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ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

ゆきちゃん通信 No24 その1

2006年12月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2007年1月1日発行

ゆきちゃん通信 NO24

みなさん、ご無沙汰をしました。
なんと11ヵ月ぶりのゆきちゃん通信です。

昨年は由紀子の人生最大の危機があったり、
大きな成長があったりと、
本当に慌ただしい一年でした。

今回の通信は由紀子の2006年を
ギュ~ッと凝縮してお伝えします。


3月 ☆H野先生・U田先生 ありがとうございました!!☆


中学部一年生のあの嵐のような日々を支えてくださった先生方です。

月経前緊張症のせいで荒れて揺れていた由紀子に寄り添って、
少しずつ少しずつ心のリハビリをしてくださいました。

学校へ行ってもなかなか行事に参加できなかった由紀子でしたが、
「何もしなくてもいい!学校に来れただけで花丸ですよ!」
という、先生方の言葉にどんなに救われたことか・・・。

おかげさまで、3学期は緊張症の為に欠席することもなくなり、
笑顔で学校へ行けるようになりました。

U田先生は4月から高等部の担任になられたので、
お会いするチャンスが少なくなって寂しくなってしまいました。

でも、H野先生は今年も中学部1年生の担任です。
しかも、受け持ちの教室が前年と同じ場所!

4月になっても由紀子が間違って
H野先生の教室へ行くのではないかと
みんなで笑った事でした。

今でも先生は顔を合わせると、
由紀子のお気に入りのキャラクターのマネをして追っかけてきます。

「キャー!」と悲鳴を上げて逃げながら、
先生が追いかけてくるのを楽しみにしている由紀子なのです。(笑)




4月 中学部の2 年生になりました。


クラス替えや担任の先生の交代があったので、
環境の変化にまた戸惑うのではないかと心配をしましたが、
先生方がゆっくりと由紀子のペースで慣らしてくださったおかげで、
大きなトラブルもなくスムーズに学校へ通う事ができました。

それどころか、去年できなくなってしまった事を、
由紀子はどんどん取り戻していきました。
ここからは、由紀子の回復の記録です。





2 年3 組の担任。S田先生とI永先生です。
私はこの先生たちの事を『魔法使い』と呼んでいます。
「こだわり」というクサリでがんじがらめになっていた
由紀子の心を魔法の呪文で緩めてくれました。

由紀子の表情がとても穏やかになりました。


給食の後、こうしてよく昼寝をしているようです。
学校に慣れたということでしょうが・・・
ちょっと、慣れ過ぎじゃない?

また太るぞ!!(笑)





5月 運 動 会


去年の運動会はパニック騒動の真最中で、
とうとう参加する事ができませんでした。

今年も運動会の練習が始まった当初は
下駄箱のところで靴を履く時になって
「体育はしたくな~い!」と突然号泣したり、
練習を拒否して教室を飛び出してホールで寝てみたりと、
拒否反応が強かった由紀子でした。

先生はそんな由紀子の様子から
言葉かけをすればするほど過敏になる事に気がつかれたようです。

それからは、スケジュール表で流れを確認させた後は、
言葉かけを極力少なくしてみんなの流れに乗せる方法を取られました。

すると、どうでしょう!!

由紀子は自然にみんなの中で動けるようになったのです。

組み体操も、玉入れも、徒競走も、
笑顔で練習する姿が見られるようになりました。
(*^▽^*)すごい!!


残念ながら当日は雨で体育館での実施になってしまいました。

体育館が狭いので、自分たちの出場種目以外は
親子とも教室での待機ということになりました。

他の学部の子どもさんの演技が見られず、
ちょっと盛り上がりに欠けましたが、
由紀子にとっては楽な環境での運動会になって
よかったのかもしれません。

由紀子はどんな形になろうともお弁当さえ食べられれば
それで大満足だったみたいです。(笑)



=END=
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ゆきちゃん通信 No23 その2

2006年02月28日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2006年2月11日発行

ゆきちゃん通信 NO23


学 校

一学期の途中から学校へ行けない日が多くなって、
先生方には本当に心配をおかけしました。

口癖のように「学校へは行かない!」と言い続ける由紀子が
どうすれば安心して学校へ来られるようになるのか・・・

先生方は何度も話し合いを重ねて由紀子のために
プログラムを作ってくれました。



スケジュール表を利用して由紀子に学校生活の見通しを持たせ、
参加できない校外学習の時は
別メニューの学習課題を用意して学校で留守番をすることも
許してくださいました。


