「神君、こいつは私達の何倍もの早さで動くことができるんだ」と、私は彼に言った。「こいつを止めるには、頭から伸びたコードを切るしかない――」
機械化兵は、滑るように前に出ると、私の首をガッチリと左手でつかみ、力を見せつけるように頭上高く持ち上げた。
私は、床から離れた足をばたつかせながら、首を絞めている腕にしがみつき、首の骨が折れないようにもがきながら、機械化兵の頭から伸びているコードに手を伸ばした。しかし、どんなに手を伸ばしても、コードには指の先も触れることができなかった。
彼が、手の甲に術をかけ始めた。と、察知した機械化兵が私を放り投げ、宙を飛ぶように走ると、右の拳を彼の腹に叩きこんだ。
壁に叩きつけられた私は、うつぶせに床に倒れた。激しく咳きこみながら喉を押さえ、片手をついて顔を上げた。体をくの字に折り曲げた彼が、腹を両手で押さえながら、前のめりに倒れるのが見えた。
この狭い部屋の中では、彼が術をかける暇を与えず、機械化兵は攻撃を加えることが可能だった。
“わずかばかりのベクトルを与えてやれば”と言った、彼の横顔が思い浮かんだ。
私は床に伏せながら、彼に教えてもらった数印を、手の甲ではなく手の平に書いた。
ふらつきながら立ち上がった私は、彼にとどめの一撃を加えようと腕を振り上げた機械化兵に向かって、飛びかかった。
ボウム――
私の手の平から、重い空気が破裂したような衝撃がほとばしった。
機械化兵が、はっとして私を振り返った。
岩のような拳を振り上げたまま、機械化兵は体を後ろ向きに折り曲げ、ふわりと宙に浮き上がった。
軽々と宙を舞った機械化兵は、そのまま壁にめりこむほど強く叩きつけられた。
私は大きく息をつきながら、力が抜けたように膝をついた。
ぐしゃりと床に落ちた機械化兵は、苦しそうに身もだえていた。
彼が、フラフラと立ち上がった。手の甲に片方ずつ指を走らせると、体を起こそうとしている機械化兵に向かい、手首を十字に交差した。
――ズドドン
と、雷鳴がとどろいた。
交差した彼の手首から、目が眩むほどの稲妻がほとばしった。稲妻は、機械化兵の厚い鎧を射抜き、とりどりの火花を四方に飛び散らせた。機械化兵は、体をくの字にさせたまま、錆びたクランクのように体を軋ませ、ずるずると横に傾いた。
壁に背中をあずけた機械化兵は、そのままプスンと動きを止めた。
しかし、ほっと息をついたのも、つかの間だった。
術の影響なのか、目の前の空間が急にゆらいだ。ぽろぽろと、ジグソーパズルのピースがこぼれるようにひび割れ始めた。
彼が「くそっ」とくやしそうな言葉を吐いた。
ひび割れた空間の奥は、まさに暗黒だった。光の届かない深海が、目の前で口を開けたようだった。ゆるゆると、ひび割れた空間から、薄墨をこぼしたような不気味な黒いシミが溢れ出し、部屋中に広がってきた。黒いシミが触れた物は、不気味な口を開けた暗黒にゆっくりと吸い寄せられて行った。
私はすぐに思った。数術によってつなげられた空間が、外から襲ってきた機械化兵によってバランスを失い、ぶれてしまったのだ。本来なら、ドアが空間をつなぐパイプであり、出入り口であるはずだった。しかし、予期せぬ圧力が加えられたことで、私達のいる空間が一種の重量オーバーとなり、許容量を超えたことで、空間自らが圧力を軽減するために新たな出入り口を開き、裂け目となって現れたのだ。
空間の裂け目が、影のように伸びた黒いシミをゆらゆらと伸ばし、機械化兵を吸い寄せると、頭から飲みこんでしまった。
私は彼に近づこうとしたが、
「来ちゃいけない」と、彼は後ろ向きのまま手を伸ばし、私を止めた。
見ると、彼の両足は、いつの間にかひび割れた空間から湧き出る黒いシミに絡めとられていた。
触れる物すべてを飲みこんでしまう裂け目は、だんだんと小さくなり、徐々に塞がれつつあった。
