くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

王様の扉(210)

2024-02-08 00:00:00 | 「王様の扉」

「そういうことじゃないんですよ」と、スーツを着た子供は言った。「あなたは冥界に行かなきゃいけないんです。今すぐにです。延長も遅延も許されないんですよ。そのために私は迎えに――じゃない、指導に来てるんです。わかってますよね。ここのところ毎日毎晩、あなたが無視できないように、ぴったりと後をつけ回しているんですから」
「わかってるよ」と、伊達はうなずきながら言った。「死神はつくづく暇なんだなって、実感している」
「覚えてくれるまで言いますが、私は指導員、第002001号です」と、スーツを着た子供は言った。「あなたみたいに、死神に間違われることはしょっちゅうですが、正直、死神に会ったことはありません。――いえ、冥界の受付にいた偉い人なら、ちらっと後ろ姿を見たことはありますけどね。会ったことなんてありません」
「何度も言うが、その長ったらしい番号なんて、いちいち覚えちゃいられない」と、伊達はため息交じりに言った。「いっそのこと“Q”とかって名前にした方が、見た目と比べてもしっくりくる気がする」
「名前なんて――」と、スーツを着た子供は言った。「冥界に入れば、現世(うつしよ)のことにいちいちとらわれてちゃ、生活できないんですよ。性別も、年齢も、背の高さも、声の低さも、どうでもいいんです。あるのは魂だけですから。名前なんていらないんです。私がこの姿であなたの前にいるのは、生前の姿がたまたまこうだったからなんです」
「なるほど。よくわかったよ」と、伊達は言った。「お化けの男の子だから、“Qタロウ”のほうがぴったりだな」
「いい加減、その見下したような言い方には辟易してきました」と、スーツを着た子供は言った。「私が死神だったら、あなたの魂をさっさと抜いて持ち帰っていますよ。何度も言わせないでください。私は、冥界の代理人です。簡単に言えば、これから死者になる人のお手伝いをするマネージャーなんです。故人が冥界に移住するまでが、私の仕事です」
「――だったら、今のこの借金の取り立てみたいなやつは、おまえの仕事じゃないんだろ?」
「取り立てだなんて……私の仕事をそんな風に思ってるんですか? 心外ですねぇ」と、スーツを着た子供は言った。「話しはまた繰り返しになりますが、あなたはもうとっくに息を引き取ってるんです。だからあなたを担当する私が、冥界に旅立つあなたのお手伝いをしなきゃならないんですよ」
「バスの時に助けてくれたのは、感謝してもしたりないくらいだ」と、伊達は言った。「でも確かあの時、おまえは心臓の止まった俺の体を蘇らせて、冥界から逃げ出したヤツを捕らえさせたんじゃなかったか。あれは俺に、もう一度生きるチャンスを与えてくれたってことなんだろ」

「――ハイ、ハイ」

 と、スーツを着た子供が首を振って言った。
「その話を思い出すたびに、私は生きた心地がしなくなります。冥界の住人が生きた心地、だなんていうのはおかしいと思われるかもしれませんが、これでも魂は持っているんです。あなたが私の過ちをことあるごとに持ち出して、あなたがこの世に残っている責任を私に転嫁しようとするやり方には、ほとほと嫌気がさしているんです」

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王様の扉(207)

2024-02-07 00:00:00 | 「王様の扉」


 ――ドド、ドン。

 蹴破られたドアが外れ飛ぶと、ジローの目の前には、沙織の犯行予告を警戒して集まっていた警官達が、こちらに背を向けて並んでいた。

「どういうことだ」

 思わずつぶやいたジローは、蹴破って出てきた宝石店の正面玄関に沙織を下ろすと、言った。
「――逃げられそうか」
 沙織は力なく顔を上げると、困ったように笑みを浮かべた。
「まかせて。逃げるのは得意よ――」
「できるだけ時間稼ぎをする」と、ジローは振り返りながら言った。「必ず後から追いかける。沙織は――」

「逃げろ」

 と、ジローが玄関の階段を降りた先には、異状に気がついて次々に振り返った警官達が、迎え撃とうと身構えていた。

 

