ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

ゆきちゃん通信 No26 その2

2009年04月30日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2009年4月11日発行

ゆきちゃん通信 NO26

由紀子に必要な生活って?

由紀子の中にはとてもゆっくりとした時間が流れているんだなぁ~と、
最近よく思います。

私たちは生活の中に刺激を求めます。
特に高校生ぐらいの頃は
毎日何かしらの変化が欲しいと思いながら生活をしていました。

いろいろな場所に出かけ、
仲間達と楽しい時間を過ごす事に幸せを感じていました。

だから、ついつい由紀子もそうなのだと思いがちですが、
それは違うのかもしれません。

逆に、思春期で心が大きく揺れ始めた由紀子は
「静かに暮らしたい!」と叫び続けているようでした。

決まった生活リズムの中で気持ちを安定させ、
自然に湧き上がってくる興味や好奇心に身を任せながら
ゆっくりと心を成長させていく・・・

きっと由紀子たちはそんな世界の人たちなのです。


学校の行事のたびに不安定になる由紀子を見ながら、
それを強く感じるようになりました。

先生方がいろいろ手を尽くして由紀子を支えてくださって、
写真のような笑顔を引き出してくださっても、
次の行事の波がその笑顔を奪っていってしまうのです。

それはもう、学校の中での対応をどうするとかの問題ではなく、
高等部の時間の流れに由紀子がついて行けなくなってしまったのです。

前号の「ゆきちゃん通信」の中で

私は入学に際して

「嵐を乗り越えてながら、
由紀子はたくましくなって行くと信じて
新しい春を進みたいと思います。」

と書きました。

あの時は本当にそう思っていました。

でも、この一年の由紀子の姿を見ていると、
もう楽にしてやってもいいのではないかと思うようになりました。

そして、そんなときに「さつき園」との出会いに恵まれました。

これまでもそうでしたが、
由紀子の前には自然と進むべき道が現れるのです。


「さつき園」との出会い!

由紀子の将来に向けて、通所できる施設を探し始めたのですが、
環境の変化に弱くこだわりも強い由紀子に合う施設を探すのは
大変だろうと思っていました。

予想通り、最初に利用した施設では初日から大きなパニックを起こして、
途中で迎えに行くことに・・・。(汗)

覚悟はしていましたが、やはり前途は多難でした!

それでも、相談員の方に別の施設を探していただき、
再度、チャレンジすることにしました!
めげないぞ!(笑)

最初の失敗を繰り返さないために、
施設との打ち合わせを綿密にして、
由紀子に下見もさせました。

うまく行って欲しいとは思っていましたが、
正直、今回もそんなに簡単には行かないだろうと思っていました。

ところが・・・です!

利用初日、
また電話がかかってくるかもしれない!という私の心配をよそに、
由紀子は夕方まで施設で過ごして
笑顔いっぱい、ルンルン♪で帰ってきました。

そして、由紀子が自分から「また行きたい!」と言ったのです。
今まで、どこに連れて行っても、
そんなことは言ったことはなかったのに・・・
ビックリでした。

その施設が「さつき園」でした。

その日から祭日はさつき園に行くことが
由紀子のスケジュールになりました。

あんなに心配した施設選びだったのに、
こんなに簡単に見つかるなんて・・・
これは運命の出会いだったかも!(笑)

でも、本当はこの出会いの裏には、
さつき園のスタッフのすばらしい準備があったんです。

初日を迎える前に由紀子の情報をスタッフ全員が把握していて、
由紀子がゆっくり過ごせるようにきちんと配慮をしてくれていたのです。

この施設に由紀子を託してみよう!
そう思いました。


家族の思い

3 学期に入って、由紀子がやっと環境に慣れて
落ち着きを取り戻してきたのを見て、
この調子なら2年生に進級もできるかもしれないと思いました。

もしも、次の学年で由紀子がまた荒れたらその時は施設へ移そう・・・
主人と2人でそう話していました。

でも、それを聞いた由紀子の姉達が言ったのです。

「それでは、学校に嫌な思い出を残したままお別れをすることになる。
新しい施設も荒れた状態の由紀子を迎え入れるのは大変だろう!
由紀子には学歴は必要ない!
状態が良い時に、由紀子が行きたい所へ移してやった方がいい!」

言われてみればその通りです。

今なら、学校のみなさんに感謝をしながら笑顔でお別れができます。
今がベストタイミングなのかもしれない。

私たち夫婦は娘達の言葉に背中を押されて、
由紀子の新しい進路を決めました。





最後になりましたが、
由紀子の担任をしてくださったS 岡先生とS 藤先生です。

お二人には一年間、本当にご苦労をおかけしました。

2学期の終わり頃だったでしょうか
S 岡先生が
「最近、パニックの時の
由紀子さんの心の叫びが聞こえるような気がします。」

と、言ってくださいました。

その言葉が本当にうれしかった!!

