くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

大魔人(64)

2021-08-12 19:19:10 | 「大魔人」
「これか……。たいしたことはないさ」と、真人は言った。「だけど、利き手じゃない左腕だけじゃ不便で、得意の工作も進みやしないんだ」
「――」と、多田はうなずいた。
「手伝ってくれよ」と、真人は言った。「気心の知れたおまえがいてくれれば、仕事もしやすい」
「さっきの口笛も、もしかして、あんただったのか」と、多田が、思い出したように言った。「見ていたこっちまで体の自由が効かなくなったのに、口笛の音を聞いたとたん、自由が戻ったんだ――」
「まぁ、話せば長いが、あいつには借りがあるからな」と、真人は、遠くを見るように言った。「――あのヒゲがもごもご言ってたのは、飼い犬を躾ける言葉さ。知らない人間が耳にすれば、音の持つ迫力に訳もわからず体が硬直するが、犬を躾ける言葉だってわかる音を被せてやれば、意味がわからなくても、体はすぐに反応するのさ」
「それを、あの外国人は――」
「知っちゃいないだろうな」と、真人は言った。「人が硬直する現象だけをありがたがって、意味を理解して使ってるわけじゃないのさ。だいたいあの言葉は、もう数千年も前に消えちまった言語だからな。俺以外、聞いた事があるやつなんて、いるわけがない。調子に乗って使ってると、そのうち、取り返しのつかない目にあうはずだぜ」
「――今度は、なにをする気なんだ?」と、多田は不安そうに言った。
「それは工房に戻ってからだ」と、真人は言うと、左手を差し出した。「さぁ、俺の石を返してくれ」
 と、多田は急に顔を伏せて、首を振った。
「はぁ?」と、真人が大きな声を出した。「今、おまえが使ってただろ」
「――すまん」と、多田は頭を下げると、持っていた指輪をおそるおそる前に出した。
「――」と、真人は無言のまま、多田が差し出した指輪を見た。

「石は? どこにやった」

 と、言った真人の目の前にある指輪には、宝石が乗っていなかった。
「おいおい……」と、真人は、あきれたように言った。「石に発信機はつけなかったがよ。まさか、はずしちまうとは思わなかったぜ」
「万が一のことを考えてだよ」と、多田が言った。「投影機と石を分けておけば、武器として使うときに、なくす心配はないだろ」
「冗談だろ」と、真人があきれたように言った。「さっき、別人に自分の姿を投影したのは見ていたがよ。はなっから土台だけの指輪じゃ、なくすもなにもないだろうが」
「いや、それは――」と、多田は、ホームズとかいう名の泥棒から、盗難予告があり、なんとか守ろうとしたが、本物の替わりに填めていたイミテーションの宝石を、まんまと盗まれてしまったことを話した。
「――じゃあ、そのなんとかいう泥棒は、偽物を盗んでいったんだな」と、真人は念を押すように言った。
「そうだ」と、多田は言った。「本物の石は、別の指輪に填めて、ほかの男に渡してある」
「男? どんなやつだ」と、真人は言った。
「取るに足らない探偵だよ」と、多田は言った。「だが、そんなつまらない男だからこそ、あの石を持っているだなんて、誰も思いやしないはずだ」
「――」と、真人は気難しい表情を浮かべたが、すぐに顔を上げて言った。「さぁ、行くぞ」
 真人が言うと、どこからか車のエンジンが聞こえ、古い型のジャガーが、タイヤを鳴らしながらやって来た。
「――この、車は」と、多田は言った。
「友達の車だ」と、真人は言った。「――じゃない、友達になった車だ。さぁ、乗ってくれ。工房に向かうぞ」

 ブロロロロンロロン……

 二人を乗せた車は、明るくなった空を背に、どこかへ走り去っていった。



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大魔人(63)

2021-08-11 19:36:46 | 「大魔人」
「――」

 と、ヨハンの姿が、煙のようにかき消えた。
「うっ――」
 と、まばたきを繰り返すアマガエルが、崩れるように膝を突いた。
 口笛にも似た音が聞こえた直後、どういう訳か、急に体の自由を取り戻したアマガエルは、振り向いたヨハンに触れ、どこかへ飛ばしてしまった。

「――貴様、神に仕える者を侮辱しやがって」

 と、怒りに震えるヨハンの声が、離れた場所から聞こえてきた。
 膝を突いたまま、手で目を覆っているアマガエルが顔を上げると、ヨハンはコンクリートのビルの壁から、上半身だけを突き出して、なんとか抜け出そうともがいていた。
 アマガエルはめまいがするのか、頭を抑えながら立ち上がり、ヨハンの元に急いで走り出した。
 両手が自由に動くヨハンは、先ほどまでとは違い、空中になにかを素早く描くと、体が挟まっている壁に手を当てた。
 ヨハンが手を当てると、石のように堅いはずのコンクリートが、ぼこぼこと、湯が沸くように溶け出していった。
 息を切らせてやって来たアマガエルが、うんと伸ばした腕で、ヨハンに触れようとした。

「くっ――」

 と、アマガエルはヨハンに触れる直前で、一歩も進めなくなってしまった。
 体の自由が奪われたわけではなかった。アマガエルに向けたヨハンの手から、火の粉のような光が無数に吹き出し、反発する磁力のような目に見えない力で、アマガエルを押し返そうとしていた。
「聖人のみが与えられるはずの力を、貴様のような無名の男が使うなど」と、もう片方の手でコンクリートの壁を壊しながら、ヨハンは言った。「決して許されざることだ」
「人から感謝される事はあっても、罪人呼ばわりされる覚えはありませんよ」と、アマガエルは、見えない圧力に抵抗しながら言った。「悪魔だかなんだか知りませんが、あんた達の勝手な考えで、幼い子供達を追い詰める方が、よっぽど悪魔的でしょうが」
「ふん」と、もう少しで、壁から抜け出しそうなヨハンは、言った。「悪魔ではなくても、悪魔と疑われるような人間は、魔界に送り返されるべき存在なのです」

「――うるせぇぞ」

 と、アマガエルは、声を枯らしながら言った。「人と違う苦しさがおまえにわかるか。人と違うと感じる苦しみが、おまえにわかるのか」
 と、アマガエルの腕が、火の粉のような光が溢れる中に、すっと吸いこまれていった。