「外力が加えられて、空間がぶれてしまったんです。あの暗黒の向こうには、インテグラルの果てが広がっています――」と、彼は言った。
「君はどうなるんだ、神君」と、私は彼に言った。「君は知っていたんだろう、私と出会った時から――。私があの化け物を作る手助けをしたということも、その罪の意識にさいなまれ、火を放った研究所から、命からがら逃げ出したことも――」
足の自由を奪われた彼は、私に背を向けたまま、顔だけをこちらに向けていた。
「やっと思い出しましたか、雪野博士」と、彼は笑顔で言った。「あなただけです。私の発表した理論を真剣に受け止めてくれたのは――」
「これが、君が追い求めてきた理論の成果なのか――」私は、黒いシミに触れないように気をつけながら、彼に手を伸ばした。
「いいえ、これは暴走です。人間がどれだけ宇宙の法則を自在に扱うことができたとしても、制御するにはあまりにも小さく、非力すぎるのです。博士、どうかご無事で。いつかまた、お会いできることを楽しみにしています」
「どうやってそこから抜け出す気だ――」言いかけたが、彼は私が伸ばした腕に手を伸ばすことなく、空間の裂け目の中に飲みこまれていった。裂け目は、彼を飲みこむとすぐに口をすぼめ、ぴたりと塞がった。
空間の裂け目に飲みこまれた彼とは、その後一度も会っていない。きっと無事でいるはずだと、今でも信じている。
彼が立ち向かった敵と、私は戦い続けている。それは、自分自身が作り出してしまった凶器と、戦うためなのかもしれない。
人は、決して人であることからは逃げられないのだ。私が凶器を生み出した事実は、永遠に消し去ることはできない。目をつぶっても、過ぎてゆく時間が止まらないのと同じ。また目を開けると、目をつぶっていた時間だけ、現実はしっかりと進んでいる。
罪を償えるとは、思っていない。ただし、間違った使い方をさせないことは、できるはずだ。そのために私は、これからも戦い続ける。
私は、止まらない。
――――…… 。
(終)
機械化兵は、滑るように前に出ると、私の首をガッチリと左手でつかみ、力を見せつけるように頭上高く持ち上げた。
私は、床から離れた足をばたつかせながら、首を絞めている腕にしがみつき、首の骨が折れないようにもがきながら、機械化兵の頭から伸びているコードに手を伸ばした。しかし、どんなに手を伸ばしても、コードには指の先も触れることができなかった。
彼が、手の甲に術をかけ始めた。と、察知した機械化兵が私を放り投げ、宙を飛ぶように走ると、右の拳を彼の腹に叩きこんだ。
壁に叩きつけられた私は、うつぶせに床に倒れた。激しく咳きこみながら喉を押さえ、片手をついて顔を上げた。体をくの字に折り曲げた彼が、腹を両手で押さえながら、前のめりに倒れるのが見えた。
この狭い部屋の中では、彼が術をかける暇を与えず、機械化兵は攻撃を加えることが可能だった。
“わずかばかりのベクトルを与えてやれば”と言った、彼の横顔が思い浮かんだ。
私は床に伏せながら、彼に教えてもらった数印を、手の甲ではなく手の平に書いた。
ふらつきながら立ち上がった私は、彼にとどめの一撃を加えようと腕を振り上げた機械化兵に向かって、飛びかかった。
ボウム――
私の手の平から、重い空気が破裂したような衝撃がほとばしった。
機械化兵が、はっとして私を振り返った。
岩のような拳を振り上げたまま、機械化兵は体を後ろ向きに折り曲げ、ふわりと宙に浮き上がった。
軽々と宙を舞った機械化兵は、そのまま壁にめりこむほど強く叩きつけられた。
私は大きく息をつきながら、力が抜けたように膝をついた。
ぐしゃりと床に落ちた機械化兵は、苦しそうに身もだえていた。
彼が、フラフラと立ち上がった。手の甲に片方ずつ指を走らせると、体を起こそうとしている機械化兵に向かい、手首を十字に交差した。
――ズドドン
