3 事件
一ヶ月ほど経ったある日、町に一台の馬車がやって来た。短いタラップから下りてきたのは、ケントとの婚礼を控えたエレナ、その人だった。
面長な顔に知性を感じさせる瞳を輝かせ、きりりと引き結ばれた薄い唇は、意志の強さを思わせた。白い鍔広の帽子の下にのぞくのは、しかし疲れ切った老婆のような影だった。帽子と同じく白いドレスは、都会の匂いをぷんぷんと漂わせ、往来を行く人々をあこがれの羨望にさせた。燦々と降り注ぐ陽光に目を細め、日傘を差すその仕草は、弱々しい肢体からは想像もできないほどいまいましげで、神経質だった。
馬車の奥から、もう一人、タラップを下りてくる者があった。身なりのしっかりした若者で、エレナを見下ろして立つその姿は、たくましさに溢れていた。知性を感じさせる目はエレナにそっくりで、太い眉は男らしかった。薄笑いを浮かべる顔はしかし憎々しげで、人好きのしないものだった。
御者が荷物を下ろし、走り去ると、二人はそれぞれに大きな鞄を持ち、グリフォン亭を探して歩き始めた。
広い通りに出ると、荷物を積んだ馬車を先頭に、一群の町の男達が手に手に銃を持ち、足早に二人の目の前を通り過ぎていった。何事が起こったかと心配げに見守るところへ、正装したケントが「やあ」と言って現れた。
「ケント!」と、エレナは嬉しそうに叫ぶと、満面に笑みを浮かべながら、ケントの首に抱きついた。
「おいおい、重いじゃないか、それに人が見てる」と、ケントは顔をほころばせながら言った。
「いいじゃない。愛してるわ――」
二人は抱き合い、しばらくお互いの温もりを感じ合うようにじっとしていた。
「元気だったかい、エレナ?」
「ええ。でも、あなたにいつ会えるのかしらって、ため息ばかりついていたわ」
「ごめん、ぼくもいろいろあってね。手間取っていたんだ」
エレナは微笑みながら首を振ると、ケントに若者を紹介した。
「息子のトムよ」
エレナが言うと、トムはこくん、と照れたようにお辞儀をした。
「やあトム。お母さんから話は聞いていたが、ずいぶんとたくましいね」
今年で――? とエレナを向くと、ケントに十六よと囁いた。
「――十六だったな。娘のアリエナと二つ違いだ。甘えん坊な娘だから、お兄さんができて嬉しいだろう」
さあ、とエレナの荷物を手に取ると、ケントは先に立ってグリフォン亭に案内した。エレナはケントの腕に手を回し、そっと頭をもたれた。
グリフォン亭の前では、使用人と共にアリエナが出迎えた。エレナと挨拶を交わすアリエナは快活で、その姿からは、悲しみにうちひしがれていたことなど、想像もできなかった。
「こんにちは、エレナさん。お久しぶりです」
一ヶ月ほど経ったある日、町に一台の馬車がやって来た。短いタラップから下りてきたのは、ケントとの婚礼を控えたエレナ、その人だった。
面長な顔に知性を感じさせる瞳を輝かせ、きりりと引き結ばれた薄い唇は、意志の強さを思わせた。白い鍔広の帽子の下にのぞくのは、しかし疲れ切った老婆のような影だった。帽子と同じく白いドレスは、都会の匂いをぷんぷんと漂わせ、往来を行く人々をあこがれの羨望にさせた。燦々と降り注ぐ陽光に目を細め、日傘を差すその仕草は、弱々しい肢体からは想像もできないほどいまいましげで、神経質だった。
馬車の奥から、もう一人、タラップを下りてくる者があった。身なりのしっかりした若者で、エレナを見下ろして立つその姿は、たくましさに溢れていた。知性を感じさせる目はエレナにそっくりで、太い眉は男らしかった。薄笑いを浮かべる顔はしかし憎々しげで、人好きのしないものだった。
御者が荷物を下ろし、走り去ると、二人はそれぞれに大きな鞄を持ち、グリフォン亭を探して歩き始めた。
広い通りに出ると、荷物を積んだ馬車を先頭に、一群の町の男達が手に手に銃を持ち、足早に二人の目の前を通り過ぎていった。何事が起こったかと心配げに見守るところへ、正装したケントが「やあ」と言って現れた。
「ケント!」と、エレナは嬉しそうに叫ぶと、満面に笑みを浮かべながら、ケントの首に抱きついた。
「おいおい、重いじゃないか、それに人が見てる」と、ケントは顔をほころばせながら言った。
「いいじゃない。愛してるわ――」
二人は抱き合い、しばらくお互いの温もりを感じ合うようにじっとしていた。
「元気だったかい、エレナ?」
「ええ。でも、あなたにいつ会えるのかしらって、ため息ばかりついていたわ」
「ごめん、ぼくもいろいろあってね。手間取っていたんだ」
エレナは微笑みながら首を振ると、ケントに若者を紹介した。
「息子のトムよ」
エレナが言うと、トムはこくん、と照れたようにお辞儀をした。
「やあトム。お母さんから話は聞いていたが、ずいぶんとたくましいね」
今年で――? とエレナを向くと、ケントに十六よと囁いた。
「――十六だったな。娘のアリエナと二つ違いだ。甘えん坊な娘だから、お兄さんができて嬉しいだろう」
さあ、とエレナの荷物を手に取ると、ケントは先に立ってグリフォン亭に案内した。エレナはケントの腕に手を回し、そっと頭をもたれた。
グリフォン亭の前では、使用人と共にアリエナが出迎えた。エレナと挨拶を交わすアリエナは快活で、その姿からは、悲しみにうちひしがれていたことなど、想像もできなかった。
「こんにちは、エレナさん。お久しぶりです」