日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

親子読書のすすめ

2009年10月09日 10時39分41秒 | ブラジル事情
 子供の頃、両親から口が酸っぱくなるほど「本を読め」と言われた。でも、当時はテレビ番組やゲーム、漫画などの方が断然面白く、自分から本を読むことはなかった。

 学校の課題などで、大御所の小説家などの本を強制的に読まされたりした。でも、はっきり言って、そういった本に出てくる語彙は古いものが多い。だから、当時中学生だった僕に理解できるものではなかったのである。訳が分からない本を読まされれば、つまらないから余計本が嫌いになる。そういう悪循環に陥っていたと言える。

 そもそも、本を読む目的が「たくさん本を読んで読解力を向上させ、国語のテストの点数をあげる」であった。こういう目的だと結果が出ないと、やる気をなくす。でも、読解力などそんな簡単に短期間で向上するものではない。

 小・中・高等学校は、テレビ・ゲーム・漫画が読みたくて仕方がないのに、勉強の妨げになるという両親の教育方針の下に著しく制限された。結果、大学に入って受験勉強から解放されると、馬鹿みたいにゲームをし始めた。テレビ・漫画はある程度できたが、ゲームは中学生に入ってから、ほとんど出来なかった反動が来たのである。

 ゲームにはまる一方で、不思議なことに、大学に入って、自分から本を読むようになった。国語の読解力問題に悩まされることがなくなったのと、本好きな友人の影響である。当時読んだのは、主にサスペンス小説やお笑い系のエッセイ、純文学系の小説などであった。

 大学を卒業する頃には、ゲーム・漫画に対する興味はなくなりかけていた。ゲームの主人公に自分を重ねて、ファンタジーの世界を味わうことに魅力を感じなくなってしまったのである。モンスターを何百匹も倒すことに青春の貴重な時間を費やすことが馬鹿らしくなったとも言える。

 はっきり言って、幻想の世界を体験するより、社会に出ていろいろな人と会い、実際にいろいろな経験をしたり、本物のお金をもらったりするほうが楽しくなった。もちろん、現実世界ではゲームの世界と違って、問題に直面したら、それを解決する必要があり、人間関係なども難しい。でも、それが「生きる」ことだ。ゲームの世界なら死んでも、また復活できる。所詮、甘い社会なのである。

 その点、本は面白い。自分が関心ある題材についての本を読めば、より社会の仕組みが理解できるようになる。幅広い知識が身につき、教養がつく。自分の仕事に応用できれば、収入アップにつながるし、趣味に応用できれば、より豊かな余暇を過ごすことができる。

 大学時代と違って、小説があまり読めなくなった。集中力がなくなったのも一因かと思われる。人生、ビジネス、社会問題に関する本など、より実用的な題材に興味の対象が移っている。

 子供の頃、父親はベッド脇にいつも本を置き、寝る前にそれを横になりながら読んで、眠気が襲ってくると電気を消して寝ていた。当時、僕はそんなに本って面白いのかなあって不思議に思い、この人すごい本好きだなあと思っていた。

 でも、今僕自身もまったく父親と同じ習慣が身についている。ベッド脇には何冊も本が置いてあり、就寝前は必ず本を読んでいる。あれだけ「本を読め」と言われて本を読まなかった僕が本を読んでいるのだ。まあ、人生何が起きるか分からないということだろう。

 父親がSAL便で6冊ほど日本から本を送ってくれた。すべて父親が読んだ本である。つまり、父が興味を持ったテーマの本を読み終わり、本棚に置いておいても意味がないということで送ってくれた。まあ、昔だったら自分が興味あるものしか読まないと読まなかったかもしれないが、ブラジルにいる僕としては日本語の活字を読めるだけでも嬉しいので、ありがたく全部読ませてもらっている。

 父親とは年の差が29も離れているが、その興味の対象がそれほど違うわけでもない。父親が読んだ同じ本を息子も読む。これは本当に素晴らしいことだと思う。日本にいる親子同士でこれを行っている人が一体どのくらいいるのだろうか?

 僕は地球の反対側にいて、残念ながら、両親と一緒に行動できる機会が極めて少ない。でも、スカイプで最低2週間に1回は会話している。さらに、親子が同じ本を読めるというのは本当に幸せなことだと思う。

 世の中には仲の悪い親子や兄弟が実に多い。本当は世の中で一番仲良くしなければいけない仲なのである。まず、アラフォーにして両親が健在であることに感謝。そして、何でも言える親子関係であることにも感謝。この2つが前提にあって初めて同じ本を読める。だから、同じ本を読めることにも大感謝である。

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