今回、長瀬高浜遺跡を調べて分かったことは、天孫降臨で天孫と一緒に降臨した五伴緒の一人である玉祖命がどこにも行かず長瀬高浜で玉を作っていたのではないか、ということです。玉祖命は伯耆国のどの神社にも祀られていないため、長い間判らないままにしていました。
五伴緒とは
1. 天兒屋根命、---占いと祝詞を上げる。 伯耆国の神社で22社に祀られている。
2. 布刀玉命、(天太玉命)---占いと祝詞を上げるおよび諸々の準備。 伯耆国の神社で6社に祀られている。
3. 天宇受賣命、(天鈿女尊)---舞踊。 伯耆国の神社で11社に祀られている。
4. 伊斯許理度賣命 -- 鏡を作る。 伯耆国の倉坂神社に祀られている。
5. 玉祖命 ------玉を作る。 伯耆国の神社の祭神にない。
である。
長瀬高浜遺跡からは弥生時代前期の玉作り工房跡4棟、住居跡2棟が見つかっています。
1. 玉の材料を全国から集めるのには、海岸近くが有利であること。
2. また天忍穂耳が天神川を降りてきたときに、砂でできた小さな嶋が天神川の河口にあることを知っていて降臨のさいに指示したと思われること。
3. ここで作られた管玉など玉類の制作技術は全国で玉作りの工房跡が見つかると、比較されるほど出来がよいこと。
4. 年代が弥生時代前期(第1次の降臨は紀元前185年ごろ)と確定していること。
以上により、玉祖命は長瀬高浜で玉作りをしており、亡くなるまでこの地から移動しなかったと思われる。
湯梨浜町羽合歴史民俗資料館にて
長瀬高浜遺跡で見つかった勾玉などの玉の飾り。
管玉の制作過程を示している。
「当時の玉作り技術の最先端をいくものだったと思われます。2200年前(紀元前200年)の人々の首には、ここで作られた淡い緑の管玉が輝いていたことでしょう」と書いている。