これは18年前、由紀子が保育園の年長さんの頃に
小学校入学に向けて私が行動した時の記録です。
あくまでも由紀子の母として
見たり、考え、感じたことを書いています。
その事をご理解の上読んでください!
教育委員会が学校見学の手配をしてくれたので
さっそくF小学校の特殊学級(特別支援学級)の
見学に行きました。
その時の記録です。
・・・・・・・・
<5月26日 F小学校 特殊学級 生活の授業>
教室に着いたときまだ休み時間だったので、
廊下で待っているように言われた。
教室の中ではAちゃんが先生に叱られているようだった。
何で叱られているのか解らなかったけれど、
厳しい先生のようだ・・・
それがY先生の第一印象だった。
見せていただいた授業は、
まるで療育センターでの訓練のような授業だった。
同じ事を何回も繰り返すことはせず、
子どもが飽きないように次々とプログラムを進めていく。
○床に輪を並べてケンパ。
○ブロックの上を渡らせる。
○縄跳び
○マッサージ
○気分転換のためにお茶の時間
○ビーズ通し
先生がマッサージの時に
Aちゃんのかかとを指して、
「Aちゃんは入学してきた時は、
つま先で歩いていたのでかかとが発達していなかった、
最近やっとかかとをつけて歩けるようになった。」
と話してくださった。
次は指先が発達していないこと、
それでも握る力が強いことなど
Aちゃんの身体の細かなことまで把握した上で
訓練されていることがよくわかった。
Aちゃんに対する口調は厳しく、
あまり甘えることを許さない感じがした。
それでも、Aちゃんと先生の間には
しっかり信頼関係が出来ているように見えた。
先生に、将来のためにK養護学校も見学に行くとお話ししたら、
「自分の子が20才の時にどのようになっていて欲しいか
しっかり見据えて先に先に準備を進めてください。
子どものために必死にならなければいけない時が何度かあります!」
といわれた。
今がその時なのかもしれない。
<特殊学級での一日の生活の流れ>
Aちゃんは、親学級に登校して、
朝の始まりの会に参加してから
特殊学級の教室に一人でやってくる。
特殊学級では生活と名付けられた授業を受ける。
親学級との交流は音楽・体育・図工・給食
(先生は体育以外はついていかないと言うことだった。)
親学級で終わりの会に参加して下校する
<親学級との交流・音楽の授業>
20分の休み時間の後、音楽室の前で待っていると、
親学級の子どもたちと一緒に一列に並んでAちゃんがやってきた。
休み時間中、私はY先生と話をしていたのだが、
この20分間Aちゃんが親学級の子どもたちと
どんな風に遊んでいたのか見に行けばよかったと思った。
今日の音楽は鑑賞の時間だった。
世話好きそうな女の子2.3人にはさまれるように座ったAちゃんは
落ち着いた様子でみんなの中にいた。
特別なこともなく時間が過ぎたが、一つだけ気になったのは
回りの女の子たちがAちゃんのお世話を競ってすることだった。
交流の時間だけのことだから良いのかもしれないが、
これが1日中になると依存の気持ちが大きくなって
自立の妨げになりそうな気がした。
クラスの仲間に受け入れてもらうことは、
お世話をしてもらうことだけではないと思うのだが、
お世話をしてもらわないとクラスの中では
みんなに付いていけないのかもしれない……。
むずかしいと思った。
・・・・・・
もう18年も前の小学校の様子ですから
今はもっと違う授業風景なのかもしれません!
その当時でも
私が特殊学級に対して持っていたイメージと
現実はかなり違いました。
見学が終わった後の記録に
こんな事が書いてありました。
・・・・・・・・・・
<特殊学級について思う事>
昔、私が小学校の6年生だったとき、
隣のクラスが特殊学級だった。
たぶん私たちが親学級だったと思うが、
交流は運動会の時だけだった。
誰がそのクラスにいたのかさえ覚えていない。
そのころの特殊学級のイメージは、
私たちが踏み込んではいけない場所、
学校の中でそこだけは違う場所のような気がした。
隣なのに覗いた覚えさえない
でも、今日見た特殊学級はとても開かれた明るい場所だった。
休み時間に子どもたちが覗きにやってくるし・・・・。
親学級との交流もたくさんあって・・・・。
私たちの年代は、
今の特殊学級の状態を見た事がなければ
昔のイメージで考えてしまうだろう。
これが普通学級へ障害児を入れたがる
理由の1つなのかもしれないと思った。
私は現在を、しっかり見て考えようと思う。
・・・・・・・・
今、子どもの就学について
悩んでいるお母さんたちも
自分の小学校時代のイメージで
進路を考えてはいけないような気がします。
今はどうなのか?
