日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

教員試験

2006年04月30日 07時24分43秒 | ブラジル事情
今週は死んだ。

嫁さんが生まれて初めて連邦大学の教員試験を受けるために家を空けたからである。彼女は今週の日曜日の夕方に出発し、バスで3時間かけて教員試験が行われる内陸の小さな町に行った。月曜日は筆記試験と面接。火曜日は筆記試験の朗読。水曜日は模擬授業の課題のくじ引き。そして、木曜日は50分の模擬授業。

僕は朝から晩まで働いているので、誰かが娘を見る必要がある。昼間は娘を保育園に預けられるが、夜は誰かが見なければならない。と言う事で、面倒を見たのは嫁さんのお父さん。日曜日の夜、娘は既にお母さんがいなくなったことで、元気がない。

僕が最初はよい添って寝ようと試したが、1時間半経っても僕は寝れなかった。とにかく娘がよく動き、手を繋いでいないと彼女は寝られない。こんなことでは僕は寝られずに病気になるかもしれないとお父さんにSOS。このお父さん、何が得意って、寝ることほど得意なものはない。彼はドラえもんののび太君のように寝ようと思えばいつでも寝られる人なのである。と言う事でお父さんに頼んだ。

月曜日から水曜日、毎日保育園に娘を迎えに行く。水曜日の夜は娘の咳がひどくなったためにはっきり言ってほとんど寝られなかった。本当にキツイ。最初から覚悟はしていたが、やはり寝不足で1日中仕事をするのは体にこたえる。さすがのお父さんも火曜日と水曜日の夜は娘の咳のために寝られず、つらそうだった。ただ、彼の場合昼間は何もしなくてもいいので、十分に休息できる。小さい子供の面倒を見ることは確かに大変だけど、まだ何とか対応できるのである。

嫁さんは水曜日の夜2時間しか寝られず、木曜日は疲れて帰ってきた。僕、嫁さん、お父さん、娘。みんな疲れ果てていた。

金曜日既に結果が出た。不合格。9人が1枠を争っていた訳だが、受かったのは5人。彼女の友達が5番で、同僚の女性が1番。この彼女はすでに博士課程を終え、特別博士課程を履修しており、すでに論文を10も学術書に掲載されており、私立大学で化学の先生としてもう何年も教えている。

教員試験ではこれらの履歴・経歴がすべてポイント化される。この教員試験は修士課程しか要求していないのに、9人のうち6人が既に博士課程を修了している。つまり、それだけブラジルの雇用状況が厳しいことを物語っている。嫁さんは博士課程を始めてまだ1年、博士課程修了は最低条件であり、まだまだ就職までは先が長いことが判明。分かっていたことではあるが。

ただ、これら家族全員の犠牲を払っても、今回の教員試験を受けた価値は十分にあった。彼女にとっては自分のおかれている状況、自分の実力を把握できたであろうし、これからの残りの博士課程でしなければならないこともはっきりしたと思う。

僕も将来的には連邦大学で教鞭を取りたい。でもそのための最低条件はブラジルの大学卒業の条件。今のスピードだと最低4年かかってしまう。もちろん修士を持っている人とかも応募してくるであろうから、修士に後2年。今のままだと修士卒業までには40歳を越えそうな感じである。まあ、でも時間がかかっても挑戦するだけの価値はあると思う。連邦大学の教員になったら、解雇されることはまずないし、十分に生活できるだけの給料ももらえる。何よりも安定するのがいい。

嫁さんの背中を見ながら僕も地道に頑張っていくつもりである。

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