ブラック企業。
最近ネット上でよく目にする言葉だ。
無理なノルマ、多大なサービス残業を社員に課したり、不当な理由で解雇したり、コンプライアンスを遵守しないで会社という意味らしい。
でも、これらの行為は今に始まった問題じゃなくて、僕が就職した20年前にも既にあった問題である。だから、何を今更という感も否めなくない。
この20年間、女性だけでなく男性も子育てができる育休制度、フレックス制、時短への取り組みとか、より人間らしい労働環境を目指していろいろな制度が導入されてきたが、結局問題は何も解決していないのだろう。
嘗て、コンピューターを導入して機械化すれば、会社での仕事が軽減されて楽になるかと期待していたが、逆に派生的な煩雑な仕事が生まれ、業務量が増えるという矛盾が生じてしまっている。
改めて、人はそんなに働く必要があるのかなと思う。
週40時間労働なんて多過ぎる。週20時間で十分だ。いや週20時間ほど働けば、一応食べていけるような社会を構築することこそ、21世紀で各国が目指すべき方向性なのではないだろうかと思う。
ここ数年、日本では生活保護受給者が増えていると聞く。
生活保護を受けるにいたった理由はそれぞれだと思うが、要は働いていない人を働いている人が払った税金で養う制度である。彼らの中には、勤労意欲があるのに、仕事がなくて、仕方なく生活保護を受けている人もいるだろう。
普通のモラルを持ち合わせていれば、働かずにお金をもらったら済まない気持ちになるだろうし、税金を払っている働いている側の人もいい気持ちはしないはずだ。
少なくとも働く意志のある人は、すべての人が例外なく働ける社会。週20時間働けば、最低限の生活は保障される、生活保護者を出さないような社会を目指すべきだと思う。
国民全員に一律にお金を支給しようというベーシックインカムなんて発想もある。
この考え方は一概に悪いとは言えない。でも、働ける人が何もしないでお金をもらって生活するというのは、働いてお金をもらっている人に対して不公平感を生む。
やはり、原則としてはすべての人が何らかの労働を提供することで社会に貢献し、その対価としてお金をもらって生活する社会の方が理に適っているし、人々の間に公平感が満ちると思うのだ。
20時間働いて、少しお金に余裕があれば、何かの習い事や勉強などに余ったお金を投資できる。つまり、社会の中でお金が循環し、結果として経済が活性化する。
長時間働いていると、仕事で疲れてしまい、何か趣味や自己研鑽にお金を使おうと思っても、それをする時間がない。結果、ストレスを解消しようとして、食事や高い品物を買うことに走って、健康を損なったり、無駄な買い物をしてしまう。
もちろん働くことが大好きで仕方がない人は週に20時間以上働くのは一向に構わない。
要は各人が幸せであればいいのだから。
でも、週40時間のほかに、サービス残業までして身を削らないと生活できない、生き残っていけない社会というのは本当に荒んでいるなと思う。
みんながそれなりに働いて、みんながそれなりにお金をもらって、それなりの暮らしができるというような社会になったらいいなと思う。
特に世界の発展の中心であるアジアでは・・・
今のアジア人達は、昔の日本人みたいにやる気満々で、豊かな生活が待っていると信じているのです。
だからノンビリやっていると、生産技術、ITなどで抜かされ日本の輸出は振るわなくなり、貧しくなっていくのです。
すでにシンガポ-ルなどの一人当たりの所得は日本を追い抜いたと言われています。
貧しくなるとはどうゆう事か?
道路、鉄道などのインフラは、お金がないので更新出来ずボロボロになっていきます。民間も金も活力もなくなり、ビルなども汚らしくなります。コンビニの数も減り遠くまで歩いていかなくてはならなくなります。
病院なども最新の機器などいれられず、健康保険も支えられずなくなるかもしれません。
常に日本のすべてのシステムを、時代に合わせて変えていかないと世界から取り残されて、貧しくなってしまうのです。現状維持でさえ、常に革新していってはじめて得られるものです。
何が言いたいかといいますと、残念ながら少なくとも日本では、週20時間労働では今の生活は保てず、特に若者には頑張って欲しいと思います。
63歳、男、独身、食べていけないのでまだ働いています。
確かに、日本国民全部が週20時間労働では、日本の国際協力は弱まるでしょう。
でも、現在においても、日本人の一体何パーセントが働いていて、そのうち何パーセントが週40時間労働しているのでしょうか。
パートをしている主婦は週20時間くらいが限度でしょう。また、高齢者は週10時間程度でもいいと思います。
とにかく、全国民が無理のない範囲で働き、それなりの生活ができるような社会になればいいのかなと思います。