「――」

 と、目を見開いた残像をわずかに残し、ヨハンの体が、どこへともなく姿を消した。
 ほっと、肩で息をするアマガエルは、

「大丈夫か!」

 と、叫びながら、急いで橋の下に走って行った。
 多田の顔をした男は、川に流されたのか、どこにも姿は見えなかった。アマガエルは、自分も川の中に入って探そうとしたが、広い川の中を一人で探し回っても、見つけられるはずがなかった。
 くやしそうに唇を噛んだアマガエルは、膝まで川に浸かりながら携帯電話を取りだし、消防に連絡を入れた。

「――人が落ちたんだ。早く来てくれ」

 アマガエルは、自分がいる場所を早口で告げると、駆け足で橋に戻り、男が流されていないか、橋の上から川を覗きこんだ。

 ――――  

 わずかな建物の隙間から、アマガエルの様子をうかがう影があった。

「うまく切り抜けたじゃないか」

 と、後ろから子供の声がして、キャップを目深に被った男は、驚いて振り返った。

「誰? だ……」

 振り返ったのは、多田だった。
 と、大人物のスウェットを着た子供は、あごまで隠れているフードをまくり上げると、言った。
「俺だよ。――約束したろ。まさか、忘れていたわけじゃないだろうな」
 キャップを持ち上げた多田は、まじまじと子供の顔をうかがい、信じられないように言った。
「あんた、あの島の人? なのか」
「ああ」と、左目に眼帯をした真人は、うなずきながら言った。
「――どうしたんだ、その腕」と、眉をひそめた多田が、真人の失った右腕を指差して言った。




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大魔人(62)

2021-08-10 19:33:35 | 「大魔人」
 舌打ちをした男は、取りだした機械を上着のポケットにしまったが、顔を上げると、駆け戻って来た仲間の男達が、ぐるりを取り囲んでいた。

「……なにやってるんだ、おまえら」

 と、言った男の顔は、なぜか、先ほど逃げていったはずの、多田にそっくりだった。

「さっさと、持っていった物を返せ」と、男達の一人が言うと、周りを取り囲んだ男達が、徐々に距離を詰め始めた。
「――待てよ。おい、おまえら。なにを言ってるのか、さっぱりわからねぇ」と、多田の顔をした男は、たまらず逃げ出した。

「待て!」と、男達は口々に声を上げながら、逃げ出した多田を追いかけていった。

「来るな。おまえら、来るな――」
 と、息を切らせて逃げる男が、街を縦断する豊平川までやって来た時だった。橋を渡る直前で、鼻歌のような声が聞こえてきた。ブツブツともシムシムとも聞こえる声は、川面を吹き過ぎる寒風に乗って、男の耳にも、悠々と届いていた。
「――な」と、多田の顔をした男が、急に足をもつれさせ、スチール製の硬い欄干にしがみついて、体を支えた。
「動けねぇ  」と、多田の顔をした男は、急に足を引きずりながら、欄干を抱きかかえるようにして、橋を進んで行った。

 ――ブツブツツブツ。シムムシムシムシム。

 と、なにかの経典を読むような、くぐもった声が近づいてきた。
 多田の顔をした男を追ってきた男達が、はたと立ち止まって、振り返った。
 男達は、くぐもった声が静かに近づいてくると、ササッ――と左右に素早く避けて、道をあけた。
 胸の前で両手を組み、聞き取れない声で祈りながら姿を見せたのは、金色のあごひげを生やした、十字教の審問官、ヨハンだった。
 ヨハンは、耳慣れない言葉をもごもごと唱えながら、多田の顔をした男に近づいて行った。

「来るな、こっちに来るな」と、ヨハンの姿を目にした男が、声を震わせて言った。

「ストーンはどこだ」と、ヨハンは、多田の顔をした男に言った。「聖なる秘宝はどこだ」
 ヨハンは、必死で逃げようとする男を見下ろしながら、くぐもった声に力をこめて、祈りの言葉を繰り返し唱え始めた。
「――くそっ。そんな物、知るか」
 と、言った男の顔は、首を絞められたように赤らみ、苦しそうな重い息を繰り返していた。
「おまえらなんかに。おまえらなんかに、やられてたまるか  」
 多田の顔をした男は、なにを思ったのか、動かない足を引きずりながら、見せつけるように橋の欄干を乗り越えると、凍りつきそうな冬の川へ、まっ逆さまに転落していった。

「ちっ――」

 と、ヨハンは舌打ちをすると、男が落ちていった川を確かめることもなく、つまらなさそうに踵を返した。
「――」と、振り返ったヨハンは、思わず足を止めた。
 先ほどまで後ろにいた男達の姿が、どこにも見あたらなかった。
 代わって、フリースを着た見知らぬ男が、ただ一人、ヨハンの前に立っていた。
「何者だ?」と、ヨハンは男に言いながら、胸の前で手を組もうと身構えた。
「ストーンっていうのが、文字どおり宝石なら、あなたはやはり、宝石を集めるのが趣味のようですね」と、アマガエルは言った。「安心してください。はじめてなので手加減できませんでしたが、ここにいたあなたの仲間達は、地球上のどこかに飛んで行って、離ればなれになっただけですから」
 ヨハンが、胸の前で手を組み、早口でなにかを唱え始めた。
「人の命を奪ってまで手に入れたい物とは、なんなんですか」と、言ったアマガエルは、ヨハンの正面からかき消え、真後ろに姿を現した。
「……」と、アマガエルは、ヨハンに向かって腕を伸ばしたまま、凍りついたように動きを止めていた。
「妙なやつだな」と、ヨハンは、身動きのできないアマガエルを振り返ると、注意深く見回した。「――道具? を使ってるわけではなさそうだな」
「まさか」と、ヨハンは言った。「聖人でもあるまいに、天然の能力者なんて、いるわけがない」
 ヨハンは、片手を伸ばしてアマガエルの喉に向けると、見えないリンゴを握り潰すように空気をつかみながら、もごもごと、くぐもった低い声で、なにかを唱え始めた。
 身動きのできないアマガエルは、まばたきすらできず、空気をつかむヨハンの手が小さく握られるのに従い、喉を絞められたように、顔を赤黒くさせていった。

 ――ピューイ。

 と、ヨハンがはっとして、辺りを見回した。
 甲高い口笛が、どこからか、不意に聞こえたような気がしたからだった。
 早朝の街は、まだ寝静まったままで、人影はどこにも見あたらなかった。
 誰もいないのを確かめたヨハンは、アマガエルに向き直った。



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大魔人(61)