最初は戸惑っていた由紀子ですがだんだん笑顔が見られるようになって、
2学期の中ごろにはなんとか授業に参加できるようになりました。

今ではほとんどお休みすることもなくなりました。

先生方の理解のおかげで、
由紀子はやっと新しい学校の中に
自分の居場所を見つけることができました。




学校の作業学習は織物班です。
カランコとよばれる機械で布を織っています。



これが出来上がった作品です。
由紀子らしい配色に仕上がっています。



10 月に行われた「虹のまつり」では
中学部の出し物「龍踊り」のシンバルを担当しました。

おくんち見学に行こうと言い出したのもこの影響でした。
きっと本物の龍踊りが見たいと思ったのでしょう。




11月に行われたマラソン大会にも参加することができました。

当日の朝に「マラソンは嫌だ!」と
パニックを起こしたので心配をしたのですが、
担任のH野先生の腕にすがるようにして、
運動場へと出てきました。

走るというよりは歩くといった方がピッタリでしたが
決められた距離を最後まで頑張って走りました。




H崎先生


由紀子の荒れる日々は側にいる私にとっても
大きなストレスになりました。

家族もいろいろ助けてくれるのですが、
夏休みは2人きりの時間が長くて、
休みが終わる頃には精神的にも肉体的にも
疲れきってしまいました。

このままでは共倒れになってしまう!

そう感じていた頃に助けてくださったのが、
音楽療法でお世話になっているH崎先生でした。

介護ヘルパーとしてもお仕事をされている先生が
由紀子の生活支援を引き受けてくださったのです。

2年前、音楽療法を始めた時に大きなパニックを乗り越えて
由紀子との信頼関係を築いた経験を持つ先生の存在は
とても心強いものです。

現在はガイドヘルプ、身体介助といろいろな手立てを使って
私たちの生活を支援してもらっています。

おかげで私も気持ちを立て直して、
また由紀子と向き合えるようになりました。

音楽療法も現川へ通えなくなった由紀子のために、
お友達の教室を借りて大村でレッスンを再開してくださいました。

しかも、教室を提供してくださるT中先生も
レッスンに参加してくださることになり
音楽の世界がまた広がりました。

音楽が好きなのにこだわりが強くて
素直に楽しめない由紀子にとって
音楽療法はとても大切な時間です。

いつも由紀子のことを親身になって考えてくださる
H崎先生に本当に感謝しています。


基礎体温

由紀子を苦しめているのは月経前緊張症です。
これはホルモンの作用で起ることなので治療の方法はありません。

その時々に対処していくしかありません。

由紀子が女性へと成長して行く事を喜びながらも、
なぜ由紀子ばっかりがこんなに苦しまなければならないのかと、
悲しく思えてなりませんでした。

ついつい後ろ向きになってしまう私の相談にのってくださるのが
主治医のA川先生と性教育のM原先生です。

M原先生の基礎体温を測ってみたらどうかと言うアドバイスで、
夏休みから基礎体温を測り始めました。

おかげで由紀子の身体のリズムが掴むことができ、
緊張症の始まりと終わりの予測がつくようになって、
ずいぶん気持ちが楽になりました。

そして、A川先生が処方してくださる薬でのおかげで不眠が解消されて、
以前のような激しいパニックを起こすこともなくなりました。

まだ一月の半分はイライラして憂鬱な日が続きますが、
今は「これが由紀子の生活リズム!」と受け入れ、
うまくつき合っていこうと思えるようになりました。


編集後記

今回の通信を書くのにはとても時間がかかりました。
由紀子の変化が大きすぎて、どうまとめればいいのか解らなかったのです。

そして、その変化について行けなくて、
うろたえてしまった自分の姿を思い出しては恥かしくなって
一度書いた文章を何度も書き直していました。

今まで、「趣味は由紀子を育てること」と言ってきた私ですが、
大人になろうとしている由紀子を支えて行くのには、
そんな甘いことを言ってはいられなくなりました。

もう家族の力だけでは由紀子は支えて行けないのかもしれません。

今回も本当にたくさんの方に助けていただきました。

教育・医療・福祉。
それぞれの立場から適切なアドバイスと支援をいただいたおかげで、
こんなに短期間で由紀子の笑顔を取り戻すことができました。

本当にありがとうございました。

これからもみなさんに助けていただきながら、
由紀子の成長を見守って行きたいと思っています。

よろしくお願いします。


ところで、由紀子にはやはり笑顔が似合いますよね!

