5 調査
朝。
いつものお勤めを終えたあと、アマガエルは空のような青い色のシャツに着替えると、
「いってきまーす」
と言って、家の玄関を出た。
ここのところ、なにかといそがしそうにしている姿を見て、住職である父親は、本業がおろそかになる、と渋い顔をしていたが、母親は反対に、怪我をするようなことはやめてほしい、と心配している様子だった。
アマガエルが向かったところは、キクノさんの孫が通う小学校だった。
二人の姉弟は、いつも決まって、一緒の時間に家を出るのが常だった。
ゆっくりと、ペースを計って歩く向こうから、姉弟より先に家を出た父親が、軽く早足になって、こちらにやって来た。
アマガエルが父親とすれ違うと、ちょうど家を出た、小学生の姉弟の後ろ姿が見えた。
小走りになられると、小学生の足でも、ぐんぐんと距離を離されるが、一人二人と知り合いの顔が増えるてくると、二人の足取りは急に遅くなり、アマガエルも、やっと二人に追いつくことができた。
初めて姉弟を見た時は、キクノさんの話が、まるで信じられなかった。
どこにでもいる、ごく普通の小学生に見えた。
ただ、登校する時間に合わせて、この三日間、姉弟と一緒に歩くうち、少なからず、回りの雰囲気がおかしなことに、気がついた。
通学路で知り合いの姿を認めると、お互いに挨拶は交わすが、姉の方は黙ったままで、相手よりも先に出ないよう、わざと歩くペースを遅くしているようだった。
その点、弟の方はどこかあっけらかんとしていて、知り合いに会うと、小学生らしく無邪気にじゃれ合うが、姉を気遣ってか、一人で先に進むことはなかった。
遠巻きに避けられているのは、やはり姉の方だった。
姉弟の母親の話しによれば、異常行動が始まって1年以上経った今でも、不意の発作のように、時折、異常な行動が見られるらしかった。
それは家だけではなく、学校でも、同じように見られるのだという。
しかし、病的にも思える行動と、周辺で見られる現象の内容とを聞けば、どれも小学生の女子がやったこととは、思えなかった。
授業中に、突然立ち上がって、呪文のような物を唱え始める、といったことであれば、精神的な不安定さに、原因があるのかもしれなかった。しかし、大きな雹が降ってくるとか、カラスの大群がグラウンドの上空を群れ飛ぶとかいう現象について、どちらも異常行動と直接関係しているとするのは、どうにも無理矢理すぎる気がした。
少女の異常な行動と、めずらしい現象のタイミングが奇妙に合致したため、あたかも少女が現象を引き起こしたかのように、見えるだけではないか。
説明がつかないことがらを、同じように説明がつかない少女の言動とに結びつけて、安易に結論づけようとしているだけのようだった。
アマガエルが、二人の様子をうかがいながら歩いていると、わずかのあとに、二人は小学生の子供達の流れに合わせ、学校の門をくぐって、靴箱が並ぶ玄関に向かっていった。
通りを先に進む大人達の中に混じって、アマガエルは小学校の門を通り過ぎると、ややもして、校舎を横目に立ち止まった。
丈の低い生け垣の向こうに見える校舎の中から、元気のいい子供達の騒々しさが、空気を揺らすかすかな振動になって、伝わってきた。
姉弟が授業を終えて下校するまで、ここにいるわけにもいかなかった。
学校の中で、なにかあるかもしれないが、少女が異常行動を起こすきっかけがわからなければ、ただ待ち続けていても、徒労に終わるのは目に見えていた。
やはり気になるのは、弟のノートに見つけた、短い書きこみだった。
アマガエルは、駅に向かう人達と同じ方向に向き直ると、またゆっくりと歩き始めた。
通勤で、駅に向かう人達の中に混じりながら、今日の昼は何にしようか、考えていた。