2021-08-09 19:08:29 | 「大魔人」
 どんな価値があるのか、二人も詳しくは知らなかった。宝石について、確かに教えてはもらったが、この地上に二つとない貴重な物、という以外、理解することはできなかった。
 たどり着いた島で、思いがけず人工の宝石を作る技術を身につけた二人が、国に戻って宝石店を営むのは、しごく自然の成り行きだった。
 二人と一緒に宝石を作った男は、こう言っていた。
「いいか。こいつはよ、おまえらもよく知っている、大豆くらいの大きさだがな、月くらいなら、粉みじんに吹き飛ばすくらいのパワーを持ってるんだぜ」と、指輪の土台に設えられた緑色の宝石を見ながら、男は言った。「俺はもうきっと長くはないが、これをおまえ達に預けるからな。この島を出ても、この宝石だけは、絶対になくすなよ。次に会うときはどんな姿か、今はまだわからないが、必ずおまえ達の所に、引き取りに行くからな」
 ――いいか。と、うなずく二人に、男は念を押すように言った。
「この石がぼんやり光り出したら、それが合図だ。コイツの周波数はわかってるだろ。それを知ってるのは、この三人だけだ。俺が取りに行く前に、固定周波数を刺激して、この宝石を光らせる。それが、俺の挨拶代わりだ。わかったな」
 と、杉野と多田は、男の顔を見ながら、何度もうなずいた。

 ――え? 封筒ってなんだよ。なんのことなんだ。

 と、ニンジンは怒ったように言った。
「封筒を、とにかく封筒を送りました――」と、多田は外に人影を見つけて、あっと声を出しながら、あわてて電話ボックスをあとにした。
 隠してあった銃器を見つけられただけなら、会社から逃げ出す必要はなかった。だが、宝石店創立時のレガシーとして、支店の一角に展示されいた宝石が、光り始めた。会社の歴史を物語る資料として、それとなく置かれていた宝石だったが、店内の清掃に来てもらっているおばちゃんの一人が、鈍い光を放っているのを、たまたま見つけた。
 おばちゃんが仲良くしていた秘書の女性から、多田はその話を聞いた。多田は、自分の目で事実を確かめると、有無を言わさず、すぐに展示室を封鎖し、秘書には箝口令を敷いた。
 間違いなかった。緑色をしていた石が、紫色に変わっていた。これは、予告されていた合図ということ以外、考えられなかった。すぐに宝石をつけた指輪を展示からはずすと、多田は杉野に連絡を入れた。
 相談するというような、内容ではなかった。工藤の動きに注意を払っていた多田が取ったのは、指輪を持って逃げることだった。杉野は反対したが、もとより、杉野の考えを聞く気はなかった。窃盗の犯罪者として追いかけるなら、そうすればよかった。そのために家族が後ろ指を指されようと、宝石がなんらかの刺激を受けて爆発することで、数え切れないほどの人が被害に遭うよりは、よっぽどましだった。
 自分が指輪を持って逃げなければ、工藤が指輪を横取りするのは、目に見えていた。会社の闇の部分に興味を持つあまり、工藤が得体の知れない連中と連絡を取り合っているのは、本店に勤めている多田の娘からも、情報を受けていた。
 連中の正体が、十字教というヨーロッパに本拠を置く宗教組織であること。彼らが、どういう訳か、世界中に強いネットワークを待っていることも、次第にわかってきた。
 そして彼らは、杉野と多田が漂着した“島”と繋がっていることも、わかってきた。
 工藤が、会社内に極秘のグループを作り、創業者である杉野と多田をはじめ、重役達の目を誤魔化して、なにかを探しているらしいということは、杉野から聞かされていた。杉野も、工藤から直接その話を聞いたわけではなかった。ただ、出席した会議で一緒になった知り合いから、業界でこんな宝石の噂を耳にしたことはないか、と工藤から聞かれたのだという。どんな宝石なのか、くわしく話しを聞くと、まず間違いなく、杉野と多田が秘密にしていた宝石と、同じ特徴をしていた。
 偶然にしてはできすぎているが、よもや探している宝石が、自分が務めている会社に保管されているなど、工藤は思いもしていなかった。
 どうして、その宝石を探しているのか。杉野の知り合いが言うには、地球上のどこかにある島を探すために、必要な物なのだという。宝石にある角度で光を当てると、島の方角を指す、“太陽の石”と呼ばれる物だった。それは、いにしえのバイキングが、航海に用いたとされる伝説上の石だった。しかし、その石を実際に目にした人物は、誰一人としていなかった。
 話を聞いた杉野も、初めて聞くことだった。多田にも確認したが、二人と一緒に宝石を作った男も、そんなことは言っていなかった。ただ、とてつもなく大きな破壊力を持つということだけは、強く言い聞かされていた。
 杉野と二人でいた島で、何があったのか。どうやって、宝石を作ったのか。隠したい事実を話してまで、工藤を説得し、宝石に関わることを思いとどまらせるつもりはなかった。秘密を打ち明けたところで、協力を得られる人物でないことは、明らかだった。
「逃がすなよ」と、数人の男達が多田を追いかけていった後、一人の男が、多田がいなくなった電話ボックスに、遅れてやって来た。
 開けっ放された電話ボックスの扉の奥、受話器が、ぶらぶらと揺れているのが見えた。
 誰かが、受話器の向こう側で、叫んでいた。
 男は、そっと受話器を持つと、静かに元に戻して、電話を切った。
「――」と、暗い色のスーツを着た男は、上着のポケットから、無言で携帯電話のような物を取りだした。
「これがあれば、逃げられやしないんだって」と、つぶやいた男は、画面に映ったいくつかの点を見ながら、顔を上げて、周囲を見回した。
 男は、多田を追いかけていった男達のあとを、すぐに追っていくかに思えた。しかし、その表情が、見る見うるちに強ばっていった。
 電話ボックスから離れた男は、早朝で車の往来がない道路の真ん中に立ち、なにやら混乱した様子で、手にした道具の画面と周りの状況を、繰り返し見直していた。

「――いたぞ! 急げ!」

 と、多田を追いかけていった男達が、どういう訳か、こちらに戻って来た。
「おまえら、こっちにはいないぞ――」と、電話ボックスの外にいた男は、戻って来た男達に言った。




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大魔人(60)

2021-08-08 19:16:54 | 「大魔人」
 どちらかと言えば理想家で、ワンマンでもある杉野は、部下に対して容赦がなかった。創業者の一人である多田に対しても、その接し方は変わらなかったが、二人の間では、それが戦争当時からの、あたりまえの関係だった。しかし、創業者同士のそのやり取りは、社員達からすると、杉野が多田を追い詰め、強引に経営を進めようとしている、と見えてしまうようだった。
 重役達にも、もちろん社員達にも知らせず、二人きりで話し合った結果、多田が本店を出て、新しく出店する大通りの支店長に就くことで、ブレかけた会社内のバランスを、なんとか均衡に戻そうとした。

 ――へっ?