お二人が支えてくださったから
由紀子は一年間頑張れたのだと思います。
本当にありがとうございました。


《編集後記》

こんなに早く学校生活が終わってしまうのならば、
もっと頻繁に通信を発行すればよかったと反省しています。

先日、さつき園で入所式がありました。
今までは同年齢の集団の中で生活をしていましたが、
さつき園では十六歳の由紀子が一番年下です。

若い!(笑)

式の時に年配の利用者さんに
「ゆきこちゃんは元気かねぇ~。」と
笑顔で声をかけてもらいました。

きっとご迷惑をおかけしていると思うのですが、
由紀子のパニックの受け止め方がとても大人の反応でした。

以前、私はある授産施設に体験入所をした事があります。
三日間、ボランティアではなく
利用者さんと同じ立場でお仕事をさせていただいたのです。

その時に感じたのが、施設の中には社会があるという事でした。
いろいろな年齢層の利用者さんがいて、
それぞれの立場で人間関係の役割を担っていました。

入所式で声を掛けていただいたときにその事を思い出して、
そうだ、由紀子は社会人になったんだ!と思い、
新しい生活の始まりを実感しました。

ただ、施設に移ったからと言って、
これからの生活が全てうまく行くとは思ってはいません。

きっとこれからもいろんな事があると思います。

でも、由紀子が初めて自己選択した進路ですから、
ここでがんばってみようと思っています。

これからも応援してください。


=END=
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ゆきちゃん通信 No26 その1

2009年04月30日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2009年4月11日発行

ゆきちゃん通信 NO26

ご無沙汰をしてしまいましたが、みなさんお元気ですか?
忘れた頃にやってくる「ゆきちゃん通信」です。

本当にあっという間に一年が過ぎてしまいました。
気がつくと由紀子はもう16歳です。

前回の通信で高等部へ入学をしたことをお知らせしましたが、
今回の通信ではみなさんにビックリの報告をすることになりました。

高等部を退学しました。

本当に突然のご報告でみなさんビックリされると思うのですが、
長崎県立N養護学校の高等部を一年で退学し、
4 月から福祉施設「さつき園」への通所を始めました。

現在、毎日元気よく通っています。

「退学」なんて言葉を使うと、
何か問題を起こして学校を辞めさせられたかと思われそうですが・・・(笑)

由紀子が望んだ場所へ移っただけですのでご安心ください。

学校の先生方にも笑顔で送り出していただき、
同級生よりも一足先に卒業をして新しい道をすすむことになりました。


思い出がいっぱいの学校生活


※校内実習


※音楽の授業中で~す。


※体育祭で初めてビリにならなかったよ!


※往復10キロも歩いたんだよ!

写真を見ればわかって頂けると思いますが、
由紀子はけっして学校が嫌いだったわけではありません。

高等部に在籍したのはたったの一年でしたが、
ここには載せきれないぐらい楽しい思い出を
いっぱい作ることができました。

ただ、生徒数が多く、行事も多い高等部の生活の中で
由紀子が苦しんでいた事も確かです。

この写真の笑顔にたどり着くまでには
毎回、短い言葉では表せないないほどつらい時間がありました。

環境の変化に弱い由紀子が、
先生方や仲間達に支えられて過ごした高等部の一年間は、
泣き笑いの日々でした。

そして、由紀子にとってどんな生活が一番良いのか・・・
それを考え続けた一年でした。

=END=
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ゆきちゃん通信 No25 その2

2008年05月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
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2008年5月11日発行

ゆきちゃん通信 NO25


先生方に感謝!



中三の担任は二年から引き続きS 田先生が受け持って下さいました。

そして、もう1 人の担任はS 渡先生。
由紀子にとってはお兄さんのような存在でした。
アーチェリーの選手でスポーツマン!