私はこの笑顔が大好き!

この笑顔があれば幸せなのです。

反省はしても私の親ばかは治りそうにありません。(笑)


tomi


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ゆきちゃん通信 No23 その1

2006年02月28日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2006年2月11日発行

ゆきちゃん通信 NO23


みなさんお元気ですか?
前回の通信で由紀子のつらい様子をお伝えして、
みなさんにすっかりご心配をおかけしてしまいました。
たくさんの方から励ましのお手紙やお電話をいただきました。
本当にありがとうございました。
あれから8ヶ月。
今回の通信はその後の由紀子の様子と
お世話になったみなさんのことをお伝えします。


゚・。+☆。笑 顔。☆+。・゚


まずはご報告です。
私の宝物の「由紀子の笑顔」が戻ってきました。

ちょっと太目になりましたが、
やっぱり由紀子には笑顔が一番似合います。

前回の通信でお知らせしたとおり、
引越しをして養護学校への入学、そして月経前緊張症と
一度に起きた変化にすっかり押しつぶされてしまった由紀子でした。

一時期は一日中つらそうな顔をして、
ほとんど笑顔など見せませんでしたが、
最近はまた笑顔で過ごせる時間が増えてきました。

まだ緊張症の症状でつらい時期もありますが、
以前に比べたらずいぶん楽になりました。

ここまで回復できたのは由紀子の周りの人たちの
理解と協力のおかげです。

ありがとうございました!


―長かった夏休みー


一学期の半分は緊張症のために学校に行くことができず、
とうとう終業式も出席できないまま夏休みに入ってしまいました。

昨年までは夏休みは学校のプールで真っ黒に日焼けしていたのに、
今年は家に閉じこもっていたので真っ白のままでした。

黒パンとあだ名をつけられていたあの頃が本当に懐かしく感じました。

ストレスから感覚が過敏になって
テレビの音もCDの音楽も耳障りで聞くことができなくなり、
家の中は全く音のない世界になってしまいました。

今思い出してもこの夏休みは由紀子にとっても家族にとっても
本当につらい毎日でした。

写真は唯一、家族と出かけた砂防公園での水遊びの時の様子です。

自然の中でならゆっくり出来るかと思ってむりやり連れ出したのですが、
ごらんのとおり笑顔は無く、
ずっとこの場所に座ったままぜんぜん動こうとしませんでした。

そんな由紀子の気持ちを盛り上げようと頑張った私は、
はしゃぎ過ぎて水の中で滑ってバシャーン!!

全身ずぶ濡れになってしまいました。

これが今年の唯一の夏休みの思い出?!

悲しい~!(。>_<。) えーん


おくんち見学



由紀子が回復の兆しを見せたのが
中学部の校外学習「おくんち見学」でした。

緊張症のせいで校外に散歩に出る事も拒否していた由紀子が
突然、みんなと一緒におくんちに行って龍踊りを見たいと言い出したのです。

浜の町が苦手で家族と一緒でも行くのを嫌がっていたので、
たぶん由紀子は参加しないだろうと、
勝手に思っていた私は嬉しい反面、不安でいっぱいになりました。

まだ緊張が強い時にはパニックを起こす由紀子の状態を思うと
心配で、心配で……。

今、思い出すと恥ずかしい程、動揺してしまいました。

見学の途中でパニックになったら…、
人ごみの中に走り出してしまったら…。

どうしよう~~~!!


そんな不安を先生方に相談した所、
私も一緒に長崎へ行くことを勧めてくださいました。

もちろん由紀子とは別行動ですが、
パニックになった時には私が引き取ることになりました。

これで一安心!
(*^ ^*)よかった!

と、思ったのですが…。

まだ他にも問題がありました。

由紀子は大村に引っ越してからJRもバスも
車内アナウンスにこだわって乗れなくなっていました。
無理に乗せると大きなパニックを起こしてしまいます。

長崎でパニックになった時に、
二人でどうやって大村に帰ればいいでしょうか?

どうしよう~~!!


