昨日の予告通り、
今日は講演会の話を書きます。
(由紀ちゃんの日記なのに・・・すみません。)
私が参加したのは
ニキリンコさんと浅見淳子さんの講演会です。
ニキさんは高機能自閉症(知的障害を伴わない自閉症)で、
著書に
俺ルール!―自閉は急に止まれない
自閉っ子、こういう風にできてます!
があります。
浅見さんはその本の出版社「花風社」の代表で
ニキさんのよき理解者です。
ニキさんの講演のテーマは
「ずっと人の気持ちがわからない子だといわれ続けてきた。
それは、自分に気持ちというものがあることに気がつかなかったから・・・。」
でした。
普通(?)の人が聞けば「まさか?」と思うようなことだけど、
由紀子を見ているとその通りだと思います。
由紀子の中にもいろんな感情が湧き上がって来るのですが、
それが何なのか解らないからパニックになるようです。
期待したり、楽しみにしている時の
「ドキドキ」がとても苦手なのも、
そのせいなのでしょう、
土壇場になって逃げ出すことがよくあります。
再会が苦手なのも
「懐かしい」という気持ちには
思い出というたくさんの情報が付属してきて、
心の中にいっぱい広がってしまうので、
どうしていいのか解らなくなってしまうからだと思います。
きっと感情を意識できていないから、
うまく処理ができないんですよね。
ニキさんは大人になって気がついたという
「気持ち」という存在に
今でも苦労をされているようです。
自閉症の人たちは「察する」という事も苦手です。
ニキさんは話をしながら、
自分の言葉に
「○○と、言う意味ではありません。」
と何度も注釈を加えていました。
きっと、自分が人の話の流れの中の言葉の意味を
察することができないから
普通(どうもこの言い方が気になるなぁ・・)の人が
どれくらい察してくれるか不安なんですね。
自分の中で理解できないのだから、
人のことは尚更わからない…
むずかしいですよねぇ。
そんな状態を自分と置き換えた時、
自閉症の人にとって
世の中がどれほど怖いか少し理解ができる気がします。
自分が好きなものは親が教えてくれると思っていた。
親は何でも知っている人、
時刻表のように次に自分に起こることを予告してくれる人・・・
と、ニキさんはずっと思っていたと言います。
自閉症の人にとって親ってなんなのだろう?
きっと由紀子も私を便利な人ぐらいにしか
思っていないかもしれない。
少し淋しいと思うけれど、
そうならば世界で一番便利な人になってやろうと思います。
私は負けないもんね!
(* ̄ ^  ̄)/オーッ!(笑)
浅見さんは日本とアメリカの
療育事情の違いを話されていました。
日本の自閉症児の親は
自分のニーズをあまり主張せず受身だから、
支援が充実しないと言われていました。
私自身にはあまり当てはまらないのかもしれないけど…
あなたは主張しすぎ!
と言われそうですね(笑)
でも、たしかに「たすけて!」と声に出さなければ、
誰もわかってくれないんですよね。
後半はニキさんと浅見さんの
「発達障害と触法」について対談でした。
話の内容もよかったのだけど、
私は浅見さんがニキさんの話を聞くときに
楽しそうにしている姿がとても印象的でした。
浅見さんは自分は専門家ではないと、
何度も言われていましたが、
自閉症の人が世の中で生きていく時、
ほとんどが
何も知識のない人たちとのかかわりの中で生活するわけだから、
専門知識よりも解り合おうとする気持ちの方が大事なんですよね・・。
浅見さんの笑顔にはそんな気持ちが
溢れていたような気がします。
講演と対談が終わって、
主催者の挨拶が終わろうとした時、
ニキさんが
「今思い出したことがある!」
と言って話し出したことがありました。
「楽しいことや、面白いことがあれば、
嫌なことや悪い俺ルールは忘れることができます。」
これが触法問題と言われる、
発達障害の子どもたちが起こした事件に対する答えだと思いました。
発達障害の子供が楽しいとか、
面白いと思える経験がいっぱいできる家庭、教育現場、
そして社会にならなければ、
どんなに見識者が机の上で議論をしても
解決はしないでしょう。
今のままでは二次障害で苦しんで
触法問題を起こしてしまう子どもは
まだまだ出てくるとおもいます。
私には社会を変えるなんて大きなことは出来ないけれど、
少なくても由紀子が笑顔でいられる
環境を守っていこうと思います。
長い日記になってしまいましたが、
ずっと楽しみにしていた講演会の余韻と
由紀子の世界に少し踏み込めた気持ちになれた
嬉しさのせいと思ってください。
そして、生意気なこともたくさん書いてしまった気がしますが、
それも許してくださいね!