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王様の扉(208)【18章】

2024-02-07 00:00:00 | 「王様の扉」

         18【守るべきもの】

 ――ドド、ドン。

 と、重々しい音が背後で轟いた。
 世間を騒がせている盗賊が、犯行予告を送りつけてきた宝石店の正面だった。
 北海道警察の文字を記したパトカーが数台、無音のまま赤いライトを点灯させて停められていた。
 正面だけではなかった。賊が侵入できそうな通路を塞ぐように、それぞれにパトカーが停められていた。
 宝石店への出入りは、階段を数段上った正面の出入り口からのみ可能とし、騒ぎが大きくならないように、必要最小限の人員で警備にあたっていた。
 具体的には、正面に制服警官を二人。出入り口の左右に一人ずつ配置したほか、宝石店を囲むように、互いの距離を広く開けた制服警官が周囲を警戒し、残りの警官は、装備を整えた機動隊員と共にパトカーの中で待機していた。
 車の中にいても、足下から地響きのように伝わってきた振動と音に驚き、盗賊の警戒にあたっていた付近の警官達は、一斉に正面の出入り口を振り向いた。
 厚いガラスを填めた正面のドアが蝶番ごと破壊され、鋭いガラスの破片が粉微塵に散乱している階段の上で、スチール製のフレームだけが無残に屏風倒しになっていた。
 あっけにとられて凍りついた警官達が見守る中、

「逃げろ」

 と、足下に沙織を下ろしたジローは立ち上がり、階段の端までゆっくりとした足取りで出てくると、その場にいた警官達を舐るように一瞥した。

「――なんだ、あいつ」

 と、眼帯をした刑事が、運転席のドアから身を乗り出すように言った。
「男はいい、倒れている女を先に確保だ」
 眼帯をした刑事が指示を出すより早く、後ろに下がった制服警官と入れ替わった機動隊員達が、宝石店の中から出てきた男を取り囲んだ。

「おとなしくしろ。抵抗するな」

 と、マニュアルどおりのセリフなのかもしれないが、ジローは機動隊員の指示には耳を貸さず、逆に、目の前に突き出された透明の盾をわしづかみにすると、手を離さない隊員ごと、階段の下に放り投げた。

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王様の扉(205)

2024-02-06 00:00:00 | 「王様の扉」

 出入り口を背にしていた男達と入れ替わるように、沙織とジローはドアの前に立った。
 激しい発砲は止まなかった。急いでドアを開けようとする沙織だったが、どのような仕掛けがあるのか、ドアはびくともしなかった。

「まかせろ」

 と、振り返ったジローは言うと、拳銃を持った男達に向かって、持っていた棺の蓋を思い切り振り投げた。

「どけ、引っ張るな」
「――うわおっ」
「ヒヤ、アァア――」
「危ねぇだろ」
「ちょ、タンマタンマ」

 ――ドドン。

 と、男達の怒号に混じって、出入り口のドアが蹴破られた。
「さぁ、行こう沙織」と、ジローは沙織の手を取ると、仕切りで区切られた迷路のような室内を走り出した。
 しかし、どこまで走っても、通路をいくつ曲がっても、部屋から出る出入り口は見つからなかった。
「どうすればいい――」と、ジローはくやしそうに言ったが、後ろからぴたりと着いてきている沙織は、少しうつむいたまま、なにも言わなかった。

「ボス、本当にこっちでいいんですか」
「――工藤の野郎、一人でさっさと逃げやがって。俺も知らねぇよ」

 と、沙織達を追ってきた男達の仲間なのだろうか。向かっている方向に追いかけている人間がいるとは知らず、いくつかの声が荒い息をつきながら近づいてきた。

「おまえら、出口はどこだ――」

 思いもよらずジローと鉢合わせした男達は、そろえたように一斉に腰を抜かし、競うようにあわてて同じ方向に走っていった。

「出た! 化け物だ」
「――逃げろ」
「そっちじゃない、早くこっちに来いってば」
「待ってくれよ、ボス……」

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王様の扉(206)

2024-02-06 00:00:00 | 「王様の扉」

「あいつらより先にドアを抜けなきゃ、俺たちまで飛ばされちまうって、工藤さんが言ってただろ」
「――そっちじゃないっすよ、ボス」
「わかってるって。みんな遅れるなよ」