この窮地を救ってくれたのが
福祉の事でいつも相談に乗ってもらっている
福祉コーディネーターのF井さんでした。

もしもの時のために車の運転を引き受けてくださり
私と一緒に長崎へ行ってくださいました。

こうして、たくさんの人に助けられて
由紀子の小さな冒険は始まりました。

結果は?

いつもの事ですが、私の心配を裏切って
しっかり最後までみんなと一緒に行動することができました。

途中で不安定になる場面も見られましたが、
何とか気持ちを立て直すことができました。

龍踊りを見学して、露店で買い物をして、焼きそばを食べて…。(笑)



担任のU田先生の腕にしっかりつかまって
苦手な場所も笑顔で歩く由紀子の姿に
私の心配は要らなかったなぁ…と、思ったのでした。

お騒がせをして本当に申し訳なかったと思います。
でも、あの姿を見なければ私は
ずっと由紀子を抱え込んだままになっていたかもしれません。

由紀子の回復の手ごたえを感じたあの日から、
私も由紀子の手を離す勇気が持てたような気がするのです。


=END=
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ゆきちゃん通信 No22 その2

2005年07月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2005年7月20日発行

ゆきちゃん通信 NO22


中 学 校 進 学

由紀子は西町小学校を卒業して
大村市にある虹の原養護学校へ進学をしました。

進路についてはいろいろ悩んだのですが、
思春期に入って由紀子が不安定になっていることや
将来の事を考えて養護学校への進学を決めました。

最初は長崎大学附属養護学校の中学部への進学を希望していましたが
昨年の12 月に受験をして不合格になりました。

思春期に入って自閉症特有の過敏さが増している由紀子は
附属養護学校の教育に向いていないと判断されたのだと思いますが、
今はその判断は正しかったと思っています。

結局、受験の前に見学に行って、
とてもいい感じを受けた虹の原養護学校を
由紀子の進学先に決めました。

そして、私たち一家は長崎から大村へと引越しをしました。

長崎での生活はたった2 年間でした。

虹の原養護学校は新しい学校で、
県下一のマンモス養護学校です。

ただ、養護学校と普通の学校とでは生活のリズムが全く違います。

もう、1 学期が終わろうとしているのに
慣れない事の連続に母子ともども戸惑いの日々が続いています。

ここで、由紀子の学校生活を少し紹介します。

中学部の1 年生は4 クラスあって、
由紀子のクラスは1 年3 組。

男の子3 人と女の子2 人の5 人のクラスです。

最近、やっと由紀子もクラスのお友達の名前を覚えて、
学校での様子を聞き出す時に情景がわかりやすくなりました。
個性豊かなクラスメイト。
もちろん由紀子もかなり個性的な存在です。

