日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

細く長く続ける事

2013年09月01日 16時08分46秒 | ブラジル事情

 何でもそうだけど、競争者が少ない、又はいない所に行って、何か新しい事を始めるのは最初は面白い。

 誰も開拓していない場所だから、最初は相手にされないが、うまくいけばその場所(市場)を独占できたり、人気が出たりして目立つことができる。

 でも、その成功を見た者たちが、二匹目のドジョウを狙って進出してくると、競争者が増えてくるために、開拓者への注目度は下がり、後発の方が優秀である場合、最初の開拓者は個人であれ企業であれ食われてしまう。

 だから、目立とうとか利益を独占しようとか下世話な理由だけで始めた人は、ちょっと競争に晒されると、その活動を辞めたり、その業界から撤退してしまったりする。

 企業であれば早めに撤退して損害を最小限に抑えるというのも1つの方法だが、それが個人の活動であれば、活動を辞めるというのはその人がその活動をそれほど好きではないことを意味していると思う。もしくはその物事に対して情熱が著しく冷めてしまったか。

 残念ながら、人は好きではない事、好きだったけど情熱を失ってしまった事を続けていく事は難しい。人は一見意味がないように見える活動にでも、自分なりの意味を見いだすことでしか、その行動を継続できない。

 ブログを書き始めて、最初は一生懸命書いていたが、数年でやめてしまう人。日本語を勉強し始めて、最初は頑張っていたが、1・2年で辞めてしまう人。

 別にそういう人を批判しようというつもりはない。なぜなら、そういう人も本当に自分にとって大切な活動は続けていると思うから。単純にそういった活動がその人の中で優先順位がそもそも低い、もしくは低くなってしまっただけ。

 これらの活動は大半の人にとって趣味の域を超えない。それで生活していける訳ではないから、いつ辞めても、いつ始めても問題ない活動なのである。それが生活の糧となっている活動だったら、別問題。そう簡単には辞められないだろう。

 一つの事に情熱を持ち続けて、努力し続けることが如何に大変かに改めて気付かされる。

 だからこそ、ずっとブログを書き続けている人、お金にもならないのに日本語を勉強し続けている生徒には頭が下がる思いである。

 このブログも細々と8年半続けてきたが、正直辞めてもいいのかな思った事もあった。 全然人気ないしね。

 でも、僕にとっては、自分が頭の中で考えたことを、文章にまとめて整理する場所という役割もこのブログは果たしてきた。いわば心の拠り所でもあったのだ。

 だから、続けられた。

 人は関係ない。結局は自分のため。自分のために書いたブログがたまたま誰かの役に立てばそれはそれでよし。その逆でも、それもよし。

 今後もそういうスタンスで続けられればいいのかなと思う。

 


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2 コメント

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W杯の影響 (カリオカ)
2013-09-06 12:15:44
宿はFIFAが押さえてしまっているとも聞きますが、個人観戦は厳しそうですか?
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Unknown (たけちん)
2013-09-08 00:58:17
抽選に当たれば観戦できると思います。
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