買って一週間もほったらかしだった図録を、やっとじっくり見ることが出来ました
前半は原画のカラーページで、後半は各まんが家先生へのインタビュー記事
これがとっても興味深くて、すごく面白かったので
ごく一部だけど、ご紹介します!
(長いので、興味のある所だけ読んでください。)
※わたなべまさこ先生
家庭に入ってからデビューされたので、その頃の事を聞かれて
主人が良く協力をしてくれて、育児や家事を手伝ってくれて。
~略~女の人っていうのは家庭に入ったままじゃいけない、
社会とのつながりを持っていたほうがいいよって言ってくれて。
私の実家のほうからは「女性が働くなんてとんでもない、子どももいるのに」と反対されましたけれど。
※松本零士先生
女性を描くことについて
「大砂塵」とか、気の強い女性がヒロインの映画ですよ。
そういうものを描きたかったんです。絶世の美女を描きたいわけですね。
それが少女漫画を描く一つの要因になったわけですね。
そういうものが、後の少年漫画に写ってからもヒロインとして出てくるし、
「銀河鉄道999」のメーテルも、全部そこから続いてるわけですね。
当時の少年漫画家は女性を描くのが苦手だったんですよ。アニメーターも実はそうで。
「宇宙戦艦ヤマト」のアニメの頃は、スターシャなんかは原画も動画も自分で描いたりしてました。
でも、みんなだんだん上手くなってね。
「999」のアニメの頃になったらメーテルでも何でも描けるようになりましたけどね。
※水野英子先生
デビュー作の内容について
仔馬をめぐる女の子の話。完璧な西部劇。
~略~要するに当時はお涙ちょうだいばっかりだったでしょう、女の子ものっていうと。
メロメロの薄幸な女の子のね。そういうの大嫌いだったの。
~略~西部劇好きだったんですね。動物が好きだったし。馬が好きだったし。
悔しかった事
原稿をなくされたのは嫌でしたね。
~略~当時は原稿が大事なものだという意識が無いままで、
「ああ、どっかいっちゃった」でおしまいなんですよ。
あと、原稿に勝手に色を塗って、予告のカットなんかに使ってたりね。
~略~そんなのいっぱいある。単行本にするたびに、ひっくり返してみて、
何枚か無いって言って。
※牧美也子先生
その頃の少女漫画は枕詞のように「お涙ちょうだい」とか「母もの」と、
ひとくくりによくされたものでした。
私の少女時代は終戦というより敗戦の混乱と荒廃の中にあり、
日本人の一人一人が自分だけのストーリーを持っていた時代です。
今の若い方には信じられないような悲惨な話はいっぱいありました。
少女漫画といえども絵空事ではなかった。
同時に焦土の中から復興する日本も見てますので~略~
夢、憧れ、希望、今日より明日、明るい未来、そんな思いを読者に伝えられたら、
共感してもらえたら・・・と、そんな気持ちで描いてました。
私自身、いい年してまだ夢見る女の子が残ってたってことかな。
※里中満智子先生
漫画の魅力
漫画の魅力っていうのは、まずそのストーリー、脚本、キャラクター造形、
コマ割、その他ありとあらゆる手段を尽くして、形にするわけですよね。
一つ一つの能力、例えば文章表現能力は10点満天で5点しかないとする。
絵の能力が、いわゆる画家に比べて、満天が10として3くらいしかないとする。
それでもいろんな能力が合わさると説得力を生みます。
それは足し算ではなくて掛け算になってくるんですね。
ちばてつや先生の事
当時少女漫画雑誌に出てくるほとんどのヒロインが、うっとうしい女だったんですよ。
何かあると泣く。~略~お母さんと離れ離れになって、お金持ちの少女にいじめられて、
貧しい暮らしの中健気に時々星を拝み、「お母様に会いたい~」とか泣くわけですよ。
泣く暇があったら何とかしろって言いたいんですけれども。~略~
ところが、ちばてつや先生の作品が、そこに出てくる女主人公がすごく生き生きしてて、
ごくごく自然な女の子だった。
こんなに女の子の気持ちがわかるなんて、男の名前だけど、この人絶対女だって思ったんですよね。~略~
そのうち、ちーちゃく写真がでたんですよね。~略~
どう見ても男みたいな気がするって。
そうか、シスターボーイだって思って(笑)~略~
でももうちょっと私が大きくなると、「ちばてつや先生が結婚なさいました。」と出たんですよね。~略~
おかしいな?そうか、世間を誤魔化すために偽装結婚されたのだと。
※一条ゆかり先生
一番悔しかった事
ちょうど、萩尾望都さんとか、大島弓子さんとかの熱狂的なファンが出てきた頃、「マネだ」って言われたこと。
自分の描いたものは彼女たちのマネではない、絶対。~略~
なにしろそれまで「変わってる」とは言われたけど、マネだなんて一度も言われたこなかったもので、とても怒った私は「私、好きにします」と。
だからもう、私らしい話を描きます、と。で、打ち合わせもしません、と。
言い放って描いたのが「デザイナー」です。
後輩のマンガ家に伝えたい事
担当編集者の悪口を言うマンガ家さんはたいてい、二流か三流か四流か五流なの。
~略~自分の足りないのを担当のせいにする人よ。
人がこう言ったからしょうがないじゃなくて、描いたのはお前じゃないかって。
責任取れないのかよ自分でって。
どんなに性格の悪い編集者でも、自分の担当しているマンガ家が潰れてしまえ、と思う人は一人もいないの。~略~
その自分の一番最初の理解者で、お互いのためにもなる人一人説得できないんだったら、
ファンなんか説得できないよ、って思っちゃう。
※美内すずえ先生
神秘体験
子どものころから不思議な体験はよくしています。
今はそういう体験から得た、自分が本当に大切だと思うことをマンガを通して描いていきたい思ってます。
宇宙全体が一つの生命であり、人の魂と肉体との関係、龍神や宇宙生命体の働き、
人類の使命といったマンガならではのテーマですね。
「アマテラス」という作品が、その試みです。早く続編を書きたいと思ってます。
あ、もちろん、「ガラスの仮面」の続編も。
私、けっこう粘り強いので、時間は掛かるのですが、
一度やり始めたことはけっして忘れることはありませんから、どうぞ見守っていてください。
※竹宮恵子先生
先生の勝負時は?