こうして、由紀子の新しい生活が始まったのですが、
この後のご報告は少し、気の重い報告になります。

ゆきちゃん通信始まって以来の大事件です。


思春期の嵐の中で



虹の原養護学校に入学して1 ヶ月は
とても順調に学校生活に慣れて行くように見えた由紀子でしたが、
5 月に入ると急にその様子が変わってきました。

そして連休の後、
今まで起こした事のないような大きなパニックが由紀子を襲いました。

夜中に目を覚ましては自分の頭を拳骨でガンガン叩いて泣き叫び、
一日中興奮状態が続いて、最後には急に家から外へと飛び出そうとします。

頭を叩く時の力も半端ではありません。

由紀子の頭をかばう私の腕は数日で腫れ上がってしまいました。

一番ひどい時には、夜中に家中の電気をつけて回って
家族全員を揺り起こすのです。

このときは家中がパニック状態になってしまいました。

こんな日が一週間以上続きました。


これは思春期に入った由紀子の身体に起こった変化の一つでした。
月経前緊張症というホルモンの作用によって引き起こされる症状です。

その症状に引越しによる環境の変化が
ストレスとなってのしかかり爆発をしたようです。

最初の発作の時に私はどうしていいのかわからず、
頭を叩き続ける由紀子を抱いて泣く事しかできませんでした。

由紀子が壊れていくようで、怖くて悲しくて・・・。

自分の感情のコントロールができなくなって
苦しんでいる由紀子を前にして、
何もしてやれない自分の無力さに打ちのめされてしまいました。

でも、そんな由紀子を主治医のA川先生と
性教育のM原先生が助けてくださいました。

A川先生はすぐに安定剤を処方してくださり、
毎晩電話で由紀子の様子を聞きながら薬の量を調整してくださいました。

M原先生は私が冷静になれるようにと、
月経前緊張症のことを詳しく調べて教えてくださいました。

そのおかげで、なんとか私たち家族も
由紀子の現在の状態と向き合うことができるようになりました。

でも、由紀子はパニックになるたびに
「長崎の家に帰ろう!」と繰り返します。

その度に由紀子にとって長崎での生活が
どれほど大切だったかを思い知らされ、
由紀子の為と思って決めた引越しを責められているようで辛くなります。

でも、由紀子が大好きだった西町小学校にはもう戻る事はできません。
一緒に過ごしたお友達も学校にはいないのです。

卒業の意味すらよくわからない由紀子には
その事も理解できていないのかもしれません。

あれから3 ヶ月が過ぎましたが、
まだ由紀子は毎月、安定した時期と不安定な時期を繰り返しています。

薬を調整することで、
初期のイライラは押さえ込めるようになって来ましたが、
月経前の一週間は薬が効かないほどの興奮状態になって
学校にも行けなくなります。


虹の原養護学校の先生方にもご迷惑をおかけしているのですが、
現在、どうすれば由紀子が安定した学校生活が送れるかを
検討してくださっています。
夏休みにはケース会議を開いてくださる事になりました。

一生懸命対応してくださる先生方の姿に、
学校の選択はやはり間違っていなかったと思っています。

由紀子は今、思春期の嵐の中でさまよい続けています。
トレードマークだったあの笑顔が一ヶ月の半分は消えてしまいます。

由紀子の笑顔を宝物として守り続けてきた私には
そのことが一番辛く悲しいことです。
この3 ヶ月間、私自身もパニック状態で、
ずっと書き続けていたホームページの日記も書けませんでした。

何度も書こうとしたのですが、
言葉にするのが辛くて逃げ出してしまったのです。

自分のホームページなのにこの3 ヶ月間一度も開いていません。
日記を読みにホームページに来てくださっていたみなさんには
申し訳ないことをしたと思っています。

本当にごめんなさい!
でも、この通信を書くことができて、
やっと日記も書けそうな気がしてきました。

どん底からの再スタートですが、
よかったら由紀子と家族のこれからを
また見守っていただければ・・・と、思います。

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ゆきちゃん通信 No22 その1

2005年07月31日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。


2005年7月20日発行

ゆきちゃん通信 NO22

気がつけばもう、梅雨明けだそうで・・・
太陽がまぶしい季節になりました。

すっかり通信の発行が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
毎度のことで、本当にすみません!

我が家は由紀子の養護学校への進学の為に
3 月に長崎から大村へと引越しをしました。

今回の通信は大村に来てからの由紀子の様子と、
思春期の中で揺れる由紀子の様子をお伝えします。


卒 業


大好きだった西町小学校の卒業式です。

あいにくの天気で、雨音が体育館中に響く中で行われた式でしたが、
由紀子は立派に卒業生として最後まで参加することができました。

写真は卒業証書をもらって自分の席に戻る時の由紀子の姿です。

その姿は身長が伸び、少女から大人への階段を登り始めたことを
あらためて感じさせてくれました。

小学校5 年生からお世話になった西町小学校ですが、
素敵なお友達や優しかった先生方に囲まれて
楽しい思い出をいっぱい作らせていただきました。

心からみなさんに感謝しています。


さよならまーまー
お帰りなさいねーねー!


由紀子の卒業式の翌日、
私たち家族は長崎から大村へと引越しをしました。

でも、この時に次女のマーマだけは
私たちと別のところへと引越をして行きました。

マーマはこの春に短大を卒業して、
長崎の障害者の施設に指導員として就職をして
一人暮らしを始めたのです。

由紀子にとっては姉であり、ライバルでもありました。

マーマがキーボードで曲を弾く姿を見て、
自分も弾けるようになりたいと一生懸命練習をして
一本指の演奏をマスターしました。

けんかもいっぱいしたけれど、由紀子にとっては大切な人でした。

ゆきちゃん、ちょっと淋しくなりました。

でも、その淋しさを埋めるように、
ネーネが熊本の大学を卒業して我が家へと帰ってきました。

由紀子と一緒に暮らすのは5 年ぶりです。

マーマはライバルでしたが、ネーネは母親的存在です。

こうして、大村では新しい家族構成で生活を
スタートさせることになりました。


由紀子が描いた家族の似顔絵です。
よく似ているでしょう?










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