 と、ニンジンは、とぼけた声で言った。
「杉野さんに、仕事を頼まれましたよね」と、多田は、焦ったように言った。

 ――ああ、あれね。
 と、ニンジンは、思い出したように言った。
 ――あの仕事ね、断ったよ。

 と、ニンジンは言った。

 ――で、なんであんたが知ってんの? 誰なんだ。

「――」と、多田は受話器を持ったまま、唇を噛んでいた。
 多田は、人いきれで曇る電話ボックスの外を気にして、きょろきょろと落ち着きがなかった。どこに行くともわからない車が、まぶしいライトで電話ボックスを照らしては、走り去っていった。古くなったせいか、ぴったりと閉まらない電話ボックスの扉が、冷たい風に煽られて、ガタガタと音を立てた。
 多田が大通り店の支店長に就くと、会社を二分するような動きは、しばらくすると嘘のように収まった。二人は、新しい支店を、本社の影響は受けつつも、半ば独立したようなイメージの店舗とし、自由な雰囲気を持たせたこともあって、くすぶっていた社員達の不満を取り除くことができた。その結果、グループ全体の売り上げ上昇にもつながり、思惑以上の成果を上げることとなった。
 しかし、その成功も、長くは続かなかった。
 代表である杉野は、地元の経済界でも幅をきかせるほどになり、会社自体も右肩上がりで、多田もこのまま、満足して引退する将来像を描いていた。
 杉野にも、多田にも家族があり、それぞれに娘がいた。
 跡継ぎになる男子には恵まれなかったが、二人とも、会社はなんらかの形で続いていくだろうと、考えていた。
 そこへ、杉野の娘が、将来の後継者候補の一人となる婿を取ることになった。10代の頃から、決して素行のいい娘ではなかったが、娘が杉野の前に連れてきた工藤という男は、一見して杉野が「いいヤツだ」と、娘を褒めるほど、よくできた人間に見えた。
 工藤は、杉野の娘とほどなくして結婚したが、仕事を身につけるため、まずは多田が代表を務める支店に預けられた。
 工藤のメッキは、本店を離れてすぐ、音を立てて剥がれ落ちた。
 娘婿である工藤が興味を持ったのは、戦争直後に、杉野と多田がやむを得ず営んでいた、闇の取引だった。
 ちゃんとした商売ができる状況になってすぐに、手を引いた危ない仕事だった。
 しかし、すぐに手を引いたとはいえ、取引できずに残った外国製の銃器は、捨てることもまた、できなかった。
 杉野と多田は、人知れず地下に倉庫を作って隠したが、工藤はその隠し場所を、まんまと見つけてしまった。もしかすると、誰かの知恵が働いていたのかもしれないが、杉野と多田の、断つことのできない絆の秘密を知った工藤は、我が物顔で、会社内での影響力を日増しに強くしていった。
 仕事を覚えたいからと、大通りの支店で働くことを希望したのは、結婚したばかりの工藤自身だった。向上心の高い申し入れに感激した杉野は、すぐに多田に連絡を入れ、支店の勤務に就けた。しかし、それこそが、工藤の狙いだった。
 創業者の二人が、人知れず銃器を隠していたのは、大通り支店の地下だった。
 もともとは、将来の本店の建設地として、先んじて購入していた土地だった。しかし、商売が順調に利益を上げるようになっても、本店は立て替えこそすれ、移転することはなかった。本店を建設するために購入した土地には、やり場のなくなった銃器を人知れず保管する簡易な倉庫しか、建てられていなかった。
 宝石店のグループで所有していた土地とはいえ、政令指定都市となった自治体の、なおかつ中心部に近い場所にもかかわらず、簡易な倉庫しか建てられていない土地は、いつまでも怪しまれずにはいられないはずだった。ならば、その場所に支店を出してしまおうと、多田が杉野を説得した。杉野は、支店を建設するための資材運搬に乗じて、保管してある銃器を処分してしまおう、と提案したが、自分が見張っていれば大丈夫だ、と多田は自信を見せた。保管されていた銃器は、処分されることも、よそへ運び出されることもなく、秘密裏に作られた地下の倉庫で、手つかずのままだった。
「どうしよう。どうしよう。どう……」と、多田は落ち着きなく、繰り返し独り言のように言った。
「あの、あの――」と、多田は、やっと言葉をひねり出した。「あの、封筒を、送りました」
 と、それだけだった。しかし、それだけ言えば、わかってくれるだろう。そんな直感に、一か八か賭けてみた。探偵事務所の看板を出すくらいなのだから、どんなにへぼな人物だって、封筒の中身を見れば、その意味がわかるはずだった。
 杉野と多田には、ほかにも秘密があった。戦争中のどさくさに紛れて仕入れた銃器など、霞んでしまうほど重要な物だった。
 乗組員として乗船していた軍艦が撃沈され、命からがらたどり着いた島で手に入れた宝石が、その秘密だった。



