その前に、今日の夕方のニュースは自粛解除の話ばかり。
大阪が、ある程度方向性を示したから、政府も、「僕でもできるもん。」てな調子で言い出したんだろうけど・・・・・
間抜けだな!
話にもならん。
愛媛のクラスター発生を見ても、第二波は必ず来る。
ある程度細かく自粛する業種を決めた上での方が良い。
韓国の二の舞、三の舞になりますよ。
閑話休題
わたしが三十代半ばのころ、かつて所属した、任意のスポーツクラブでの二次会の話。
小さめのパブのようなところのカウンター席で、クラブ内で懇意にしていただいていた、Y氏と飲んでいた。
勿論他にもクラブの方の仲間はいたのですが、混んでいて、一堂に座れなかったので、各自バラバラに席についていた。
勿論二次会なので、お酒も回っていたし、会話も弾んでいた。
Y氏と話し込んでいたが、内容は他愛話だったと思う。
隣席にW女史がいることも忘れて、話し込んでいた。
そんな時W女史が突然大声で泣き出した。
私は突然の事で何が何だか分からず、呆然とし取り成すすべも分からない。
周囲から見ると、まるで私が泣かしたような状態。
他の年配のクラブ員方が、話を聞いて、慰めておられた。
W女史は私より10歳ぐらい年上の方だったと記憶している。
W女史は独身で、美貌の持ち主であり、かつ頭脳明晰方であり、外国語も堪能で、よく海外にもいかれていたように記憶している。
私は早くに結婚し、妻帯者であり、子供がもうすでに3人いた。
早くに、結婚した方なら解られると思うが、時々結婚していなければ、もっと自由なのに、とか、無い物ねだりの考えを持つこともある。
W女史を見ていると、内情を知らずに、少なからずも、羨ましく思えたこともあった。
その日は訳も分からず解散したが、後日クラブ員の方から当日の突然の涙の訳を聞く事が出来た。
W女史はご両親を亡くされてから、2歳年下の妹さんとマンションで、二人暮らしをされていたが、最近妹さんが結婚され、少し離れたところに、新居を構えられた。
ある日、W女史が一人の部屋に帰宅された時、目まいを感じ,倒れ,記憶をなくされたと言うことがあり。
夏場で、まだ明るかったのに、気が付けば真っ暗だったとの事。
その時、急に怖くなり、涙が止まらなくなって、耐えられず。
このまま倒れて、誰にも気が付かれずに、一人死んで行くのかと思うと、妹さんに電話して、ただ泣き崩れたと、話されていたそうだ。
その時の事を、パブで飲んでいる時に、急に思い出されたようである。
私は、その時まで、一生独身んでいる方が、気楽で良いなと思っていたけど、この時初めて疑問を感じた瞬間だった。
今はそのクラブも辞めいて、連絡も途絶え、W女史がどうされているかは、解りません。
もう還暦の私の他愛昔話です。