それを自分の目で確かめた方がいいと思います。
後日、友人と話をしている時に
彼女の子どもから特殊学級の様子を聞くチャンスがありました。
その子どもさんは別の小学校の親学級の児童なのですが・・・
子どもの言葉はストレートで正直でした。(汗)
その事も記録してあったので書きます。
・・・・・
その子が通う小学校の特殊学級にいる子どもの名前はRちゃん。
給食の時間に親学級に行ってものRちゃんの机は無いという。
毎回後ろに片付けられた机を自分でもって来て食べるらしい。
クラスに欠席者が出たときには欠席者の机で食べる、
3日も休みが続くとその子はそこが自分の机だと思いこんで動かず、
その席の子とトラブルになるらしい。
親学級の子どもたちはそれを
「Rちゃんはわがまま」
と言って仲間とは感じないと言った。
でも、それはRちゃんの責任ではないだろう・・。
親学級の子どもからその話を聞いたとき、
どうして特殊学級の担任の先生は
親学級の先生に改善を要求しないのか腹が立った。
そして悲しかった。
特殊学級の良し悪しは
担任の先生によって大きく違う事を
この時に強く感じた。
・・・・・・・
この時に感じた
担任の力の違いで子どもの環境が違ってくることを
その後、学校生活を送る間
ずっと感じ続けることになりました。
この時点で大事なことを
ちゃんと感じ取ることのできた母に拍手です!(笑)
この日、午後からは
自閉症の男の子が在籍している
2年生の普通学級を見学しました。
・・・次回につづく・・・
小学校入学に向けて私が行動した時の記録です。
あくまでも由紀子の母として
見たり、考え、感じたことを書いています。
その事をご理解の上読んでください!
教育委員会が学校見学の手配をしてくれたので
さっそくF小学校の特殊学級(特別支援学級)の
見学に行きました。
その時の記録です。
・・・・・・・・
<5月26日 F小学校 特殊学級 生活の授業>
教室に着いたときまだ休み時間だったので、
廊下で待っているように言われた。
教室の中ではAちゃんが先生に叱られているようだった。
何で叱られているのか解らなかったけれど、
厳しい先生のようだ・・・
それがY先生の第一印象だった。
見せていただいた授業は、
まるで療育センターでの訓練のような授業だった。
同じ事を何回も繰り返すことはせず、
子どもが飽きないように次々とプログラムを進めていく。
○床に輪を並べてケンパ。
○ブロックの上を渡らせる。
○縄跳び
○マッサージ
○気分転換のためにお茶の時間
○ビーズ通し
先生がマッサージの時に
Aちゃんのかかとを指して、
「Aちゃんは入学してきた時は、
つま先で歩いていたのでかかとが発達していなかった、
最近やっとかかとをつけて歩けるようになった。」
と話してくださった。
次は指先が発達していないこと、
それでも握る力が強いことなど
Aちゃんの身体の細かなことまで把握した上で
訓練されていることがよくわかった。
Aちゃんに対する口調は厳しく、
あまり甘えることを許さない感じがした。
それでも、Aちゃんと先生の間には
しっかり信頼関係が出来ているように見えた。
先生に、将来のためにK養護学校も見学に行くとお話ししたら、
「自分の子が20才の時にどのようになっていて欲しいか
しっかり見据えて先に先に準備を進めてください。
子どものために必死にならなければいけない時が何度かあります!」
といわれた。
今がその時なのかもしれない。
<特殊学級での一日の生活の流れ>
Aちゃんは、親学級に登校して、
朝の始まりの会に参加してから
特殊学級の教室に一人でやってくる。
特殊学級では生活と名付けられた授業を受ける。
親学級との交流は音楽・体育・図工・給食
(先生は体育以外はついていかないと言うことだった。)
親学級で終わりの会に参加して下校する
<親学級との交流・音楽の授業>
20分の休み時間の後、音楽室の前で待っていると、
親学級の子どもたちと一緒に一列に並んでAちゃんがやってきた。
休み時間中、私はY先生と話をしていたのだが、
この20分間Aちゃんが親学級の子どもたちと
どんな風に遊んでいたのか見に行けばよかったと思った。
今日の音楽は鑑賞の時間だった。
世話好きそうな女の子2.3人にはさまれるように座ったAちゃんは
落ち着いた様子でみんなの中にいた。
特別なこともなく時間が過ぎたが、一つだけ気になったのは
回りの女の子たちがAちゃんのお世話を競ってすることだった。
交流の時間だけのことだから良いのかもしれないが、
これが1日中になると依存の気持ちが大きくなって
自立の妨げになりそうな気がした。
クラスの仲間に受け入れてもらうことは、
お世話をしてもらうことだけではないと思うのだが、
お世話をしてもらわないとクラスの中では
みんなに付いていけないのかもしれない……。
むずかしいと思った。
・・・・・・
もう18年も前の小学校の様子ですから
今はもっと違う授業風景なのかもしれません!