「へい」

 と、逃げる男達の声が、そろって返事をした。
 脱兎のごとく走り去っていく男達の後ろには、床に放り出された拳銃が残されていた。 沙織は拾って見たが、見た目だけがそっくりな、ただのおもちゃだった。
「撃たれたように思ったのは、幻覚――いや、思いこみだったのか」と、ジローは拳銃を放り投げた沙織に言った。
「いえ、そうでもなかったみたいよ」と、ようやく口を開いた沙織の顔は、血の気を失って真っ青になっていた。「撃たれちゃったみたい――」
 がくりと倒れかかった沙織を、ジローは危うく受け止めた。
「――背中から血が出てるぞ」と、ジローは舌打ちをして言った。「夢中になって気がつかなかった」

「しっかりするんだ。必ず助けてやる」

 と、ジローは言うと、沙織を背中に担い、走り去った男達の後を追いかけた。
 ひと塊になって逃げる男達を追いかけるのは、容易だった。
 彼らが向かっている先は、すぐに見当がついた。どこからか、温度の違う空気が流れてくる方に違いなかった。
 これはきっと、ドアのような物のはずだった。

「――早く入れって」
「ボス、手を引いてください」
「ああもう。そんなにいっぺんになんて、狭くては入れないだろうが」
「まずい、ヤツが追ってきてます」

 ジローの目の前で、四人の男達が、互いに競い合うようにして、ドアの中に入ろうとしているのが見えた。

「閉めろ!」

 と、ぎりぎりのところで間に合わず、男達にドアを閉められてしまったジローは、ドアノブに伸ばし掛けていた手を引っこめ、沙織を背中に担い直すと、ドアを蹴り上げた。

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王様の扉(203)

2024-02-05 00:00:00 | 「王様の扉」


 ――ズッズズン。

 沙織が、覗きこんでいた棺から顔を離したタイミングと同じくして、ラボにあるなにかの機器が動き始め、重い棺が瞬間だけ、わずかに浮き上がったように振動した。
 いきなりのことに後じさりした沙織は、棺の下から伸びたいくつものコードが、床板の下に伸びているのを見つけた。

「ウッ、ウウン……」

 苦しそうな声が、棺の中から聞こえてきた。
 沙織が棺の中を覗きこむと、横たわっていた青年が、苦しそうに身をよじっているのが見えた。

「――どうしたの、大丈夫」

 十分な危険を感じてはいたが、サイボーグのような青年が苦しんでいるのを目の当たりにして、思わず助けなければ、という衝動が、沙織を反射的に突き動かしていた。
 沙織は、再びバールを手に取ると、なんとか棺の上蓋を取り外した。
 棺の中に横たわった青年は、手術を受ける患者が着ているような、薄手のガウンのような服を着ていた。
 苦悶の表情を浮かべ、わずかに体をのけ反らせてもがいている青年は、歯を食いしばりながら、なにかに耐えているようだった。
 棺の中をうかがう限り、なにか目につくような仕掛けは見当たらなかった。
 しかし、棺の中に設けられたなにかが、青年に苦痛を与えているはずだった。
 沙織はバールを両手で持ち直すと、棺の下から伸びているコードに叩きつけた。
 叩いて、叩いて、叩いて、繰り返し叩きつけ、青年が身をよじらなくなるまで、何度も叩き続けた。

「私は、沙織――」

 と、沙織は目を覆っていたマスクを外して汗をぬぐうと、ようやく静かになった青年の顔を覗きこんで、言った。
「あなた、誰なの?」

 閉まっていたドアが乱暴に開かれた。と、手に武器を持った男達が、部屋の中に雪崩れこんできた。
「やっぱり来たな、女ネズミ」と、その中の一人が、拳銃の狙いを沙織につけながら言った。「盗みに入るんなら、もっと場所を調べてからにすればよかったんだ。地下倉庫の拳銃だけ盗んで出て行けばよかったのに、ここまで嗅ぎ回られちゃ、無事に逃がすわけにはいかないんだよ」

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王様の扉(204)

2024-02-05 00:00:00 | 「王様の扉」

 あっという間に、沙織は男達に囲まれていた。
「この……なんて言ったか、“為空間”だったな。ここからは決して逃げられやしないぞ」と、拳銃を構えた男は言った。「プレシディオの餌食になって、粉微塵になっちまえ」
「娘婿がわざわざ出てくるなんて、よっぽど見られちゃ困る物のようね」と、振り返った沙織の顔には、目だけを覆うマスクがはめられていた。「だけど、そううまく行くかしら。ここでそんな物撃ちまくったら、怪我するのは私だけじゃないわよ」
 背中に回した沙織の手は、バッグの中にしまっていた拳銃を、そっと探っていた。
「おまえを片付けるのは俺たちじゃない」と、拳銃を持った工藤は言った。「そこで眠っているやつだよ」
 にやついた笑みを浮かべた工藤に言われ、――はっ、として棺のそばから離れようとした沙織だったが、棺の中で横たわっていた青年が、音もなくすっくと立ち上がった。