やっぱり、「風と木の詩」でしょうね。ほんとうに勝負したのはその時だと思います。
「ファラオの墓」のときは、「風と木の詩」のために1位をとるまでやる、と思ってやっていました。
「一般に受ける」ってどうすればいいのかを探っていたのが「ファラオの墓」ですよね。
ナイルキアとスネフェルが恋に落ちるシーンをものすごく大事に描きました。
私は恋愛シーンがすっごく苦手だったんですが(笑)。
でも、しっかりした恋のシーンがあると、すごく反応があるんだなって、その時実感しました。
原画’(ダッシュ)の考え方
自分のカラーがどんなに凝っていても、それが印刷では全然出ないんですよ。中間色とかが。
~略~印刷の不満以外にも、自分の原画が無くなったり、破損したりとかいう話も聞くので。
それが本当に起きてしまう前にアーカイブにするべきじゃないかなって。~略~
マンガの原画は元々飾るためには出来てないので、脆いんです。
そういう意味では、原画よりきちんととっておけるものになるかもしれたいと思って。
※くらもちふさこ
少女漫画の力
やっぱり、乙女心ですね。私の中でとしをとって行くにつれ、心はおやじになってしまっているんですけれど、何かその、少女マンガを描くときには、恥ずかしげも泣く乙女になれるんですよ、自分の中では。
これがある限りは少女マンガが描けるって思ってるんですけど。
そこが大事なんだなって思ってます。
※佐藤史生先生
SFの魅力
「地道なハシゴ昇りのすえに唐突に開ける眺望!」といった所でしょうか.
要するに論理のハシゴを一段一段昇っていく。ジャンプは不可。
ジャンプあるいは飛翔が出来たら、そんな能力があったら、SFなんか読みませんものね。
詩とか文学を読みます。跳ぶ能力も飛ぶ翼もないから地道に一歩ずつ昇っていくんです。
そして気がつくと異様な場所に立って、見なれない奇観をながめて呆然とする・・・そういうのが快感なんです。
好きなキャラクターは?
イリスですね。私は「アラビアのロレンス」を見て人生観が変わったのですが、
イリスはその影響を受けて出来たキャラクターなんです。~略~
ロレンスに惚れこんだことで「影の部分こそがいい!」というステージに移ったわけです。~略~
それで人間は清く正しく美しくなくてもいい。
むしろ弱点にこそ感情移入が出来るんだと、それで描く意欲がわきました。
※岡野玲子先生
少女マンガの力とは?
やっぱり自在性だと思いますね。柔軟ですよね。
女性そのものが、柔軟性っていうか、包容力があるからですか。
男性ていうのはドーンとした感じですから。
でもホントは男性的エネルギーを持ちつつ柔軟であるといのが一番いいと思いますけどね。
少女マンガ家の方は、少女マンガを描きながら、でも男性性の強い作家さんが多いじゃないですか。
たぶんそれがパワーの魅力になっていると思うんですね。
両方を持っていることが。
うわ~~、長々書いちゃいました。
でも一流の方はやっぱり考え方が深い!
だからこそ、一流になれたんだと思いますが。。。
特にすごいと思ったのは一条先生とと佐藤史生先生
一条さんのきっぱりした生き様!
男前だわ~!
佐藤さんの感性
SFへの見方なんか、目からウロコでしたよ!
普通だったら、想像力の飛躍が楽しいと答える所なんですが
確かに、気付いたらすごい奇観が見える。。。ってのは頷けますわ~
そして、美内先生。ちょっと神がかってるのは心配だけど(山本先生の例もあるから)
「ガラスの仮面」のことを忘れてないのね
少し安心しました