最初は由紀子のこだわりに戸惑われたのかもしれませんが、
すぐに由紀子の操縦法をマスターされて
最後には一緒にアンパンマンの歌を唄っていらっしゃいました。
(家族ですら一緒に唄わせてもらえないのに・・・)

S 田先生は今回も魔法の呪文で由紀子をうまく導いて
苦手な事をたくさん乗り越えさせて下さいました。

この写真は卒業式のお別れのときのものですが、
この時に先生は

「最初に受け持った時には感覚が過敏で、
何もしようとしない由紀子と
どう向きあって行けばいいのかと思ったけれど、
今振り返ってみたら
2年間、学校の行事に参加できなかったことは
一つもなかった。
きついこともあったのによく頑張りました。」

と、言葉をかけてくださいました。

そうでしたね~!
全部先生のおかげでした。
ありがとうございました。

私自身も先生と出会った頃は由紀子以上に臆病になっていて、
「無理はさせないで下さい」と、言うのが口癖でした。

そんな私にわからないように
内緒でいろんなことに挑戦させて、
成功した時に報告をしていたと言う話も
その日に聞きました。
そうだったんだぁ~!(笑)

そういえば、遠足の時に
事前に目的地の下見に連れて行ってもらったことがありました。

由紀子に見通しを持たせる為と言われていましたが、
あれは私を安心させて笑顔で送り出させる為の配慮だったのだと、
今頃になって気がつきました。
本当に世話の焼ける母子でした。
(@^_^)ゞ ポリポリ

何か新しいことに挑戦させる時には、
細かい手立てをたくさん考えて由紀子の背中を押しながら、
本番では由紀子を信じ黙ってじっと見守る先生方の姿を見て、
私も見習わなくてはいけないと反省して
由紀子との心の母子分離を本気で頑張ろうと決心をしました。

あれから、私も少しは成長したと思うのですが…どうでしょうか?(笑)

振り返ってみれば、
中学部の3 年間は大変な事もあったけれど
いい出会いをたくさん得ることができました。

S 渡先生やS 田先生だけではなく
中学部で関わってくださったみなさんに本当にお世話になりました。

由紀子のパニックで疲れている時に声をかけていただいて
どんなに勇気付けられたことか・・・。

保護者の気持ちまで大切にしてくださったみなさんに
心から感謝しています。

ありがとうございました。


春の嵐

卒業式が近づくにつれて、
由紀子の調子がどんどん悪くなっていきました。

いつもの月経前緊張症(PMS)のせいだと思っていたのですが、
その症状は卒業後の休みの間に最悪な状態に・・・。

パニックを起こして頭や壁を叩きまわり、
夜中にパニックの連続で5 日間ほとんど眠ることができない日が続きました。

まるで、中学部一年生のあの嵐の日の再来のようでした。

一度体験したことがあるから、
2 度目は大丈夫だと思っていた私ですが、
眠れない夜が5 日も続くと精神的にも体力的にもすっかり参ってしまいました。

人間はそう簡単には強くなれないものなんですね。

今まで使っていた薬では抑えられなくなって
新しい薬を処方してもらい、なんとか眠れるようになりました。

そんな状態で挑んだ入学式。

どうなることかと思いましたが、
本番に強い由紀子は頭を叩きながらも
最後まで式に参加することができました。

これから始まる高等部の生活がどうなるのか、
不安は募るばかりでしたが・・・。

意外にも、入学式を終えたら
嘘のように由紀子が落ち着いていきました。

何故?・・・私が思うに
由紀子は卒業という言葉で小学校の卒業を思い出したのだと思います。

小学校の卒業の後、引越しをして
友だちと別れてたった一人で養護学校へ入学しました。
あの寂しさや環境の変化がフラッシュバックのように甦って来たのかもしれません。

そして、入学式で学校が変わらないことを確認して安心したのでしょう。

私も休み中に何度も説明したんですけどねぇ・・・
私の言葉は由紀子には届いていなかったみたいです。

今振り返ってみて、
あの頃の学校選びの判断は間違っていなかったと思いますが、
由紀子にはつらい思いをさせてしまいました。

でも、こうして嵐を乗り越えてながら、
由紀子はたくましくなって行くと信じて
新しい春を進みたいと思います。



ところで、高等部から制服になりました。似合うでしょう?(笑)



