ビジネス雑誌などでは、お受験校ランキングなるものが毎年特集されています。
私も読んだことがありますが、あきらかにお金持ちが通っていそうな私立校(附属の大学が三流ランク)が上位にランキングされており、有名国立大学卒業者を輩出実績のある公立校が二番手、三番手にされていることがあります。どう考えても、お金の絡む作為を感じてしまいます。広告費でももらっているのでしょうか。そのランキングを真に受けたひとから、私の母校を馬鹿にされたこともあります。
どんな進学校、たとえば東大卒者でも落ちこぼれの人や無職のままのひともいますし、こんな格付けで何がわかるのか、と私は申し上げたい。東大出やら海外留学をやたらとアピールするうさんくさい識者も増えましたが、たかだか10代の時の学歴ぐらいで…。なぜもうすこし謙虚になれないのか、と凡人の私には残念な気持ちになります。
どこかのアメリカの有名大学に進学した女子高生が本を出したことも話題になりました。
しかし、私からすれば、昨今の東大生本もそうなのですが、学歴だけを売りにする若者の今後がとても気になります。慶応大学出身のユーチューバーの失言も物議をかもしましたよね。いったい、その未熟な人生で何を教わってきたのかと言いたくもなります。
私自身も過去に家庭教師や塾講師の経験があるために、子どもに勉強を教えてほしいと頼まれることがありました。
そこでいつも思うのは、親の教育熱があまりに激しすぎて、まだ幼い子どもが勉強することに疲弊してしまっているパターンです。
複数の塾を掛け持ちしているので机のうえはテキストだらけ。
さらに教育大学などの付属の中学小学では毎週のようにテストがあり、山のように宿題が出される。作文もこっそり母親が代筆していたりする。夏休みの研究課題もいわずもがな。教科書だらけにくわえ、最近ではタブレットの授業もあるので、ランドセルはかなり重い。
進学校の先生も過労気味なのか、若くて社会性がないのか、長期欠勤していて授業がままならないという噂も聞きました。せっかく幼稚園児からお受験して進学したのに、と憤る親もいるとか。
いわゆる教育モデル校になるような国立の小中学校の授業は、学校教師が将来大学研究者になりたいがために、その研究材料にされることがあります。
私の母校の大学では、現役教員の院生が美術の授業を英語のみで行うという修論を書いておりましたが。その思い付きの先生はいいとしても、英語でないと教われない美術の授業なんて、生徒さんは楽しかったのでしょうか。まだろくに英単語も覚えていないのに、大学生で英文を読まないとわからないようなdrawing(素描デッサン)だの、support(支持体=キャンパス)だのという言葉を与えられても、ちんぷんかんぷんで絵を描く楽しさなんてなかったでしょう。
私立校は一回でも通うとエスカレーター式で、いくら優秀でも外部進学することを許しません。
設備はきれいだけど、寄付金の請求がかなりしつこいです。今は国公立大学でも学費はかなり高めになっていますけども、小学生から大学まですべて私立と、国公立ですますのと、どれだけ学費の差がでるのかは、きちんとシュミレーションしておいたほうがいいでしょう。
教育費を聖域扱いにして浪費する家庭が増えていますが。
正社員でもリストラの危険があり、健康不安もある中高年期と、親の介護、子どもが高校進学する時期は重なります。教育費にお金をかけるのが我が家のステータスみたいな見栄消費はやめましょう。一般的に教育費は手取りの5~10%と言われていますが、住宅ローンの負担など家庭の事情にもよりけりでしょう。将来のために良い経験をさせてあげたいのはわかりますが、ピアノだの、スケボーだのは、習うべきことなのでしょうか。それより、ソロバンだとか、習字や運動クラブのほうが良いように思うのですが。
私が教えたお子さんでも、本人はかなり頑張っているのに、親が教育虐待かと思うほど怒鳴り散らして子どもを絞めつけているケースが目立ちます。子どもにストレスを与える背景にあるのが、夫婦不和で、生活習慣や金銭感覚のずれです。
ひどくなると、子どもの成績があがらないのを、どちらかの学歴のせいにしだします。
でも、学校の成績が本人の能力を永遠に保証してくれるでしょうか? 社会人の皆さんならわかりますよね。