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大魔人(59)【10章 審問官】

2021-08-07 19:26:42 | 「大魔人」
         10 審問官
 この1ヶ月、アマガエルは、教団を追い続けていた。
 行方不明になったまま、姿を現さない二人の姉弟のことが、気がかりだった。
 ニンジンが、為空間で襲われたという二人組の外国人は、文字どおり、どこかへ消えてしまったまま、姿を見せなかった。なにがあったのかは知らないが、表だった活動休止の裏で、なにかが動いているのは、間違いなかった。
 特技を使って、教団の事務所にも潜入したが、ひまそうなアルバイトの女性が一人いるだけで、教団がなにを企てているのか、はっきりとした情報は、得ることができなかった。
 ただ、ヨハンという名の審問官が、遠くヨーロッパの本部から、こちらに派遣されて来ているということは、知ることができた。
 教団の審問官とは、どんな人物で、その役割はなんなのか。外から事務所を見張っているだけでは、いたずらに時間ばかりが過ぎていくだけで、その姿を捉えることすらできなかった。事情を知っている誰かに、直接話を聞いてみるしか、手がかりを得られそうになかった。
 アマガエルは、勧誘のパンフレットを見て詳しい話を聞くため、思い切って事務所を訪ねてきた。という設定で、教団のドアを叩いてみることにした。
「――はい。なにかご用でしょうか」と、眠そうな顔をした女性が、口元によだれの跡をつけたまま、事務所のドアを開けた。「誰も、いないんですけど」
 ドアを開けた女性は、アマガエルが見る限り、まだ大学生くらいのようだった。
「えっ、困ったなぁ」と、アマガエルは、頭を掻いて言った。「もっと詳しい話を聞かせて欲しいと思って、休みを取ってきたんですけど」
「社会人の、方?」と、女性は言った。と、アマガエルは、にこりとうなずいた。「ですよね……」
 アルバイトの女性は、「あいにく、教団の人は誰もいないんですけど」と、アマガエルを追い返そうとしたが、既に事務所の中を捜索していたアマガエルは、見つけた教団の関係者の名前を出して、なんとか事務所の中に通してもらうことができた。
「ほんとに、その人の知り合いなんですか?」と、大学生らしい女性は、困ったような顔をして言った。
「はい。教団の教えについて、いろいろ話してくれたんですよ」と、アマガエルは言った。「ヨーロッパの本部から、審問官が来ているとかで、機会があれば会えるかもしれないって、言われていたんですけど――」
「来ているみたいですね」と、女性は言った。「私も、講義のない日に事務所の留守番をしているだけなんで、詳しいことはわからないんです」
 アルバイトの女性は、ヨハンという名の審問官が、本部から派遣されて来てすぐ、雇われたのだという。しかし、その日以来、教団の事務所にほとんど人が出入りすることはなく、ただ電話やメールで、連絡があるだけなのだという。
「――この前も、朝出勤してきたら、事務所の中の書類が心なしか散らかっていたりして、怖かったんですよ」と、女性は言った。アマガエルは、それが自分の仕業だとわかっていたが、正直に名乗り出るわけにはいかなかった。「きっと、教団の人が探し物に来たんでしょうけど、メモのひとつも書いておいてくれればいいのに、困っちゃいます」
「鍵も、預けっぱなしなんですか」と、アマガエルは言った。
「そうなんです。電話の応対と、簡単な案内だけだって聞いてたんですけど」と、女性は言った。「でも、働いている内に気になり出して、いつのまにか、掃除もするようになっちゃってました」
「ここに来ればいいって、言われてたんだけどなぁ――」と、アマガエルは、残念そうに言った。「ここじゃないとすれば、どこに行けば、教団の人に会えますかね」
 と、アルバイトの女性は、思いついたように言った。
「そうだ。きっと、宝石屋さんですよ」
「――えっ、宝石ですか」と、アマガエルは言った。
「何日か前に、問い合わせがあったんです」と、女性は言った。「駅前にある宝石店の者だって。工藤って人でしたけど、ヨハンはいるかって。どんな人かは知りませんけど、審問官のことを、呼び捨てにしてました」
「へぇ――」と、アマガエルは首を傾げた。「宝石店で、なにかイベントでもあるんでしょうか」
「違うと思いますよ」と、女性は首を振った。「なにか協力してやってるみたいでしたけど、教団のイベントではないと思います。ただ、気になるのは、ほら――」
 と、アルバイトの女性は、宝石店で起きた強盗事件のことを話した。
「――あの宝石店って、このまえ事件があったじゃないですか」と、アルバイトの女性は言った。「電話をかけてきた人は、本店の人みたいでしたけど、ここの人達が巻きこまれていやしないか、心配してるんです」
 アマガエルは、せっかく出してもらったお茶をごちそうになってから、お礼を言って、事務所をあとにした。
「宝石ね」と、つぶやいたアマガエルの足は、事件があったという宝石店に向かっていた。

 ――――……

「赤木さんですか……」と、宝石店の多田支店長は、地下鉄の駅に近い電話ボックスで、誰かと話をしていた。

 ――ええ、赤木探偵事務所です。なんかご用ですか?

 電話の相手は、ニンジンだった。朝5時前の電話に、受話器を通しても、イライラした様子の雰囲気が、伝わってきた。
「杉野さんに、あの、仕事を頼まれませんでしたか」と、多田は言った。
 杉野は、戦争後、一緒に引き上げてきた戦友だった。なにもないところから、二人で宝石店を立ち上げ、地元でも大企業のひとつに数えられるまで、会社を大きくしてきた。
 もともと上官だった杉野が代表に就くのは、自然の流れだった。しかし、実質的に会社を切り盛りしていたのは、多田だった。
 戦争後の混乱に乗じて、法に触れるぎりぎりを綱渡りしたことも、幾度となくあった。
 会社が次第に大きくなってくると、会社の代表である杉野と、意見の食い違いこそなかったものの、会社を二分する派閥ができるようになってしまった。




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大魔人(58)

2021-08-06 19:32:31 | 「大魔人」
「しっかし。あの人も、よくよく面倒ごとに巻きこまれる性分ですね」と、アマガエルは言った。
 顔を上げた先には、ニンジンの探偵事務所があった。
 根拠があるわけではなかったが、火薬の匂いを身に纏った怪我人を、どこかに連れて行った人間がいるとすれば、町中を探しても、それほど多くいるとは思えなかった。
 しかも、この時間にここを通りかかるほど、都合よく現れただろう人間は、ニンジン以外に思いつかなかった。
「――」と、アマガエルは苦笑を浮かべつつ、寺に向かって、道を曲がっていった。

 歩き始めてすぐ、力強い足音が、後ろをついてくるのがわかった。

 決して、あとをつけているのを隠すような、足音を殺して、あとをつけているのを誤魔化すような、そんな歩き方ではなかった。むしろ、早く立ち止まって、後ろを見ろ、とでも言いたげな、そんなあからさまな様子だった。
 店を出てから、少なくとも地下鉄の駅までつけてきていた人間とは、明らかに別の人間だった。
 アマガエルは、わざと遠回りに寺に向かいながら、よさげな場所を探していた。
 と、公営住宅が立ち並ぶ団地の足元に、心ばかりの遊具が設えられた小さな公園を見つけて、アマガエルはぴたり、と足を止めた。
 ジャンパーのポケットに両手を入れたアマガエルは、冷えた体を身震いさせながら、後ろを振り返った。
 大きな歩幅で後ろからやってくる影は、スチールの低い柵で仕切られた公園の出入り口を抜け、アマガエルの方に向かってきた。
 道路を照らす街灯に、ちらりと浮かび上がった顔は、肩幅の広い、がっちりとした体躯には不釣り合いな、高校生くらいの、幼さがわずかに残る顔立ちだった。