「はっはっは……」

 と、沙織を取り囲んでいた男達が、工藤の笑い声に合わせて一斉に出入り口のある壁まで下がった。
 拳銃を構えた工藤は、沙織に狙いをつけたまま、棺から立ち上がった青年に言った。
「さぁ、プレシシディオ。その女を引っ捕らえろ」
 しかし、薄い手術着を着た青年は、うつろな目で正面に立った男を見やると、はっと横を向き、沙織に言った。

「――さおり? 沙織なのか」

 と、ジローは驚いたように言った
 沙織は身じろぎもしないまま、返事をする代わりに大きく首を傾げた。

「もういい。撃て、おまえら。こいつらを無事で帰すな」

 と、拳銃を構えた工藤は言うと、沙織とジローに向かって、次々に拳銃が発砲された。
 工作台のようなテーブルの陰にさっと身を隠した沙織とは反対に、棺を飛び出したジローは、床に落ちていた棺の蓋を拾うと、盾のように構えて激しい銃弾を避けながら、沙織の元に近づいていった。

「あなた、言葉はわかるの」

 と、沙織はジローに言った。
「沙織、ここは危ない――」と、沙織の手を取ったジローは言うと、男達に向き直った。「ここを出よう。話しはその後だ」
「――」と、無言のままうなずいた沙織は立ち上がると、ジローの持つ棺の蓋に隠れながら、やって来た出入り口に近づいていった。

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王様の扉(201)

2024-02-04 00:00:00 | 「王様の扉」

 どういった理屈や理論ががそこに存在しているのか、沙織にはまるでわからなかったが、ただ1つ明らかなことは“神の杖”が少なからず関係しているということだった。

 タンタン、タタン、タンタンタン……。

 タタン、タンタン、タタンタタン……。

 ――急に、複数の足音が聞こえてきた。
 なにかを探しているような足音は、静かな部屋の中に、耳障りなキンキンという音を木霊させて近づいてきた。
 実感はなかったが、なにかのセキュリティに感知されたのかもしれなかった。
 バラバラバラ……とした足音は、侵入した沙織をあわてて探しているような、張り詰めた緊張感に溢れていた。
 室内の構造はまるでわからなかったが、こちらに向かってくる、うるさいほど大きな足音に注意を払いつつ、追っ手の裏を掻くルートをイメージしながら、沙織は広い室内を音もなく移動していった。

「いたか!」
「――こっちにはいません」
「そっちはどうだ……」

 追っ手の姿は見えなかったが、少なくとも三人はいるはずだった。

 ――カチャリ。

 と、沙織は部屋の一つに入った。
 追い詰められるかもしれなかったが、どこかでやり過ごさなければ、見つかるのは時間の問題だった。
 罠ならば、甘んじて受けて立つつもりだった。
 陰に潜って密かに探っても、十字教も神の杖も、まるでその正体を現そうとしなかった。
 まんまと罠にはめられることで、秘密のベールに覆われた彼らの正体を目にすることができるのであれば、命を落としかねない怪我を負うことになろうとも、それは価値のあることだった。

「なるほど。そういうことね」

 と、沙織は声に出してため息をもらした。
 部屋に入るなり、近づいてきていたはずの足音も、追っ手が交わす言葉も、人が発しているであろう温度でさえも、なにもかもが嘘のように消え去ってしまった。
 ドアの背に隠れて息を潜めていても、スチール製のドアの冷たさと、ガラス窓に吹き当たる隙間風の悲しい曲ばかりが、伝わってきた。

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王様の扉(202)

2024-02-04 00:00:00 | 「王様の扉」

 試しにドアノブを回してみたが、入ってきたときとは大違いで、びくりとも動かなかった。
 警戒はしていたが、事前に準備されていただろう罠に、これほど早くはめられるとは、思ってもいなかった。
 ならば、もうこそこそ隠れていても、仕方のないことだった。
 沙織は立ち上がると、部屋の中を見回した。
 忍びこんだときはわからなかったが、沙織がいる部屋は、まるでラボのようだった。
 工作台のようなテーブルが何台も床に据えつけられ、電力を使うためのコードだろうか、天井からコンセントのような物がぶら下がっていた。壁際に置かれた戸棚にはなにかの容器や器具が雑然と並べられていた。