編集後記

一年半も通信をサボってしまった為に書きたいことがいっぱいで、
まとまらなくて大変でした。

やっと出来上がった通信ですが、
やはり書ききれなかった思いがいっぱいです。

ホームページには毎日の由紀子の様子を日記に書いているので、
よかったら読んでみてください。

思春期に入った由紀子との生活は
以前のように楽しいことばかりではなくなりました。

日記にしても通信にしても
みなさんにつらい姿をお知らせしていいものかと、
いつも迷っている自分がいます。

でも、由紀子の記録として書き続けてきたこの通信の意味を思えば、
このつらい時期も由紀子の人生の一ページとして
書き続けていくべきなのだと思います。

由紀子もいつか私の手を離れて別の場所で生活する日が来ます。

確実にその日が近づいています。

その時にこの記録がきっと役に立つはず。

その日までもうひと頑張りです。

みなさまもよろしくお付き合いください。


=END=
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ゆきちゃん通信 No25 その1

2008年05月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
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2008年5月11日発行

ゆきちゃん通信 NO25


大変ご無沙汰をしました。
なんと1 年5 ヶ月ぶりのゆきちゃん通信です。
「サボりすぎ!」と、みなさんから叱られてしまいましたが、
反省しながら、待っていてくれる人がいることを
とてもうれしく思っています。
今回は中学部3 年の思い出と
高等部に進学してちょっと大人になった由紀子の姿をお伝えします。


修学旅行

去年の最大の思い出はやはり修学旅行です。

2 泊3 日で大分・熊本を旅してきました。

別府温泉に水族館・サファリパークに熊本城と、
楽しいことがいっぱいでした。

特急「ゆふいん号」に乗ったときも、
JRが苦手なはずの由紀子が余裕の表情です。

家族とではできない事も
学校のみんなとなら乗り越えられるんですね。

お土産もたくさん買ってきてくれましたので
「お母さんへのお土産はどれ?」と
聞いたら珍しく「ウチワよ!」とはっきり答えてくれました。

ちゃんと私をイメージして
買って来てくれたんだ!と喜んだのですが・・・。

なんと、そのウチワというのが、
これ!



セイウチがエプロンを着けてる。

ショック(☆_◎;)!

ねぇ、ゆきちゃん?!
これって、この絵が私に似ていたからじゃないよね?
(〃_ _)σ∥イジイジ

だって、セイウチの体型がさ・・・

わかってるさ!自覚してるさ!!(爆笑)


思い出のアルバム


JRも余裕だよ!


けむりが・・・くさい!


自分の荷物は自分で持つんだ!
おも~い!!


このキラキラは魚よ!


動物にえさもやったんだよ!
怖くないもん!


職場実習



職場実習では学校の近くの農家やお店で農作業をしました。

暑い日差しの中で玉葱やさつまいも・ニンジンの収穫のお手伝いです。

由紀子は農作業は苦手だと思っていたのですが
汗をかきながら黙々と仕事をこなしていたと聞いてビックリしました。

しかも、作業の現場までの行き来はいつも徒歩で、
時には4 キロ近い道のりを作業の後で歩いて帰ってくることもありました。

つい最近まで歩くのが苦手だったのに、
いつの間にこんなにたくましくなったのでしょうか?

私の知らないところで由紀子はどんどん成長をしているようです。

早いもので学校生活も残り3 年となりました。

卒業後の生活を考える時がきています。

由紀子にはどんな仕事が向いているのか、
先入観を捨てて由紀子の力と可能性を
きちんと見極めて進路を決めなければなりません。

またしても、親の責任は重大です。


卒 業

2008 年3 月17 日
由紀子は虹の原養護学校の中学部を卒業しました。
卒業式の予行練習までは頭を叩いたり
動きが止まってしまったりと不安がいっぱいでしたが、
本番では立派な卒業生としての姿を見せてくれました。

義務教育が終わって、また大人への階段を一段登りました。

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ゆきちゃん通信 No24 その2

2006年12月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2007年1月1日発行

ゆきちゃん通信 NO24


6月 宿 泊 学 習

2年生の一番の行事は宿泊学習です。

諫早の青少年自然の家で2 泊3 日の日程で行われました。

この宿泊学習では由紀子にとって
乗り越えなければならないか課題がいっぱいありました。

11 ㎞の登山の練習も大変でしたが、

一番印象に残ったのはJR の列車への乗車でした。

去年、列車の中でパニックを起こして以来、
由紀子はJR に全く乗れなくなっていました。

でも、今回の宿泊学習では諫早までJR を利用しなければなりません。

今度こそダメだろう!そう私は思っていました。

そして当日、由紀子はみんなと一緒に駅へ行く事はできましたが、
どうしても列車に乗り込む一歩が出せずに
みんなと同じ列車に乗ることができませんでした。



ダメなときは車も用意もされていたのですが
先生は由紀子の心の葛藤を察して、
「次の列車が来るまで待ちます」と言って、
二人でホームに残りベンチに座って
由紀子の心の整理ができるまでずっと待ってくれました。