明日で5日目になるが、少女の異常行動がいつ起こるか、その実態を見るまでは、同じ生活を続けるしかなった。
異常行動をする姉と比べ、弟の方は、繰り返し悪夢を見ると言っていたそうだが、それは、アマガエルが見た、あのノートのことなのだろうか。
なにが書かれているのか、まるでわからなかった。しかし、なにかの法則というか、文章を記す約束事のような物が、あるようにも見えた。数枚の写真を携帯電話に収めたが、見直しても、規則的に配置された記号のようにも見えるが、なにが書かれているのか、さっぱりわからなかった。
読めたのは、弟のノートになぜが姉が書いた、“外国人、宗教、二人組”という文字だけだった。
わずかに汗ばむほどの距離を歩いて、目の前に大きな駅の建物が見えた。
さすがに通勤時間だけあって、駅に出入りする人の流れが、わずかにも途絶えることはなかった。
アマガエルは、駅前のコンビニエンスストアに入ると、いつものサンドイッチとミルクを買った。
小さな袋を揺らしながら出入り口に向かうと、どうして、いつも決まって同じ物を買ってしまうのか、変化のない自分に、我ながらため息をついた。
と、自動ドアを抜けた先に、本がびっしりと並べられた、書棚のある部屋が現れた。
アマガエルは、まぶしそうにパチクリとまばたきをすると、慣れた様子で、書棚の列の間を進んで行った。
小学校は、1時間目の授業が始まってから、まだあまり時間は経っていなかった。
姉弟が通う、小学校の図書室に現れたアマガエルは、入口から陰になる席を選び、腰を下ろした。
書棚には、小学生向けの本がびっしりと収められていたが、中には、大人向けの小説もいくらか混じっていた。普段から、石蔵の中に閉じこもっていることの多いアマガエルにとって、読み放題の本に囲まれている環境は、贅沢に過ぎた。
アマガエルは、昼食の入ったレジ袋を隣の椅子に置くと、さっそくお気に入りの本を手に取った。
「前」
「次」
朝。
いつものお勤めを終えたあと、アマガエルは空のような青い色のシャツに着替えると、
「いってきまーす」
と言って、家の玄関を出た。
ここのところ、なにかといそがしそうにしている姿を見て、住職である父親は、本業がおろそかになる、と渋い顔をしていたが、母親は反対に、怪我をするようなことはやめてほしい、と心配している様子だった。
アマガエルが向かったところは、キクノさんの孫が通う小学校だった。
二人の姉弟は、いつも決まって、一緒の時間に家を出るのが常だった。
ゆっくりと、ペースを計って歩く向こうから、姉弟より先に家を出た父親が、軽く早足になって、こちらにやって来た。
アマガエルが父親とすれ違うと、ちょうど家を出た、小学生の姉弟の後ろ姿が見えた。
小走りになられると、小学生の足でも、ぐんぐんと距離を離されるが、一人二人と知り合いの顔が増えるてくると、二人の足取りは急に遅くなり、アマガエルも、やっと二人に追いつくことができた。
初めて姉弟を見た時は、キクノさんの話が、まるで信じられなかった。
どこにでもいる、ごく普通の小学生に見えた。
ただ、登校する時間に合わせて、この三日間、姉弟と一緒に歩くうち、少なからず、回りの雰囲気がおかしなことに、気がついた。
通学路で知り合いの姿を認めると、お互いに挨拶は交わすが、姉の方は黙ったままで、相手よりも先に出ないよう、わざと歩くペースを遅くしているようだった。
その点、弟の方はどこかあっけらかんとしていて、知り合いに会うと、小学生らしく無邪気にじゃれ合うが、姉を気遣ってか、一人で先に進むことはなかった。
遠巻きに避けられているのは、やはり姉の方だった。
姉弟の母親の話しによれば、異常行動が始まって1年以上経った今でも、不意の発作のように、時折、異常な行動が見られるらしかった。
それは家だけではなく、学校でも、同じように見られるのだという。