「誰か、お探しですか」と、アマガエルが言った。

 公園に生える芝を踏みしめながら、男は距離を取ってアマガエルの前に来ると、立ち止まった。

「サオリはどこだ」

 と、言った男の声には、顔立ちだけではなく、やはり高校生のような、太すぎないやや高めの響きがあった。
「はて、誰のことでしょうか」と、アマガエルは首を傾げて言った。
「――」と、男は、むっと唇を引き結んでいた。
「ここに来るまで、誰か別の人間がいたと思うんですけど」
 アマガエルが探るように言うと、男が「フン」と、鼻を鳴らして言った。
「だろうと思ったんだ」と、男は言った。「ここに来る前に、寝かせといてやったよ」
「――へぇ」と、アマガエルは、驚いたように言った。「仲間割れとは、初耳ですね」

「なに」と、男は両の拳を握って、言った。「“神の杖”が、オレ達になんの用があるんだ」
「私は、なにも用事はありませんけど――」と、言ったアマガエルの表情が、わずかに厳しさを増していた。「“神の杖”なんて聞くと、どうにも興味が湧きますね」
 拳を握った男は、薄暗い街灯を背にして、じりじりとアマガエルとの距離を詰めていた。
「あの子は、怪我をしているはずだ」と、男は言った。「居場所を教えなければ、しばらく痛い思いをすることになるぞ」
「おっと。そりゃあ、怖いですね」と、アマガエルは本当にそう思っているのか、くすくすと笑い声を洩らした。
「なにがおかしい」と、男は言った。
「あなた、どうも変だと思ったら――」と、アマガエルは男を避けるように、足を運びながら言った。「人間、ですか?」
 と、男は足を止めて言った。
「オレは人間だ。ただ、おまえよりは、ずいぶんと昔に生まれたけどな」と、男が射るような目で、アマガエルを見て言った。「おまえこそ、普通の人間ではないだろう」
「――さぁ」と、アマガエルは首を傾げた。「もう少し詳しく――」

 ブンン――……

 と、岩のように唸る拳が、風を切るような早さで、アマガエルの頬を捉えていた。

 ヒュン――……
 
 と、小さなまばたきをするアマガエルの前から、男の姿が忽然と消え去っていた。
「――もう少し詳しく、話をしませんかって、言おうと思ったんですけどね」と、アマガエルは言うと、ニンジンの探偵事務所がある方角に、顔を向けた。
「退院祝いにしちゃ、痛いプレゼントになっちゃったな」と、アマガエルは言った。「まぁ、丈夫な人ですから、すぐに良くなるでしょう」
 アマガエルは、ぶるる、と体を震わせると、ジャンパーのポケットに手を入れながら、小走りで寺に向かっていった。




ニンジン
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大魔人(57)

2021-08-05 19:06:47 | 「大魔人」
 と、駅の入口が、遠目にも見える頃になって、おやっ――と、気がついた。
 いつからか、自分のものとは違う足音が、わずかに遅れて聞こえながら、進む方向について来ていた。
 思わず、アマガエルは、歩みを遅くした。
 やはり、あとをつけられているのか、距離が離れているとはいえ、後ろから聞こえてくる足音も、アマガエルの歩調に合わせて、ゆっくりとしたリズムに変わった。

 ――誰だろう。

 と、アマガエルは、歩きながら考えていた。
 教団なら、先に店を出たニンジンのあとを、追いかけるんじゃないだろうか。放火事件を調べている警察なら、警察署に出向いていった時に追い返さず、事情聴取をすればよかった。
「こりゃ、“灯台もと暗し”って、やつですかね」と、アマガエルは、自分自身に苦笑した。
 ニンジンのことばかり気にしていたが、一連の事件に関わっているのは、自分も同じだった。為空間から帰ってきた子供達と、最後まで一緒だったのは、ニンジンと、アマガエルの二人だった。
 真人の姿は見ていないが、戻って来た恵果は、確かに寺に泊めてやった。
 朝になって、どこかに行方をくらませてしまった恵果だが、直前まで一緒にいたアマガエルが、悪魔をかくまっている。と勘違いをされてつけ狙われても、おかしくはなかった。
 後ろからつけてくる足音を気にしつつ、アマガエルは、地下に向かう通路を進んで行った。
 ――プラットフォームで、車両の到着を知らせるアナウンスが流れると、なにげないのを装って振り返り、あとをつけてきている者の姿を探した。
 しかし、列に並ぶ人々に紛れて、怪しいと思われる者の姿は、まるで見つけられなかった。
 アマガエルは、小刻みに列車に揺られながら、目的の駅に到着すると、つかまっていた吊革を離し、降車する乗客の中に混じって、列車を降りた。
 駅の外に出てくると、寒さは相変わらずで、思わず身震いが出た。駅の階段を上り下りする人の足音で、あとをつけてくる者の足音は、かき消されていた。
 まっすぐ、寺に帰ろうとは、思っていなかった。どこかで、正体を暴いてやるつもりだった。
 と、遅い時間にはらしくない、小さな女の子の姿があった。
 ジャンパーを着ていても肌寒い中、半袖の白いワンピースを着た女の子は、少し離れた交差点を、青信号の点灯に合わせて、駆け足で横切っていった。
「――ケイコちゃん?」と、アマガエルは、思わず声を出していた。
 道路を照らす街灯の明かりだけでは、暗くてよく見えなかったが、雰囲気は、恵果にそっくりだった。
「ちょっと待って」と、アマガエルは走り出していた。「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」
 どこをどう走ったのか、なかなか距離が縮まらなかった。ちらほらと、見え隠れする小さな姿を、アマガエルは夢中で追いかけていた。
 息が切れるほど走ったにもかかわらず、小さな女の子の姿は、とうとう見えなくなってしまった。立ったまま、膝についていた手を離して顔を上げると、そこは、知らない住宅街の中だった。
「――」と、周りを見回しつつ、アマガエルは、車の往来が見える道路に向かって、歩き始めた。
 歩きながら、見失った女の子の姿がないか、あきらめきれず、きょろきょろと辺りに目を走らせていた。
 と、いつのまにか、後をつけてきていた足音が、聞こえなくなっていた。
 追っ手が見失うほど、息せき切って走っていたわけではなかった。アマガエルは、立ち止まって後ろを振り返ったが、がらんとした夜中の道路には、誰の姿もなかった。
 車が走る通りに出ると、道路に掲げられた標識の案内で、自分の居場所を知ることができた。
 それほど、駅から遠く離れていないのはわかっていたが、どことなく、見覚えのある町並みだったのは、ニンジンの探偵事務所がある近所だったからだった。
「やれやれ」と、アマガエルは、ほっとしたように言った。「まかり間違えば、歓迎されない客を連れて行くところでした」
 くるり踵を返そうとして、アマガエルは、振り向いたまま足を止めた。
 かすかに、鉄のような匂いを感じていた。血のにおいだった。
 アマガエルの表情が、とたんに厳しくなった。
 引き返そうとしていた体を戻し、わずかに漂ってくる匂いを、慎重に追いかけていった。
 等間隔に並ぶ電柱に設置された街灯が、住宅街に延びる道路を、点々と照らしていた。
 と、駐車場にしては狭い、物置を置くには広めな住宅の陰で、アマガエルは足を止めた。
 街灯の光が届くか届かないか、微妙な距離感の場所は、身を隠そうとするなら、ちょうどいい場所かもしれなかった。
 膝を折ったアマガエルは、敷き均された砂利に目を凝らした。街灯の明かりを、自分の影が遮って暗かったが、なにやらわずかに色の変わった場所に手を伸ばすと、指先に液体が触った。
 匂いを確かめると、鉄のような匂いが、ツンと鼻をついた。
「血ですね――」と、アマガエルは言った。
 立ち上がったアマガエルは、怪我を負っているだろう、人影を探した。
 血の跡の残る隙間の奥は行き止まりで、誰もいなかった。と、奥の突き当たりまで足を伸ばそうとして、硫黄の匂いが、かすかに残っているのに気がついた。
「いまじき、花火をする人はいないよな」と、アマガエルはつぶやいた。
 道路に出て、血の跡がないか見回したが、どこにも残っていなかった。
 さて、怪我人はどこに行ったのか――と、道路の先を見ながら顔を上げたアマガエルは、あきれたように、ため息をついた。




