僕が教えている日本語のクラスに70歳過ぎくらいの女性の生徒がいる。
他の先生の生徒として教室で見かけていたから、僕は彼女の事は以前から知ってはいた。最初に見たのは5、6年前だろうか。
彼女はその先生が退職された2年ほど前から、僕のクラスで勉強し始めた。
元お医者さんで、アメリカに住んでいた事もあるそうで、英語はよく話せるらしい。だから、高齢ではあるが、日本語の授業にもついてこられている。
本人は日本語講座に「リハビリ」感覚で来ていると言うが、この年齢で若者の中に混じって外国語を勉強するというのは誰もができることじゃあない。本当にすごいと感心する。
僕も彼女と同じ年齢になって、同じ事をやれと言われて恐らくできない。体力・財力・知力はもちろんのこと、好奇心・情熱も持ち続ける必要があるからだ。
そんな彼女は時々授業後にプライベートな話をしてくる。先日話してくれたのはこんな話である。
「旦那さんが重い病気で何度も手術を受け、病院に入院していたが、病院での対応が人間的でないから、月謝が9000レアル(約37万円)もする特別老人ホームに入れた。」
僕は9000レアルと言われてビックリ。
日本でもそんな金額を払える人はごく少数だろうと思った。
まあ、彼女の旦那さんも元医者だというから、お金持ちである事は想像に難くないし、それだけのお金が払える金銭的余裕があるから高い月謝を払って老人ホームに入っているんだろうけど、何だか複雑な気持ちになった。
医者としての現役時代に相当のお金を稼いでいたと推測するが、人生の終盤になって病気でそのお金を使い果たしてしまうというのが何とも皮肉な話に思えたからである。よく健康はお金では買えないと言われるが、お金というのはは健康であってこそ初めて意味があるものだなと改めて思った。
まあ、逆に考えれば、高齢になっても健康であれば、ある意味その月謝分9000レアルをある意味「生み出している」とも言える。
僕も高齢者になった際、実際のお金は稼げなくても、「お金」を「生み出せる」状態であれば、ある意味幸せと言えるのかなと思った。まあ、あとは彼女のように、高齢者になっても知力・財力・体力・好奇心を維持し、活動的に動ければよしかなと思う。
私は、75~80年と84年から87年まで、工業移住者として住んでいました。
78年頃だったと思いますが、その頃はブラジル語習得意欲が盛んで、色々な所で勉強していました。
その頃、試験によって高校卒業資格が取れる試験がありました。今でもあるかもしれませんが・・・ その試験を受けている時、ほとんどの人は終わって教室から出て行ってしまったので、何人もいませんでした。やがて終わりのベルが鳴って、終わりかなと思っていたら、「先生が後5分あげますから見直しなさい。」と言ったので私はビックリ!公的な試験でそんな事していいのかと思ったのです。
5分が経って先生が「終わります」と言って答案を集め始めました。その時白髪の70歳超えた位の日本人のおじいさんみたいな人が、「por favorもう少し時間を下さい」と言ったのです。
さすがに、先生は「ダメ」と言って答案をひったくる様に回収していきました。その時そのおじいさんのしぶとさに感心したのを覚えてします。
似たようなエピソードには何度も直面しております。
ブラジル人らしいですよね。