余分な声掛けはせず、ただただ寄り添って待ってくれたのです。
30 分後、次の列車が来たとき、
由紀子は自分から列車の中へと入っていきました。

心配だった私はその様子を駅舎の陰に隠れてずっと見ていました。

親の私でもあきらめてしまうような場面で、
先生は由紀子を信じ、とうとうこだわりの鎖を解いてしまいました。

やっぱり、この先生は魔法使いだと思います。



7月 緊 急 手 術


あんなに苦労して参加した宿泊学習だったのに、
2日目の登山中に発熱をして途中リタイヤとなってしまいました。

そして2日後、その熱が盲腸のせいだったとわかって
緊急手術を受ける事になりました。

会話をうまくできない由紀子が自覚症状をうまく説明できない上に、
感覚的に内臓の痛みに鈍いのか外見や触診での症状もはっきりわからず、
CT 検査で盲腸だと解かった時には盲腸が破裂して、
腹膜炎を起こしていました。

ドクターからの思いがけない説明に
私も主人もどうすればいいのかわかりませんでした。

由紀子が手術に耐えられるだろうか…
入院生活のストレスは大丈夫だろうか…。

その前に由紀子の命は大丈夫なのだろうか?

そんな私たちの気持ちに関係なく手術の為の準備が始められ、
何枚もの承諾書にサインをしました。

日曜日の緊急手術。
CT検査から2時間後には手術が始まりました。

何が起こるのか解らないまま手術室に連れて行かれる
由紀子の不安を思うと胸がつぶれそうでした。

おかげさまで手術は無事に終わり由紀子は命拾いをしました。

入院生活は3 週間にも及びましたが、
病院のスタッフのみなさんや、
同室の患者さんたちに助けられてなんとか乗り切ることができました。

この盲腸事件は由紀子の今までの人生最大の危機ともいえるこの出来事でした。

その中でのエピソードの一つ一つを思い出すたびに
まわりの人に支えられていることを再確認して、
感謝の気持ちでいっぱいになります。

本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

ゆきちゃん元気になりました!



11月 職場体験



職場体験で農家のお仕事を体験しました。
黙々と刈り取られた稲を運ぶ由紀子。

「働く」という事を意識しなければならない時期が
すぐそこまで来ていることを感じさせてくれました。


12月 マラソン大会


今年も頑張りました。
他の場所ではノロノロ走っているのに
カメラの前に来たらさっそうと走り出し出す由紀子です。

さすがに長年、私のカメラのモデルをしているだけはあります。(笑)


特別編 ダイエット

7 月の盲腸事件の時にCT 検査で
由紀子が脂肪肝だということが判明しました。
退院の時にドクターから
このままでは生活習慣病になるから
ダイエットをさせるように言われたのですが
なかなか実行できずにいました。

その私の怠慢のせいで事態は最悪なことに…。

なんと!由紀子の体脂肪率が57%になってしまったのです。(汗)

身体の半分以上が脂?!

この驚異的な数字を見て
私もやっと本気でダイエットをさせることを決心しました。

運動が嫌いな由紀子をやせさせるには食事療法しかありません。

でも、由紀子にダイエットの必要性を理解させるのは難しいので、
量を減らしたり我慢をさせたりするのは無理!

そこで、『量や見た目を変えずにカロリーを減らす』をテーマにして、
食品を特定保健食品や低カロリー食品に変えて頑張ってみました。

その結果、3週間で-4 ㎏のダイエットに成功! ヤッター!!

現在もダイエットは続行中です。

頑張れ由紀子!頑張れ私!!(笑)


【編集後記】

明けましておめでとうございます。

昨年はたくさんの方々に支援していただき、
本当にありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いします。

今年は由紀子も中学3 年生になります。

そろそろ将来のことを考えなければなりません。

由紀子にもきっと夢があると思うのですが、
それを伝えてくれないので
私たち親が勝手に決めなければなりません。

由紀子の心の中を覗くことができる鏡でもあれば…
と、いつも節目の時に思います。

tomi


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