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大魔人(56)

2021-08-04 19:29:04 | 「大魔人」
「お、若住職じゃないか」と、その後ろから、ヒゲの生えた老人が、顔をのぞかせて言った。
「――おや、めずらしい」と、また別の老人が、アマガエルを見て言った。「よかったら、こっちに来て一緒にどうだい」
「まだまだ、食べ物もありますよ」と、姿は見えないが、奥から、別のおばちゃんの声が聞こえた。

「いやあ、みなさん。どうも――」と、アマガエルがジョッキを手に、向こうに見える団体に、挨拶を返した。

「いつからそんな、人気者になったんだ」と、ニンジンが、熱々のおでんに涙をにじませながら言った。「本性は、こんなにケチな人間だなんて、知らないんだろうな」
「いえいえ」と、アマガエルは、首を振って言った。「みなさん、私が子供の頃からの知り合いですよ。あれもこれも知られている、隠し事のできない、家族みたいなもんです」
「へぇ――」と、ニンジンは、ビールの入ったジョッキを手に、小上がりに向かって、こくりと挨拶を返した。
「顔は笑ってますけどね、冷や汗でびっしょりですよ」と、アマガエルは、ビールを口に運んだ。
「――そりゃ、ご苦労様ですな」と、ニンジンは、気味がよさそうに言った。

「じゃ、先に出るよ」と、ニンジンはビールを一気に流しこんで、席を立った。

「ちょっと」と、アマガエルは、驚いて言った。「まだ、食べ物も残ってますよ」
「病み上がりなんで、あんまり量は食えないんだよ」と、ニンジンは、申し訳なさそうに、頭を掻いて言った。「知り合いも盛り上がってるようなんで、せっかくなんだから、顔を出してやれよ」
「ちょっ……」と、アマガエルは、ニンジンを引き留めようとしたが、伸ばした手をするりとかわして、ニンジンは、あっという間もなく、店をあとにした。
「……」と、アマガエルは、厳しい顔を浮かべていた。

「――タッちゃん。ねぇ、タッちゃん」

 と、小上がりに向かって振り返った顔は、いつものアマガエルの顔だった。
「よろしければ、私も仲間に入れてもらえますか」
 ジョッキを手に立ち上がったアマガエルは、照れたように笑みを浮かべながら、小上がりの席に向かっていった。

 ――――  

 アマガエルは、時間が進むほど熱を帯びてくる席を、逃げ出すようにして店を出た。
「やれやれ」
 と、思わず、ため息がもれた。
 先に店を出たニンジンの姿は、とっくに見えなくなっていた。
「なにもなきゃ、いいですけどね」と、アマガエルは、ぽつりとつぶやいた。
「――んっ」
 と、けたたましいサイレンが、遠くから聞こえてくるのがわかった。
 店の外に出てくる前、席を立つタイミングを計って、カウンターで休んでいると、店の端に置かれたテレビが、緊急中継を始めた。
 店内が騒がしく盛り上がっている中、内容はほとんど頭に入ってこなかったが、宝石店で、警官隊が大勢出動する事件があった、というテロップが、大見出しに映し出されていた。
 どうやら、その現場から聞こえてくる、サイレンのようだった。
 アマガエルは、襟元に吹き込む風に身震いをして、ぶるりと首をすくめた。
 10月を過ぎると、真夜中の寒さは、ひたひたと身近に迫って来る冬を、嫌でも意識させた。
 大通りに近い、居酒屋だった。刺すような冷たい風が、温かそうに輝く赤い提灯を、誘うように揺らしていた。
 檀家の顔見知りから、おいしい店があると聞いて、いつか行ってみたいと考えていた。
 いつ行こうか、決めかねていた所に、ニンジンの退院が重なった。
 表向きには、退院のお祝いだった。しかしその実、ニンジンの警護が、本当の目的だった。
 教団が、水を打ったように息をひそめてから、もう1ヶ月が過ぎていた。
 行方不明になっている子供達が出てこなければ、為空間から、たった一人だけ戻って来たニンジンが、悪魔の居場所を知る手がかりとして、つけ狙われると考えていた。
 悪魔――いや、魔人の息の根を止められなかった教団は、布教活動も休止するほど、ぴたりと動きを止め続けていた。
 行方不明の子供達を探す気配もなかったことから、放火事件の関係者として、ニンジンを監視している警察の目をかわしつつ、襲いかかるタイミングを計っているとばかり思っていたが、退院したニンジンが言っていたとおり、教団は、魔人の逆襲を恐れているのかもしれなかった。
 しかし、仮にそうだとして、行方不明になった子供達と、最後まで行動を一緒にしていたニンジンが、次のターゲットになっても、おかしくはなかった。
 本人は、子供達がどこに行ったか、覚えていないと言っていたが、人間を石に変える奇妙な術を使う連中なら、記憶の奥底に沈んでいる記憶を引き出すくらい、朝飯前かもしれなかった。
 居酒屋を出たアマガエルは、先に店を出たニンジンと同じく、大通りとは反対方向にある、地下鉄の駅に向かった。
 まだ忘年会も先のイベントで、終電に近いとはいえ、地下鉄が走っている時間のせいか、落ち葉をカサカサと鳴らしながら吹く風の中、ちらほらと、道行く人達の姿があった。
 アマガエルは、いつものとおり、オフィスビルや商業ビルが立ち並ぶ駅前通りをさけ、人通りの少ない道を、小走りに歩いていた。