と、雷鳴がとどろいた。
交差した彼の手首から、目が眩むほどの稲妻がほとばしった。稲妻は、機械化兵の厚い鎧を射抜き、とりどりの火花を四方に飛び散らせた。機械化兵は、体をくの字にさせたまま、錆びたクランクのように体を軋ませ、ずるずると横に傾いた。
壁に背中をあずけた機械化兵は、そのままプスンと動きを止めた。
しかし、ほっと息をついたのも、つかの間だった。
術の影響なのか、目の前の空間が急にゆらいだ。ぽろぽろと、ジグソーパズルのピースがこぼれるようにひび割れ始めた。
彼が「くそっ」とくやしそうな言葉を吐いた。
ひび割れた空間の奥は、まさに暗黒だった。光の届かない深海が、目の前で口を開けたようだった。ゆるゆると、ひび割れた空間から、薄墨をこぼしたような不気味な黒いシミが溢れ出し、部屋中に広がってきた。黒いシミが触れた物は、不気味な口を開けた暗黒にゆっくりと吸い寄せられて行った。
私はすぐに思った。数術によってつなげられた空間が、外から襲ってきた機械化兵によってバランスを失い、ぶれてしまったのだ。本来なら、ドアが空間をつなぐパイプであり、出入り口であるはずだった。しかし、予期せぬ圧力が加えられたことで、私達のいる空間が一種の重量オーバーとなり、許容量を超えたことで、空間自らが圧力を軽減するために新たな出入り口を開き、裂け目となって現れたのだ。
空間の裂け目が、影のように伸びた黒いシミをゆらゆらと伸ばし、機械化兵を吸い寄せると、頭から飲みこんでしまった。
私は彼に近づこうとしたが、
「来ちゃいけない」と、彼は後ろ向きのまま手を伸ばし、私を止めた。
見ると、彼の両足は、いつの間にかひび割れた空間から湧き出る黒いシミに絡めとられていた。
触れる物すべてを飲みこんでしまう裂け目は、だんだんと小さくなり、徐々に塞がれつつあった。
「外力が加えられて、空間がぶれてしまったんです。あの暗黒の向こうには、インテグラルの果てが広がっています――」と、彼は言った。
「君はどうなるんだ、神君」と、私は彼に言った。「君は知っていたんだろう、私と出会った時から――。私があの化け物を作る手助けをしたということも、その罪の意識にさいなまれ、火を放った研究所から、命からがら逃げ出したことも――」
足の自由を奪われた彼は、私に背を向けたまま、顔だけをこちらに向けていた。
「やっと思い出しましたか、雪野博士」と、彼は笑顔で言った。「あなただけです。私の発表した理論を真剣に受け止めてくれたのは――」
「これが、君が追い求めてきた理論の成果なのか――」私は、黒いシミに触れないように気をつけながら、彼に手を伸ばした。
「いいえ、これは暴走です。人間がどれだけ宇宙の法則を自在に扱うことができたとしても、制御するにはあまりにも小さく、非力すぎるのです。博士、どうかご無事で。いつかまた、お会いできることを楽しみにしています」
「どうやってそこから抜け出す気だ――」言いかけたが、彼は私が伸ばした腕に手を伸ばすことなく、空間の裂け目の中に飲みこまれていった。裂け目は、彼を飲みこむとすぐに口をすぼめ、ぴたりと塞がった。
空間の裂け目に飲みこまれた彼とは、その後一度も会っていない。きっと無事でいるはずだと、今でも信じている。
彼が立ち向かった敵と、私は戦い続けている。それは、自分自身が作り出してしまった凶器と、戦うためなのかもしれない。
人は、決して人であることからは逃げられないのだ。私が凶器を生み出した事実は、永遠に消し去ることはできない。目をつぶっても、過ぎてゆく時間が止まらないのと同じ。また目を開けると、目をつぶっていた時間だけ、現実はしっかりと進んでいる。
罪を償えるとは、思っていない。ただし、間違った使い方をさせないことは、できるはずだ。そのために私は、これからも戦い続ける。
私は、止まらない。
――――…… 。
(終)