていたのかもしれませんね。
その薬草はもしかしたら、海の交易によって海外から持ちこまれたのかもしれません。
わずかな情報でその時代のことに思いめぐらせるって、何だかワクワクしますね。
孫八特集はまだ続きます。
次はきゅし(書くのを)楽しみにまちゅてぃ(待っていて)たぼり(ください。)
*孫八の子孫の方に島言葉を少し教えてもらいました(#^^#)