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大魔人(55)

2021-08-03 19:00:31 | 「大魔人」
「でしょうね」と、アマガエルは言った。「母親を放火の犯人に仕立てて、子供達が行方不明になれば、ぐっと動きやすいですし、なにより彼らがいうところの“悪魔送り”という名の暗殺も、やりやすくなる」
「――どこまでも行方不明になってりゃ、ムクロが出てくるまで、事件にはならないからな」と、ニンジンは言った。
「入院してる間、あいつらに動きはあったのかい」と、ニンジンは言った。
「――」と、アマガエルは首を振った。「気味が悪いほど、なにもありませんでした。布教活動をしていた外国人の姿も、ピタリと消えてしまいました」
「ん? それは、終わったって、感じなのか」と、ニンジンが言うと、アマガエルは「いいえ」と言って、首を振った。
「教団の建物はそのままですし、調べたところ、“審問官”っていう偉い人が、ヨーロッパから、わざわざこっちにやって来ているそうです」
「――これは推測だぞ」と、ニンジンは言った。「おまえは魔人に会ってないから、ピンとこないかもしれないけど、あの感じから考えれば、子供達はまだ無事でいるはずだ。そして教団は、子供達の行方を追いつつも、逆襲に備えている」
「悪魔って、人類に牙を剥くんじゃなかったでしたっけ」と、アマガエルは言った。「話を聞いてると、悪魔と教団の戦い、みたいに思えてきますね」
「“悪魔”って言ってるのは、教団だろ。あれは、“魔人”だったよ」――神様って書く“魔神”じゃなくって、人間って書いて、“魔人”な。と、ニンジンが宙に字を書きながら言うと、アマガエルはうなずいた。
「悪いヤツには思えなかった」と、ニンジンは言った。「――いや、だからって、いいヤツだってことじゃないぜ。ただ少なくとも、今のところは、人類全体を地獄に落とすなんて、そんな血なまぐさい事をやるような、悪いヤツじゃなかった」
「どこにいるんでしょうね」と、アマガエルは言った。「――すみません。おかわりお願いします」

「ハーイ」

 と、返事をした女性の店員が、アマガエルの空になったジョッキを、厨房に下げて行った。
「車の調子はどうだい」と、ニンジンが、店の隅にあるテレビのCMを見て、思いついたように言った。
「クラシックカーですからね」と、アマガエルは言った。「歴史も点数に入れれば、多少の乗り心地は気にならないくらい、調子がいいですよ」
 と、アマガエルは、厨房から伸びてきた手から、なみなみとビールが注がれたジョッキを受け取った。
「――どうも」と、アマガエルは、小さく頭を下げて言った。「でも、どちらかっていうと、車はほとんど乗っていないんです。移動はもっぱら、公共交通機関で済ませてます」
「いや、そういうんじゃなくってさ」と、ニンジンは言った。「見舞いに来た時も話したろ、イクウカンであったことをさ」
「ええ。覚えてますよ」と、アマガエルは、不思議そうな顔をした。「よく車が無事だったなって、感心しましたから」
「修理代を請求するとか言ってたから、こっちだって、気が気じゃなかったんだからな」と、ニンジンが言うと、アマガエルは、おどけて首をすくめた。
「向こうの空間に車ごと落っこちて、ぼこぼこになったんだけど、まことが変な術をかけて、車が自分自身を修理しちまったんだよ」――話したろ。と、ニンジンは、確かめるように言った。
「――」と、アマガエルは、無言で笑顔を浮かべた。
「なんだよ。わかっちゃねーな」と、ニンジンは、ため息交じりに言った。
「こっちの世界に戻ってくれば、まことがかけた術は、消えるんじゃないかって、そう思ってたんだ」と、ニンジンは言った。「だけど、もしもかけられた術が、永久に解けないとしたら、変わったものは、変わったまんまだろ」
「――」と、アマガエルは、黙ってビールを口に運んだ。
「病室にいて、何回か同じ夢を見たんだよ」と、ニンジンが言った。「Kちゃんが、ぼくが石になるのを止めようとして、妙に温かい光線を浴びせてくるんだ」
「事実なのかどうか、それはわからないぜ」と、ニンジンは、笑いながら言った。「でも考えてみりゃ、なにかしなけりゃ、普通はあのまま石になってるだろ。医者も手を上げるような、訳のわからない症状だったんだからさ」
「寺の車も、術をかけられたままなら、今も自分で自由に動ける、と――」と、アマガエルは言った。
「じゃないかと思うんだよな」と、ニンジンが、大きく伸びをしながら言った。「車に乗ってた人間が、人が見ている目の前で消えるなんて、マジシャンでもなきゃ無理だぜ。しかも、片腕を無くすような大怪我を負ってる人間なら、至難の業に違いないだろ。意識は大人びてるかもしれないが、見た目も実際も、10才になったばかりの小学生なんだからな」
「ここのところ、寒さも厳しくなって、初雪もそろそろですし、車は、車庫に入れっぱなしなんです」と、アマガエルは言った。「帰ったら、“脱出”のトリックが仕掛けられていないか、調べてみますよ」
「それがいい」と、ニンジンは、おでんに箸をつけた。「――うまいね、この大根」
「でしょう」と、アマガエルは、うれしそうに言った。「居酒屋ですけど、おでんの完成度が高いんですよ」
「遠慮しないで、食べてくださいね」と、アマガエルは、自分もおでんを口に頬張りながら言った。「この盛り切り、ひと皿だけなんで、早い者勝ちです」
 ニンジンは、「フワフワ」言いながら、おでんのネタを、次々に口に放りこんだ。

「――あら、タッちゃん」

 と、見知らぬおばちゃんが、奥の小上がりから、顔をのぞかせて言った。
「めずらしいね、こんな所で会うなんて」




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