=END=
今日は講演会の話を書きます。
(由紀ちゃんの日記なのに・・・すみません。)
私が参加したのは
ニキリンコさんと浅見淳子さんの講演会です。
ニキさんは高機能自閉症(知的障害を伴わない自閉症)で、
著書に
俺ルール!―自閉は急に止まれない
自閉っ子、こういう風にできてます!
があります。
浅見さんはその本の出版社「花風社」の代表で
ニキさんのよき理解者です。
ニキさんの講演のテーマは
「ずっと人の気持ちがわからない子だといわれ続けてきた。
それは、自分に気持ちというものがあることに気がつかなかったから・・・。」
でした。
普通(?)の人が聞けば「まさか?」と思うようなことだけど、
由紀子を見ているとその通りだと思います。
由紀子の中にもいろんな感情が湧き上がって来るのですが、
それが何なのか解らないからパニックになるようです。
期待したり、楽しみにしている時の
「ドキドキ」がとても苦手なのも、
そのせいなのでしょう、
土壇場になって逃げ出すことがよくあります。
再会が苦手なのも
「懐かしい」という気持ちには
思い出というたくさんの情報が付属してきて、
心の中にいっぱい広がってしまうので、
どうしていいのか解らなくなってしまうからだと思います。
きっと感情を意識できていないから、
うまく処理ができないんですよね。
ニキさんは大人になって気がついたという
「気持ち」という存在に
今でも苦労をされているようです。
自閉症の人たちは「察する」という事も苦手です。
ニキさんは話をしながら、
自分の言葉に
「○○と、言う意味ではありません。」
と何度も注釈を加えていました。
きっと、自分が人の話の流れの中の言葉の意味を
察することができないから
普通(どうもこの言い方が気になるなぁ・・)の人が
どれくらい察してくれるか不安なんですね。
自分の中で理解できないのだから、
人のことは尚更わからない…
むずかしいですよねぇ。
そんな状態を自分と置き換えた時、
自閉症の人にとって
世の中がどれほど怖いか少し理解ができる気がします。
自分が好きなものは親が教えてくれると思っていた。
親は何でも知っている人、
時刻表のように次に自分に起こることを予告してくれる人・・・
と、ニキさんはずっと思っていたと言います。
自閉症の人にとって親ってなんなのだろう?
きっと由紀子も私を便利な人ぐらいにしか
思っていないかもしれない。
少し淋しいと思うけれど、
そうならば世界で一番便利な人になってやろうと思います。
私は負けないもんね!
(* ̄ ^  ̄)/オーッ!(笑)
浅見さんは日本とアメリカの
療育事情の違いを話されていました。
日本の自閉症児の親は
自分のニーズをあまり主張せず受身だから、
支援が充実しないと言われていました。
私自身にはあまり当てはまらないのかもしれないけど…
あなたは主張しすぎ!
と言われそうですね(笑)
でも、たしかに「たすけて!」と声に出さなければ、
誰もわかってくれないんですよね。
後半はニキさんと浅見さんの
「発達障害と触法」について対談でした。
話の内容もよかったのだけど、
私は浅見さんがニキさんの話を聞くときに
楽しそうにしている姿がとても印象的でした。
浅見さんは自分は専門家ではないと、
何度も言われていましたが、
自閉症の人が世の中で生きていく時、
ほとんどが
何も知識のない人たちとのかかわりの中で生活するわけだから、
専門知識よりも解り合おうとする気持ちの方が大事なんですよね・・。
浅見さんの笑顔にはそんな気持ちが
溢れていたような気がします。
講演と対談が終わって、
主催者の挨拶が終わろうとした時、
ニキさんが
「今思い出したことがある!」
と言って話し出したことがありました。
「楽しいことや、面白いことがあれば、
嫌なことや悪い俺ルールは忘れることができます。」
これが触法問題と言われる、
発達障害の子どもたちが起こした事件に対する答えだと思いました。
発達障害の子供が楽しいとか、
面白いと思える経験がいっぱいできる家庭、教育現場、
そして社会にならなければ、
どんなに見識者が机の上で議論をしても
解決はしないでしょう。
今のままでは二次障害で苦しんで
触法問題を起こしてしまう子どもは
まだまだ出てくるとおもいます。
私には社会を変えるなんて大きなことは出来ないけれど、
少なくても由紀子が笑顔でいられる
環境を守っていこうと思います。
長い日記になってしまいましたが、
ずっと楽しみにしていた講演会の余韻と
由紀子の世界に少し踏み込めた気持ちになれた
嬉しさのせいと思ってください。
そして、生意気なこともたくさん書いてしまった気がしますが、
それも許してくださいね!
=END=