その当時でも
私が特殊学級に対して持っていたイメージと
現実はかなり違いました。
見学が終わった後の記録に
こんな事が書いてありました。
・・・・・・・・・・
<特殊学級について思う事>
昔、私が小学校の6年生だったとき、
隣のクラスが特殊学級だった。
たぶん私たちが親学級だったと思うが、
交流は運動会の時だけだった。
誰がそのクラスにいたのかさえ覚えていない。
そのころの特殊学級のイメージは、
私たちが踏み込んではいけない場所、
学校の中でそこだけは違う場所のような気がした。
隣なのに覗いた覚えさえない
でも、今日見た特殊学級はとても開かれた明るい場所だった。
休み時間に子どもたちが覗きにやってくるし・・・・。
親学級との交流もたくさんあって・・・・。
私たちの年代は、
今の特殊学級の状態を見た事がなければ
昔のイメージで考えてしまうだろう。
これが普通学級へ障害児を入れたがる
理由の1つなのかもしれないと思った。
私は現在を、しっかり見て考えようと思う。
・・・・・・・・
今、子どもの就学について
悩んでいるお母さんたちも
自分の小学校時代のイメージで
進路を考えてはいけないような気がします。
今はどうなのか?
それを自分の目で確かめた方がいいと思います。
後日、友人と話をしている時に
彼女の子どもから特殊学級の様子を聞くチャンスがありました。
その子どもさんは別の小学校の親学級の児童なのですが・・・
子どもの言葉はストレートで正直でした。(汗)
その事も記録してあったので書きます。
・・・・・
その子が通う小学校の特殊学級にいる子どもの名前はRちゃん。
給食の時間に親学級に行ってものRちゃんの机は無いという。
毎回後ろに片付けられた机を自分でもって来て食べるらしい。
クラスに欠席者が出たときには欠席者の机で食べる、
3日も休みが続くとその子はそこが自分の机だと思いこんで動かず、
その席の子とトラブルになるらしい。
親学級の子どもたちはそれを
「Rちゃんはわがまま」
と言って仲間とは感じないと言った。
でも、それはRちゃんの責任ではないだろう・・。
親学級の子どもからその話を聞いたとき、
どうして特殊学級の担任の先生は
親学級の先生に改善を要求しないのか腹が立った。
そして悲しかった。
特殊学級の良し悪しは
担任の先生によって大きく違う事を
この時に強く感じた。
・・・・・・・
この時に感じた
担任の力の違いで子どもの環境が違ってくることを
その後、学校生活を送る間
ずっと感じ続けることになりました。
この時点で大事なことを
ちゃんと感じ取ることのできた母に拍手です!(笑)
この日、午後からは
自閉症の男の子が在籍している
2年生の普通学級を見学しました。
・・・次回につづく・・・
読み終わって涙が滲んできた
なんでだろう?
私たちの時代どころか
娘の世代でも特殊学級は閉鎖された場所でした。
それどころか中学校での教育実習の時
特殊学級の生徒に対する扱いで
娘がいきなり泣き出した事もあります。
どきどきしたのは
先生への期待かも知れないです。
最後に泣けてきたのは
終わりの方に引用されていたRちゃんの件かな。
仰るとおり
担当教諭による差は大きいと思います。
学校の方針もでしょう。
あと地域でも違うのでしょうか。
偏った見解と情報に固定されず
実際に動いたtomiさんは偉いです。
これまで「へえ (周囲に)恵まれてるなあ」
などと感じた時もありましたが
自ら引き寄せた幸運だったんですね。
今は保育園決定待ってる時期ですが、後2年で娘小学校に上がってしまいます。
娘は、感覚過敏(トイレの便器冷たいと嫌、床も冷たいと嫌で、マット必要、トイレの水の音怖い、)こだわり(家で、リビングで四つん這いでないとオシッコしない)
こだわり変換あったらいきなり前に進む事もありますが、トイレにかんしてはかなり頑固で、一時保育先で一切オムツすら濡らさず20時間オシッコしない時もあったり…
今唯一便器で少しずつ進んでるのがRi○○naって療育(母子分離)で、親として、毎日毎日どうすれば、この子の負担無く、保育園生活&今後の学校生活進めて行けば良いか…
ずっと考えてます。
見学、あちこち行かなきゃですね(^_^;)
貴重な記事ありがとうございます。
やっぱり出会う先生でも変わりますよね…
娘は相当な感受性の強さも持っているので第一印象でも左右されてしまう部分もあったりで、(なおかつ記憶力良いからそれずっと覚えている)記憶力の強さと、知的は平行してませんが(限りなく中度に近い軽度。行動含めたら4月療育手著更新中度になる気がします)親としてできる限り、頑張って行こうと思います。
なおさらドキドキなのかもしれませんね?(笑)
たくさんの先生と出会いましたが
その時々の先生で教育方針が変わるので
私もその度に考え方が変わっていました。
被害者は由紀子ですよね?!(汗)
でも、その内に
私も言いなりではなく、先生と対等な立場に立って話し合うようになりました。
だんだん強くなって、うるさい母になったってことですかね?(笑)
Rちゃんの事を聞いたのは
現場の子どもからだったので
とてもつらかったです。
その後、Rちゃんはどんな大人になったのか気になります。
記録はまだ続きます。
よかったら、また感想を聞かせてください。
不安ですよねぇ~~!
私が保育園の先生に言われたとおり
今は子どもさんの為にいっぱい悩んであげてください。
でも、子どもは強いです。
そして、成長をします。
親が悩むほど小学校は難しいところでは
無いと思います。
ファイト!(笑)