 そして、沙織は金属の棺を見つけた。

 頑丈そうな台と台の間に、わざわざスペースを空けて置かれていたのは、ところどころ錆びた上蓋に、乱暴に“十七号”と走り書きされた鉄の棺だった。

 ――どうして、こんな物が。

 一瞬、杉野重造が隠し持っていた秘宝ではないか、という考えが脳裏に浮かんだが、どこからか掘り起こされたような、生々しい土の臭いが漂ってきそうな棺が、“神の杖”に繋がる物のはずがなかった。
 しかし、沙織はためらいながらも、室内を素早く探して道具を集め、金属製の棺の重い上蓋を開けていった。
 見つけた短いバールと取っ手の細いドライバーでは、なかなか作業が進まなかった。
 それでも、ようやく上蓋をずらし開けて中を見ると、生きているとしか思えない表情の、こう言ってもいいのなら、まだどこかあどけなさを残した青年が一人、横たえられていた。
 沙織は恐る恐る、こじ開けた上蓋の下に覗いている青年の頬を、そっと手で触れてみた。
 無機質な、ひんやりとした触感を想像していたが、人の皮膚と同様、しっとりとした弾力とかすかな温かさが、指先から伝わってきた。

「もしかして、キミって生きてるの?」

 思わずつぶやいた沙織だったが、棺の中に伸ばした手をそのまま滑らせ、肩口に触れたとたん、思いもしない氷のような冷たさが伝わってきて、触れていた手をあわてて離した。

 ――人じゃない。

 しかし、人としか見えなかった。強いて言うのなら、精巧に作られたサイボーグだった。

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王様の扉(199)

2024-02-03 00:00:00 | 「王様の扉」

 この山になった書籍類の中に、父親の行方を示すヒントが隠れているかもしれない。
 今では物置のようになってしまった父親の部屋に入り浸り、見つけた図表の秘密を暴こうと必死だった。
 そこで見つけたのが、走り書きのようなメモだった。

“真実の知識”

 メモ帳のページに走り書きされた言葉は、まさに“神の杖”が掲げているとされるスローガンそのものだった。
 沙織は、“神の杖”の正体を突き止めるため、関係があるとされる十字教の周辺を調べ始めた。奇しくも、札幌に十字教の教団事務所が開設されることを知った。あまりにもできすぎたタイミングだとは思ったが、十字教を深く知る以外、“神の杖”に近づくことはできなかった。
 勤めている大学の研究室に、怪しげな研究者を名乗る人物が訪ねてきたのは、その頃だった。沙織の専門外である数秘術についてしつこく意見を聞いてくる人物には内心辟易させられたが、自分が密かに行っている図表の研究と、十字教に興味を持って積極的に関わっていることを、暗に示唆していると悟らずにはいられなかった。
 闇に紛れて盗賊まがいに行動するしか、周囲に隠れて“神の杖”の調査を続けることができなくなってしまった。
“神の杖”には、とっくに自分の正体がばれているかもしれないが、警察を巻きこむことで、真の狙いから目を反らさせることはできるはずだった。

 と、地下室が行き止まりになった。

 建物の大きさや敷地の広さから考えても、目の前に聳えるレンガ積みの壁が、部屋の突き当たりに違いなかった。
 沙織は、ひんやりとした古いレンガ造りの壁に手を当てたまま、振り返った。
 フラッシュライトの光に浮かび上がるのはがらんとした木の棚と、混乱した時代の忘れ物が入れられた木箱だけだった。

 ――そんなはずはなかった。

 この古い地下室に何人もの人間が頻繁に出入りしていることは、とっくに調査済みだった。古い木箱がいくつか置かれている地下室の様子は、いかにも隠し物を保管しているといったものだった。
 見えている物が演出であったなら、見えていないところにこそ本当の姿があるはずだった。
 沙織は、行き止まりの壁に沿って、注意深く室内を探っていった。
 ――と、足跡のような痕跡が、薄らと埃の積もった床に残っているのを見つけた。

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