教育費をかけすぎたあげくに、成績が上がらず、お金がないのを子どものせいにするのも最悪のパターンです。無駄な習い事を話し合ってやめさせ、自分が副業するなり、家計費を見直すなり、したほうが家計の平穏につながります。子どもを虚栄心の道具にして、思い通りにならないからとののしるのは、親が子どもおじさんおばさんだからです。
感受性の柔らかい時期に、机に向かって勉強ばかりで、ストレス解消がネットの動画視聴やゲームばかり。そんなお子さんが多いので、運動能力が低く、視聴覚が弱っている子が増えているそうです。
公園で遊んだり、体を動かしたりして。答えの与えられたわかりやすい数字の問題ばかりではなくて。
日常の中から不思議を発見して、それをどうやったら解決できるのか考えたり。そういう創造性を育むような時間をわざわざ、過剰な教育産業や、見識の狭い教師たち、洗脳されている親たちが奪っているように、私には思われます。
春先の受験でもおきたカンニング事件なども、東大受験生の殺傷事件も、学校の成績のみで子どもの価値づけを行ってしまったまちがった教育や躾が生んだ悲劇です。
とにかく何をやっても点数さえとれればいい、結果さえ残ししたらいい、受験は勝ち負け、他者を押しのけてもよいという大人の醜い思考が子どもに感染してしまい、なにが正しいのか考える余裕を与えなかったのです。
我が子を全員東大生にしたお母さんの成功本なども話題になりましたが。
読んでみたら、夜食でカップラーメンを与えたり、受験にかかりきりなので家のなかは汚かったり。正直まともに家庭が機能しているとは思えません。今の母親は、子どもをダシにして自分を売り込んで承認欲求を得ようとする方が多くて、そんなことしなくても、あなた自身がきちんと社会に出て働いたり、配偶者にお小言を言わないで愛されるようにしたら満たされるのに、としか意地悪な見方をしてしまいます。
過去の友人で、自分の出身校を偽っていた人もいました。
私の学歴を知ったせいなのか、対抗意識が芽生えてしまったのでしょうか。私はその方が高卒であることを馬鹿にしたことはありませんでしたし、いつも他の人の前では彼女の顔を立てていたつもりでした。学歴にコンプレックスがある人は、他人をいつも馬鹿にして自分がいかに賢いかをアピールしつづけます。ほんとうにアタマがいい人は他人本位で考えられ、配慮できる人なのでは。しまいには縁を切らざるを得ない関係になりました。うさんくさい投資を進めてきたからです。お金の価値を自分の価値にしてしまう大人も不幸です。いずれ消えてしまう数字なのに。こういった教養の無さも、出身大学とは無関係です。
いずれにせよ、子どもがいい大学を出ようが、出世しようが、それは親の功績ではありません。
スポーツ選手や芸能人が有名になると、育ての親がマスコミに出たりもするけれども、なんだかなと思うんですよね。過剰に親の功績を語る一方で、子どもの不祥事があると親の責任にもなったりするわけで。
たとえば、安倍元首相暗殺容疑者も、宗教狂いの家のために望む学歴を得られなかったのかもしれませんが。奨学金を得て、実家を離れた進学をすることもできたわけです。中卒だったけれども、定年退職してから大学生になったという向学心あふれる方も増えています。
そんな私も、大学院を修了した時点で自分には社会人能力が絶望的に備わっていないことに気づき、いくらうちのめされか分かりません。自分が頭がいいと思った時点で、そこで成長が止まってしまうのです。
親が教えるべきは目先の点数の上昇ではなく。
きちんと自分が働いて、社会を支えていて、家庭内での安らぎを与え、お金をきちんと役立つことに使う姿勢を見せることではないでしょうか。学校の成績のこと、それもクラスメイトの誰それと比較してどうだの、そんな話題しか口にできない、ヒステリックな親御さんを見ると、とても悲しくなります。親じたいが子ども依存で自立できていないからです。子どもを産んだことだけで、人生勝ち組みたいな意識が蔓延していますが、子どもはブランド品みたいに親のエリート性を象徴するアクセサリーではありません。そして、かならず老後を支えてくれる保険でもありません。教育虐待をした親を、成長した子はかならず見限ります。
10代や20代そこいらでの、たかだか教育者が決めた指標で、我が子の、あなたご自身の価値を決めつけないでください。学歴にこだわることは、いつまでも過去に固執すること。後ろ向きなままでは、未来は開けません。人間は自分の意思次第でいくらでも成長できるのです。
(2022/07/18)