しかし、病的にも思える行動と、周辺で見られる現象の内容とを聞けば、どれも小学生の女子がやったこととは、思えなかった。
授業中に、突然立ち上がって、呪文のような物を唱え始める、といったことであれば、精神的な不安定さに、原因があるのかもしれなかった。しかし、大きな雹が降ってくるとか、カラスの大群がグラウンドの上空を群れ飛ぶとかいう現象について、どちらも異常行動と直接関係しているとするのは、どうにも無理矢理すぎる気がした。
少女の異常な行動と、めずらしい現象のタイミングが奇妙に合致したため、あたかも少女が現象を引き起こしたかのように、見えるだけではないか。
説明がつかないことがらを、同じように説明がつかない少女の言動とに結びつけて、安易に結論づけようとしているだけのようだった。
アマガエルが、二人の様子をうかがいながら歩いていると、わずかのあとに、二人は小学生の子供達の流れに合わせ、学校の門をくぐって、靴箱が並ぶ玄関に向かっていった。
通りを先に進む大人達の中に混じって、アマガエルは小学校の門を通り過ぎると、ややもして、校舎を横目に立ち止まった。
丈の低い生け垣の向こうに見える校舎の中から、元気のいい子供達の騒々しさが、空気を揺らすかすかな振動になって、伝わってきた。
姉弟が授業を終えて下校するまで、ここにいるわけにもいかなかった。
学校の中で、なにかあるかもしれないが、少女が異常行動を起こすきっかけがわからなければ、ただ待ち続けていても、徒労に終わるのは目に見えていた。
やはり気になるのは、弟のノートに見つけた、短い書きこみだった。
アマガエルは、駅に向かう人達と同じ方向に向き直ると、またゆっくりと歩き始めた。
通勤で、駅に向かう人達の中に混じりながら、今日の昼は何にしようか、考えていた。
明日で5日目になるが、少女の異常行動がいつ起こるか、その実態を見るまでは、同じ生活を続けるしかなった。
異常行動をする姉と比べ、弟の方は、繰り返し悪夢を見ると言っていたそうだが、それは、アマガエルが見た、あのノートのことなのだろうか。
なにが書かれているのか、まるでわからなかった。しかし、なにかの法則というか、文章を記す約束事のような物が、あるようにも見えた。数枚の写真を携帯電話に収めたが、見直しても、規則的に配置された記号のようにも見えるが、なにが書かれているのか、さっぱりわからなかった。
読めたのは、弟のノートになぜが姉が書いた、“外国人、宗教、二人組”という文字だけだった。
わずかに汗ばむほどの距離を歩いて、目の前に大きな駅の建物が見えた。
さすがに通勤時間だけあって、駅に出入りする人の流れが、わずかにも途絶えることはなかった。
アマガエルは、駅前のコンビニエンスストアに入ると、いつものサンドイッチとミルクを買った。
小さな袋を揺らしながら出入り口に向かうと、どうして、いつも決まって同じ物を買ってしまうのか、変化のない自分に、我ながらため息をついた。
と、自動ドアを抜けた先に、本がびっしりと並べられた、書棚のある部屋が現れた。
アマガエルは、まぶしそうにパチクリとまばたきをすると、慣れた様子で、書棚の列の間を進んで行った。
小学校は、1時間目の授業が始まってから、まだあまり時間は経っていなかった。
姉弟が通う、小学校の図書室に現れたアマガエルは、入口から陰になる席を選び、腰を下ろした。
書棚には、小学生向けの本がびっしりと収められていたが、中には、大人向けの小説もいくらか混じっていた。普段から、石蔵の中に閉じこもっていることの多いアマガエルにとって、読み放題の本に囲まれている環境は、贅沢に過ぎた。
アマガエルは、昼食の入ったレジ袋を隣の椅子に置くと、さっそくお気に入りの本を手に取った。
「前」
「次」